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家族を大切にして生きたいって、シンプルな気持ちを、なんだか複雑にしていたみたいだよ。

みなさんは、ちょっと連休のように月・木とお休みのあった今週
いかがお過ごしだったでしょうか?

私は、最近noteの時間を減らして、学びの時間も調整して、
家族と話す時間を作るようにしています。

旦那さんと話す、子どもと話す。

いつでもできる気がして、後回しにしがちな私です。
身内、内輪だからこそ、ちゃんとしていなくても大丈夫って
きっとわかってくれるって。

気を回して、丁寧な対応をしなくても大丈夫だと思っていました。

きっと旦那さんや子どもは、ほっといても大丈夫って
どこかで安心はしていて、それで後回しなんだと思います。

それで、仕事とか、他の役割をしっかりやっている自分に
喜びを感じ、そこで認められているような気持ちになるものだから、
どんどん家族が後回しになりがち。

そのうち一緒にいるのに、一緒にいないような感覚にすらなっていました。


でも、この時間の使い方のバランスで本当にいいのかな?

息子たちが家を出ていく時とか、あの世に旅立つ時に
「ああ、もっと家族の時間を大切にすればよかった」

そう思うんじゃない?
心のどこかにそんな気持ちがある。

そう、振り返ったわけです。
喧嘩するわけでもなく、仲良いんですけれどね。

そのままにしていたら、一緒にいるのに、
ずっとお互いに携帯みているような。
そんな時間の過ごし方で終わってしまいそうで。

そんな時間の使い方も悪いわけじゃないけれど、
大切な会話もないままに、ずっと携帯を見るばかりでは
ちょっと寂しいじゃない?。

子どもが巣立つまでの時間。
旦那さんと一緒にいる時間。
自分が生きている時間って、限られているからねえ。

じゃあ、この祝日の家族時間を大切にしようとして、
一緒にいる間に何話したのかっていうと、
あまりにも身のない話だから何を話したかは、ほとんど忘れちゃった笑。

息子と一緒にハンバーグ作って、バターを多めにいれると風味はでるけれど、どんどん冷えた時に油が固まるから、太りやすいって話とか。

しりとり・りんご・・・・って、しりとりしたり。

子どもたちの小さな頃の動画をみて、言い間違っているようすを
可愛いって笑ったりとか。
本人はその様子をみて「やめてよ~」って照れたりとか。

でもいっぱい笑ったから、楽しかった。

という時間の過ごし方をしたなと思います。

それが、大切だったかなあと。
遠回りしてそんなことに気付きました。

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