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「書く」ってことを、人を楽しませるためにって考えたら、物の見え方まで変わってくる。

「過去の人生経験を生かして、その喜びや悲しみを切りとって書く。」

書くことが好きって気持ちとセットで、いつからかそんな事を思い込んで記事を書いていました。

皆さんは、どんなスタイルで文章を書いてますか?

過去の中には美しい思い出のままにしときたいものもあれば、傷のカサブタにあえて触れたくない時もある。そんな風に感じていたら動きが鈍くなり、だんだん書けなくなっていました。

でも、その「過去を掘り返して書く」という考え方自体、凝り固まった物の見方なのかもと、この方の話を聞いてハッとしました。

憧れるライターさん、古賀史健さん。
先日note主催で、「ライターの教科書」という動画をライブ配信されていたんです。こちらの記事からnoteの動画にアクセスできます。お勧め。すごくよかった。御覧になった方いるでしょうか?


古賀さんがいう「文章を書く」から「コンテンツを作る」ことへ、意識の変容をするのに重要な要素が編集するということだそうです。

■編集とはお客さんが楽しんでくれる読み物にする行為。
■文章を編集することでコンテンツになる。
■編集には、人・テーマ・スタイルのバランスが大切で、その3点の意外性が高いほど読み物として面白くなる。

古賀さんのお話から、おそらく基本中のキだったことに気付きました。

そもそも人の過去の感情まんまの掘り起こし記事って読んでて楽しいのか??
それよりも大事なことってあるんじゃない?

もちろん、こんな大巨匠と自分の文章への姿勢を比べるつもりは毛頭ありません。

でも多くの人にとって「状況が目に浮かぶようで、悲しい話の中にも笑い要素がある。」なんて読み物の方が、過去の悲しみそのままよりも面白いよね。

私が目標とする毎日一生懸命頑張っている人の肩の荷が少し下ろせるような文章にしたいなら、そのための表現方法ってあるはず。

多くの人に分かりやすい例え話、表現をマイルドにしたり柔らかくしたり、そこにクスっと要素を入れようとか。そういうスパイスとなる表現力を磨いていったほうがいい。

そんな風に思いました。

そんな基本中のキさえ、腹落ちしきれてない私の記事を、温かく読んでくださっていた方に本当に感謝です。

そして、程よいスパイスが効かせられる表現にするためには、きっと料理と一緒。全体の具材のバランス、ブイヨンの出具合を見てからスパイスの量を決めること。

全体のバランスを見れるような自分の記事を俯瞰できるくらい客観的な心の状態で書くことで、スパイス量がビシッと決められる気がする。

と思うと、書きたいテーマを穏やかに捉えられる俯瞰した私がいるってとても大切。

書くって奥深いね!突き詰めていくと、人として育てられてる気がします。

やっぱり書く事が大好きだ。

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