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普通ってなんだろうって息子と語ってみた日の話。

不登校となり、今はすっかりフリースクールっ子となった小5の次男。
学校との距離ができてから、早3年になります。

3年って短いようで長いなあ。
息子も私も、3年前に比べるとずいぶん変わったと思います。


先日は、息子が自分についての想いを話してくれました。

「妖怪ウォッチのけいたみたいに、僕は普通で平凡なのだと思ってたんだけど。学校行かないって僕はちょっと普通ではなくなったかなと思うんだ。」


私自身も校内で孤立した経験があったり、海外で日本人の少ない地域に引っ越したり。マイノリティーというものについて考える機会が多かった人生。

普通という価値観への持論があって、ついスイッチがはいってしまいました。

「妖怪ウォッチのけいただって、あんな時計もってて、妖怪見えるんだから、相当人と違うことしてると思うよ。普通に見えるだけで。

誰一人同じ人はいないのだから、普通って人は実はいないのかもね。
学校に行かないのは少数派だとは思うけど。

先に目的を決めて居る場所を選びたい人か、学校にいながら習いながら目的を探すのか、順番が違うだけなんだと思うよ。

あなたはきっと、先に居る場所を選びたい人なんだね。」

なんて、話をしてみました。


普通ってなんだろう。
自分が社会の中でどんな存在なんだろう。
そんなことを振り返るくらい、次男の心が成長がしたと嬉しく思います。

こんな話をする時に、少しでも何か心の支えとなるような。
一期一会の言葉を伝えられる私でいたい。

発する言葉には、自分自身の想いや体験、成長がそのまま表れます。
だから私は、自分の内面の器をもっと育てていきたいなと思ったりします。

*****


少しだけニュートラルに教育を捉えられるようになってきた気がします。

以前は、人の受験の話とか学校教育への熱い思いとか。

子どもへの教育熱心な方の話を聞いていると、
「うちの子は、フリースクールではゲームばかりだし。
勉強時間極端に少ないけれど大丈夫だろうか」
なんて心配な気持ちが、頭をもたげていたんです。

普段はそんなことを考えずに過ごしているのにね。
その気持ちを引っ張り出されるようで
私としては、聞いているのがちょっと辛かった。

たぶん、彼の選択を尊重すると覚悟した
自分の気持ちが揺れちゃいそうで怖かったんですよね。
だから無意識にちょっと避けてた。


でも最近気付いたら、教育熱心な人の話を聞いていても、
「へえ、そうなんだ。教育熱心ですごいね」と素直に思えるようになっていた自分に気付きました。


それはそれ。でもうちの子はうちの子。

これも、すごい変化だなあと思います。
どっちもいい。どっちでもいい。
どっちかの良さをみて、それを比べて、より良い方を選ぶのでもなく。
一人一人が違うのだから、比べようがないんだよね。

そう思えたこと。
素直にそう言えるようになってきた自分にビックリしました。


将来の道のきっかけになる環境は提供したいと教育熱心になる私も。
本人の意志を尊重しようと、彼の気持ちを大切にしようとする私も。
「気にするのや~めた」と、好きな番組にのめり込む私も。
やっぱり気になると、人に相談する私も。

がむしゃらに子どもの成長のために療育熱心に日々を過ごしたことも、
不登校になった息子をみて、彼の心を大切にしようと覚悟を決めた日も。

いろんな経験があるからこそ。

教育とか、心とか、何かそういうカテゴリーだけの枠で縛られて子どもを見るのではなく、何を大切にしたいのか。

その子に応じて探ってみようって、少し思えるようになったのだと思います。


そんな次男は、最近体力をつけることに目覚め、それから剣道を習いたいと
言い出しました。私が想像もしていなかったようなことに目を向けて
「やりたい」と言い出せること。

今は、それがとっても嬉しく思います。

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