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不登校と、保護者会で湧き上がる心の叫びを見つめてみた。


文章を書くって、優しい。

独りよがりで書いて癒されてるのって面白くないじゃない?と思ったりもするんです。


でも、自分のnoteですからね。自分のためにだって書いていいじゃんと。
なんか自分に厳しくなりすぎてたかも。
人のためにも書いていたいし、それが自分のためになったらいい。
どっちもいいね。どっちもがいい。

今日は不登校と保護者会についての気持ち。

******

学校からのメール連絡って、その文字のフォントまでなんとなく固く感じる。

なんでだろう。ただの情報伝達なのだけど、
いつも背筋をピンと伸ばすような気持ちになる。

その中の一つに<保護者会日程の変更>のお知らせがあった。
今年の次男の保護者会は、たまたま仕事の日になった。
その事務的なフォントの中で、少しほっとした自分がいた。


次男が不登校になってから、2年半。
フリースクールに通いだしてから1年半になる。
当初は参加していた保護者会。参加することをやめてから、しばらく経つ。



2年前の保護者会。

並んだ席順で、保護者が一人ずつわが子紹介をしながら、
ご挨拶することとなった。

私は今までの保護者会では感じたことがないくらいの胸の鼓動を
耳の奥で聞きながら、椅子を引き立ち上がった。

その時の私は、息子が不登校である事に、皆さんの配慮に感謝とお詫びをしようと思ってた。
勇気を持ってその場にいるだけで必死だった。

確かに同級生は優しくてありがたかった。
でも今思えば、息子が謝るようなことはしていない。
子どもが学校に戻った時のために親だけでも
関係を作っておきたい気持ちもあった。

「もし今後クラスに参加することがあれば、よろしくお願いします」
と、頭を下げた。

そんな胸の中には、
悲しみを呼吸と共に押し殺すような胸の苦しさがあった。
そして息子の想いとズレている事もわかってた。
けれど、苦しさの中で押し通すことで
母親としての役割を全うしているような気もして
「不登校の罪悪感」と戦う気持ちで、その場に参加していた。

そんな私に対して多くのお母さんたちは、
とても好意的だったし「そんなの気にしなくて大丈夫よ」
と笑顔で声をかけてくれた人もいた。

でも押し殺した私の中で、本当は叫んでもいたんだ。

こんな想いまでして本人が学校に全くいないのに、
クラスの様子を聞いていることに何の意味があるのだろう


わが子が居場所だと感じていない場所に、
ずっとコミットしようとすること。
保護者として「皆さんと良い関係を築きたい」という想いだけが、
後ろに取り残されていくように感じた。

自分の苦しさにそんなに厳しくしなくてもいいんじゃない?
分かってくれる人少しでもいればいいじゃない?

そう思い、だんだん自分を緩めていった頃から、
保護者会にでることをやめるようになった。
周りの人は自分が思う以上に好意的だったのだ。
「まあ、そんなこともあるよね」って。
だからわかった。

一番に責めてしまうのは、自分の中の罪悪感だったのだ。

「そんなに頑張らなくても、わかってくれる人たちだから、
そこまで無理しなくて大丈夫だよ」って、
自分が自分に言えなかったんだと思う。

でもその罪悪感があるから、
その時は本当に学校に戻ることもできるし、
そのまま行かないでいる環境を作ってあげてもきたんだ。

自分にも優しくしながら、その罪悪感も
頑張りたくない気持ちも、両方の気持ちに優しくしてあげると、
その罪悪感はやがて自分のことを応援してくれたり、
調整してくれる力になってくれるかもしれない。


*******

長男の学校の保護者会に参加した。


その時に、息子さんが不登校となっていることを謝罪をされている方がいた。
席を引いて、深々と頭を下げられていた。


ああ、あの日の私と一緒だと思った。


この場所に来ることにどれだけの勇気を振り絞ったんだろう。

そして、謝罪されるその方をみて、
「謝るなんてしなくていいし、
あなた自身の気持ちを大事にしてあげてほしいな」と心から願った。
それをそのまま相手に伝えることがいいのかは
わからない想いもあったけれど。

けれど、私も同じ経験があるから。
この場所に来るのがどれだけ勇気がいるのかよくわかるって、伝えてみた。同時に、あの時に周りで好意的に受け止めてくれた保護者の方の気持ちも知った。



私の中にはすごく強くあるし、きっと多くの人の中にもある。
日本人らしい美徳なのかもしれない。

自分のしんどさよりも誰かに迷惑をかけないことを優先して、
まずは謝罪してしまう。
そして自分の力で立てる自分で居ようと、必死で頑張りすぎてしまうんだ。

私はそうして頑張りすぎて疲れちゃったけど。
そんなことしなくていいって思うことで、保護者会を休めた気がする。
今だって仕事と重なれば、言い訳ができてほっとする。

迷惑をかけないように頑張る気持ちの美しさもあるのだと思う。

ただ、思う。
本当に大切なのは、人に迷惑をかけないことではなくて。
自分の強さも弱さも知った上で、それを全部ちゃんと自分で抱えて、
それを見せながら、お互いに支え合える関係が作れることなのだと思う。


自分を大切にして学校に行かない選択をし、
それで自分の環境の中で、愛情をもらって生活をしている息子をみる。
彼は、自分の弱さも強さも抱えて、支え合って生きている人だなあと思う。

私も自分の弱さを美しさとして、もう少し素直に出せる自分になりたいな。
そういう人でいたいと思う。


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