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チームが無くなって上司が変わっての心境の変化

こんばんは。Kyonです。

気付いたら5月だし、言うてる間に5月も終盤。時の流れの速さとかいろいろやばい。

5月に入って、私の職場の人間関係が少し変化して、なんか気付いたなーっていうことを備忘録的に書いときます。まだ、自分の中でもまとまってない部分・理解しきれてない部分があるので、すごく分かりにくいかも。修正する可能性もあります。


所属チームが無くなった!上司が変わった!

いろいろあって、私が勤めている会社の中で、私が所属していたチーム(旧Aチームとします)が無くなりました。旧Aチームの持続可能性についてはいろいろ思うところはあったのですが、それはまた別の話。。

旧Aチーム解散に伴い、新たなチーム(Bチーム)が発足し、旧Aチームの一部メンバーとともに、Bチームに合流することになりました。チームリーダーが直属の上司となるので、結果的に私の上司も変わることになりました。

ただ、所属チームやチームメンバーは変われど、私が直近でしている業務は変わること無く、そのまま続くので、業務としてはあんまり変化は感じていないです。が、ちょっと変化を感じたところがあります。

“追われる”感じが無くなった

旧Aチームでは、毎日何か報告を求められることが多くありました。

例えば、毎月会社から来る「セキュリティチェックテスト」の実施についてだと、チーム内で〆切が設定されて、自分が完了するまで毎朝の朝会で完了を確認されるとか。

上司からすると部下が“ちゃんとやっているか※”を把握することは大事だと思うし、部下がちゃんとやっていなければちゃんとするように指示・指導することは上司の仕事なのも分かる。

※ここで言う“ちゃんとやっているか”という“ちゃんと”の粒度は、上司の価値観というか上司のベースが元になっている、というのが前提。ここ結構大事。メンバーが思う“ちゃんと”ではなくて、上司の“ちゃんと”なのであって、ここには絶対差分がある

だけど、毎日毎日報告を求められることは私にとっては辛かったんだなと気付いたんですよね。私自身は義務として求められていることは早めに対応・レスポンスするタイプだと思っているし、納期には間に合うような自分のタイミングで対応しているつもりなので、「ちゃんとやったか」を聞かれると、すぐ真後ろから常に追われている感覚になっていたのかもしれない。

あと、上司が思う“ちゃんとやっている”というベースに乗れていないと毎日毎日チームメンバーの前で「やってください」「いつやるんですか」「管理している人のことも考えて、報告をするべし」的なことを言われることも、“追われている”感があったんだなと気付いたわけです。

“責められないようにしなくちゃ”と思わなくなった

上記にも繋がるんですけど、旧Aチームのマネジメントは、毎日毎日チームメンバーの前(オンライン会議上で顔を合わせている場とかチャットとか問わず)で、「なぜやってないの?」とか「管理者の事も考えて対応しているか?※」とか「前にも同じ指摘したと思うけど、なんで改善できてないの?」とかをチームメンバー(私も含めてだけど私以外に向けてが多かった)が言われている状況が多分にあるマネジメントでした。

「管理者の事も考えて対応しているか?」というのは、チームの上には課があって部があるわけで、チームリーダー=管理者はチームの管理をして、課や部に報告する必要がある。だから、〆切があるなら、早めに報告できるように前倒しや報告の粒度を考えて、報告しないといけない、という意味。で、「管理者の事も考えて対応しているか?」と言われるということは、「管理者の事なんて考えて対応してないよね」と言われていることと同義、という感じです。

チームリーダーは私に対して上記のような指摘をすることは少なかったのですが、他メンバーが指摘されている場面を何度も見せられていると、「同じように指摘をされるようなことを私がやらかしたら、同じように指摘されるんだ」と思ってしまって、“責められないようにしなくちゃ”と思ってしまっていたのかもしれない。

もちろん指摘というのは、相手のことを思ってしていることだったり、改善の機会(チャンス)なんだけど、それをも受け取れなくなっていた点が問題であり、重要です。

Bチームになってからは、そういう毎日毎日報告を求められる場は無いです。変わらずタスクはあるけど、チームリーダーは「やっといてね」と連絡があるぐらい。チームリーダーが確認の必要を感じたら、各メンバーに「〇〇の件、どうなってる?」と確認が入る、そんな感じです。

チームリーダーとメンバーがフラットになった

旧Aチームは、管理者(チームリーダー、プロジェクトリーダー)と作業者に溝があることは、みんな分かっていて、それによって、指示的なマネジメントは通ってきていたように思う。だけど、自律的に作業者が動けるようなマネジメントだったかというのはかなり疑問です。

旧Aチームで私は、管理者寄りな役割の時も作業者寄りな役割の時もあって、どっちにも足突っ込んでるから、余計に溝を感じていました。なんとかしたいなと思って、自分ができる範囲で動いてみたけど、変わんなくて、後半は何もしなくなっちゃってた。なんかもう「チームのために」と考えるのが疲れていたし、「いろいろ考えても変わんないやん」「変わんないってことはメンバーみんなこの状態を良しとしていて、自分だけが良くないと思ってるだけなのかも」「私が良しと思うことにすればいいだけかも」と感じていた。

Bチームは今感じているところだと、チームリーダーはチームリーダーとして指示出しがあったりするだけで、溝はあんまり感じないように思います。

マネジメントって難しい

旧Aチームは、いわゆるマイクロマネジメント的なマネジメントの要素が多かった気がします。

どんなマネジメント手法でもメリット・デメリットがあるし、マネージャ・メンバーに合う・合わないがあると思っていて。詳しいことは省くけど、旧Aチームの構成・関係性においては、マイクロマネジメントは合っていない可能性もあったのかな。少なくとも、私へのマイクロマネジメントは合ってなかったと思います※。

※いや、あんたが、チームリーダーが思う粒度で仕事できてないから、言われてんじゃないのか、という点は否定します。旧Aチームのチームリーダーから「Kyonさんはきちんとやってくれているとは思っているけど、他メンバーがね・・・」と言われたし、過去に放任主義のチームにいた時も指摘受けてなかったので、そうではないと思ってます。

構成メンバーの性格や仕事の進め方によって、適切な、合うマネジメント手法は違うんやなぁというのが身にしみてわかった。理想論を言うなら、メンバーや状況に合わせてマネジメント手法を使い分けられるとベストってことかなと私自身は思ってます。だけど、「理想論で利益は上がらない」って言われた(旧Aチームのチームリーダーから言われた)から、理想論を語ることはあんまり意味が無くて時間のムダで、現実を見るとマネジメント手法を使い分けられることが正解ではない気もしてて、「難しいな」と思いました※。

※「難しい」って言葉でまとめて、思考停止すんなよって言いたくなるのは分かる。とはいえ、自分をマネジメントしている人=上司によっては、“理想を追求して改善するタイプ”なのか、“まず何よりも利益が出ないと何をやっても意味無しタイプ”なのか、他のタイプなのかがあって、そのタイプによって自分ができることは変わってくるから、自分マターでなんとかなる範囲は結構狭いんですよね。そういう意味で自分がコントロールできない=難しいって感じ。

チームが無くなって上司が変わっての心境の変化

改めて、心境の変化を言語化してみたことで、「自分ってこう感じていたんやな」と気付けました。「辛かった」とか、なんとなく感じていた違和感等、感情面に向き合えたのがよかったし、今後も折に触れて振り返りをしようと思いました。

それと、所属の新旧チームでどういう点が違っているのかを分析する機会になったなと感じました。分析の粒度は甘いのは分かってるけど、一旦ざっくり考えられてよかったです。

また、環境の変化があれば言語化していきますー。

サポートありがとうございます!いただいたお金で、今までしたこと無い体験をします。ビリヤニを食べることかもしれないし、SUPをすることかもしれません。その経験をnoteに持って帰れるようにします。よろしくお願いします。