女の子に親切にすることについて(村上春樹著「村上朝日堂」より)感想文

 失敗というのは心に大きなトラウマを残す。そのことを村上春樹のエッセイに見出してみよう。
 このエッセイで彼が述べているのは「過去に女の子にしてしまったトラウマについて」である。この壮絶なトラウマについて彼はこんな風に述べている。
「今でもよく覚えているのは十七歳のときのことで、その頃僕毎日阪急電車で神戸にある高校に通っていたのだが、ある朝阪急芦屋川駅で紙袋を電車のドアにはさまれて困っているとてもかわいい女子高生をみかけた。こういうチャンスを見逃す手はない。(中略)僕が思いきりひっぱったら紙袋がふたつに裂けて中身が線路の上にちらばってしまった。こういうのはすごく困る。」
 確かにこれは凄まじい大失敗である。しかし、ここで面白いのは、村上さんがここから得た教訓というか、「女の子に親切にすることについてのテクニック」である。
「いちおう断っておきたいのだけど、ただ単に女の子に親切にするというのはそれほどむずかしいことではない。(中略)僕がむずかしいと言うのはそういうことをやりながら、それでいて相手に『ハルキさんって親切ね』と言わせないテクニックのことなのである。」
 ここで重要なのは「親切ね」という言葉が持つ暴力性である。
 芦屋川駅での出来事から数週間した後、村上さんは女の子に「親切ね」と言われるたびにあの芦屋川駅での出来事を心の中で反復してしまったのではないだろうか?
 その結果、「親切ね」という言葉が持つ真の意味について気付いてしまったのではないだろうか?「親切ね」という言葉に隠された暴力性、これがこのエッセイの隠されたテーマであるように僕には思えた。


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