便所の落書き

こんばんは、やすなりです。
深夜テンションで思い付いてしまった、SNSの側面というものを書き連ねて行こうと思います。

1.SNSは世論なのか
最近はテレビのニュースや新聞においても、「ネットの声」というものが引用されるようになりました。それが不思議です。確かにネットの声というのは「世論の一部」でありますが、世論=ネット、という構図を無意識に当てはめているのではないかと。そしてインターネットがあたかも、「人類の集合智」であるかのように、私も含め大半の先進国の人間は心の奥底で勘違いしているのではないか、と考えています。だからこそ「ネットに真実がある」だとか、行きすぎた陰謀論が展開されるのではないでしょうか。

2.科学至上主義
産業革命以前の人類は錬金術、魔術であったり私たちからすると、トンデモオカルト的な世界が展開されていました。しかし、科学分野の「発見」で我々の生活は明らかに便利になりました。そして数々の実験と検証、犠牲の上に我々は生存しているのです。ですが、現実に我々は身の回りに存在する、科学によって産み出されたものを100%理解し、その仕組みを説明できる人はほとんどいません。むしろそれを平然となに食わぬ顔で使用し、その恩恵を享受しているのです。では、オカルトな時代の人々はどうだったのでしょうか。魔術や呪術、などを盲目的に信じて、それを「ありがたい」と信じて生活を営んでいました。気がついた読者さんもいらっしゃると思うんですが、これが「科学の再呪術化」ですね(哲学者が言っていましたが、誰が言ったか忘れました)。結構「科学的根拠」を要求する人とかいらっしゃいますが、それもまた、『科学を盲目的に信じて』いるに過ぎないのです。何が言いたいのかというと、科学的に全て説明しようとしたり、論理ばかりで「論破」とか言ってるのは全くもって、産業革命以前の人間と変わっていない、という指摘をしたいのです。

3.科学至上主義がネット=世論の構図を浸透させる
我々は知らず知らずの内に、「正しい科学的手続き」が行われていると盲目的になっているのです。だからこそ、科学的産物であるネットを信じてしまうし、ネットが「世界の声」だとか「世論の声」だとか、デカくなってしまうのです。我々の周りをよくよく見回せば、ネットに縛られていないホームレス、世界に目を向けてみれば、よくわからない教えを信じている人など色んな人がいます。まず、周りを評価する前に自分自身を見つめていきたいですね。


なのでね、皆さん一緒に哲学書を読みましょうよ…!

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