自分の無力さを突きつけられた原発立地地域でのある出来事:NPO法人ER.が生まれた理由②
みなさん、こんにちは!
ER.代表の鈴木です。
前回では、そもそも何で環境問題に関心を持ったか?という設立に至る初期の背景をご紹介しました!
中2から環境問題の解決を夢に見るようになった7年後の23歳のとき、その後の人生を方向づけるある人との出逢いがありました。
正直、自分のこの原体験は面接など、人生のここぞという時に話すくらいで家族や友人などほとんど人に話したことがありません。
それほど自分にとっては衝撃的であり、自分の無力さに打ちひしがれ、軽々しく口に出したくないものでした。
今回はそんなの人生の決め手となった出逢いを、心してご紹介したいと思います。
原発立地地域の原さん(仮名)との出逢い
大学院生活を送っていたある日。
1期上の先輩で、原子力立地地域ご出身の方からあるお誘いがありました。
「今度私の地元で、”みんなで地域のこれからのエネルギーを考えるカンファレンス”があるから来ないか?」
震災以降、日本全国の原子力発電は稼働停止を余儀なくされ、そこで働いていた多くの人たちが一斉に職を失いました。この先輩の地元でももれなく原発の稼働がストップし、人口1万人程の町で数百人が職を失うという大打撃をうけていました。
地域の経済もストップし、人の繋がりも空洞化していくなかで、原発の是非で揺れる町。そんな状況のなかで、「これから原発を含め、この地域はエネルギーとどう向き合うか」をテーマに地域外からゲストスピーカーも招き、地元の人たちと共にいろんな視点で町の今後を話しあう、とても大切なカンファレンスが開かれました。
当時、「どういうプロセスがあれば、様々なステークホルダーにとっても地球環境にとっても、望ましいエネルギー政策が採用されていくのか?」を研究テーマにしていたこともあり、迷わず「行きます」と返事をし、何人かの先輩と共に訪問することに。
カンファレンスではとても活発に質疑や議論が行われ、その日の夜、場所を移動して地元の居酒屋で懇親会が開かれました。
わいわいと地元の人などと交流するなかで、途中から入ってこられたのが、地元の出身者で当時30代後半の原さん(仮名)でした。
原さんはカンファレンスが開かれた原発立地地域出身で、高校卒業後、地元の職に就いていましたが、福島第一原発事故があってからそのリスクを実感し、原発推進をしていた町で反原発の声をあげるようになったそうです。
ところが、原さんが反原発の声をあげるようになった途端、両親から「俺たちは今まで原子力発電のおかげで飯を食えていたのに、何をいっているのか」と勘当され、同じく、当時付き合っていた恋人、昔からの友人も、反原発の声を上げた原さんからみんな離れてしまったそう。
「おれはこれからの町のことを想って反原発の声をあげた。なのに、おれの周りには誰もいなくなった。一人ぼっちになってしまった。もうこれからどうしたらいいかわからない」といいながら、突如私の目の前で、原さんが泣き崩れました。
当時23歳の私にとって、30代後半の原さんはとても”大人”な存在。
けれど、そんな人が、私の前で気にする余裕もなく泣き崩れている。
そんな原さんを前に、かける言葉一つ見つからない私。
ただ横で、涙ながらに背中をさすることしかできませんでした。
あぁ•••、なんて無力なんだろう。
このときほど自分の無力感に打ちひしがれたことはありませんでした。
環境問題の解決を夢に見て、エネルギー問題にたどり着いたけど、とてつもなく大きく根深い”何か”がそこには潜んでいることを知ると同時に、原発の是非やエネルギー政策の転換など、大きな流れに取り残されていく地域の人たちが現実世界にいる、という事実を目の当たりにした瞬間にもなりました。
同じ国にいたのに、そんな背景もつゆ知らず、23年間、自分がやりたいこと・勉強したいことをしてきた私は、何てお気楽で幸せな環境にいたのだろうと。自分の無知さに心底恥ずかしくもなりました。
この出逢い以降、「環境問題の解決」の夢に加え、「次に原さんのような方に、もし出逢うことになった暁には、一緒に涙を流し、一緒に汗をかき、一緒によりよい地域の在り方を考えられるような、そんな人材になりたい」と、使命感のような想いが生まれるようになりました。
その後、私はエネルギー政策や国内外の原子力政策を調べる日々が続きましたが、知れば知るほどかなり複雑でセンシティブで難しい問題を抱えていることを痛感。
それでも蘇るのは、横で顔覆い、泣き崩れる原さんの姿。
「こんなちっぽけな私に何ができるんだろう」という葛藤は今でも抱えつつ、原発の是非ではなく、例えば再生可能エネルギーなど別の切り口で、複雑な問題を抱えている地域の新たな産業づくりができないか?と考えるようになりました。
そのためには原子力発電・再エネなど、技術のことを知らないと話にならない。これからもたくさん新しいテクノロジーが生まれ続けるなかで、何がメリットでどんなリスクがあるのかをわからないといけないと思い、再エネなど最先端技術の開発をリードする独立行政法人に就職することになりました。
・・以上、ここまでがER.の立ち上げにつながる核となる体験でした。
その後、技術開発の団体にどっぷり浸かって社会人生活を送るなか、何度もよぎるのは原さんの姿。
様々な葛藤と共に日々を過ごす中で、2019年からNPO法人ETIC.という団体にたどり着きました。
そして、原さんとの出逢いから10年経った2022年、ついに”Just transition”という言葉に巡り合います。
最終回となる次回は、10年間かけてJust transitionにたどり着いた経緯、そしてなぜ「NPO法人ER.」を立ち上げるに至ったかの詳細をご紹介したいと思います。
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