見出し画像

頭の整理を兼ねて


何故ヒトは神を求めるのか
救いを求めるから
動物が祈っていないとは限らない
病気が治りますように
夢が叶いますように
死後の世界がありますように
幸せになれますように
運命の人に出会えますように
願望である
僕にはなんだかこういった信仰が醜いもののように思えてならない
弱さを感じる
弱さからくる狂気というか
そんな奇妙なものを信じているヒト科の生物が
奇妙に見えてならない
肌感覚で己の物質性とか、己がone of themであることを直感できればこんな奇妙なことを信じる気にはなれないと思う
まぁ心に深い傷を負ったヒトは仕方がないかもしれない。そんな理性的な言説を言ってられないほど
精神が変容しているからである。
精神は身体と同じように非常に容易く変容する
精神も風邪を引くし病気になる。
少し言葉が強くなるけれど
宗教家とか神秘家とか平和活動家とか皆んなどこか精神に不調をきたしている部分があると思う。
それは実際自分が躁鬱になって体感したことである。
気分がおかしい時に宗教やスピリチュアルは
体に染み込みやすい
要は全部ヒト科の動物の習性としてメタ認知できるということだ。
神を求めるとか。マインドフルネスの力を求めるとか
占いを信じるとか。全てヒト科の動物の習性として説明されるだけなのである。
根本的に、人間を特別に霊的な存在だと認めるか
少し知能が発達した他の動物と同じものだと認めるか
ここの立場の取り方が僕の考えの起点である。
僕は後者の立場である。
人間もまったく他の動物となんら変わらないものであると思う。確かに知能は著しく発達しているし高度な技術をもっているけれど、それは単なるヒトの特徴の一つでしかない。
人間にはシロイルカのように超音波を出せないし
グンタイアリのように体を使って建築したりできない
ヒトにはヒトの特徴が一番魅力的で圧倒的に偉大なもののように思えるけれど、それは生物の認識の限界と生物合理性に基づいた自己贔屓の機能からくるものだと思う。こう言った話は論理ではなく直感や体感の話だから想像力に任せるしかなく他者と共有することが非常に難しい。
僕がこう感じたのは海で泳ぐ鯨やイルカの映像を見たとき
海の約9割が未だ謎に包まれたままで、ヒトの把握外である。しかも把握したものについてもただ把握しただけである。海で泳ぐクジラにはヒトを知らないものがたくさんあると思う。クジラだけでなくてジャングルに住む動物とか、虫とか、微生物でもなんでも
ヒトとまったく交流せずに生きる生物は本当にたくさんある。
僕らは無意識のうちに地球を掌握したような気になっているけれど本当はかなり無力である。
例えば核戦争でヒトが滅亡した場合、
微生物や虫は生き残るだろう。
深い海に生息する魚類はヒトをしらないまま
ヒトが先に滅亡することになる。
ヒトは多くの生物の一種でしかない。
それぞれの生物が生存のために進化してきた形態の一つでしかない。
生物にとって最も優先すべきことは生存である
その生存の能力においてヒトは
他の一部の生物よりも劣っている
学問や芸術を持っているけれどそれはヒトが
図鑑で説明される際に一覧に記載される程度のものであり、そんなものはヒトにとって以外なんの意味をも示さない。
学問や芸術はヒトに対して初めて意味を持つのである。同種の生物に間でしか意味をなさないのである。
生物を宇宙的な視点で見た時に、学問や芸術は
ヒトという生物の変わった習性でしかない。
宇宙という視点において生物にとって重要とされるのは生存・繁殖であり、
学問や芸術が生存・繁殖に役立つという観点以外には
それらに何か霊的な美的な価値はありえないのである。
ヒトが学問・芸術に美的価値や霊的評価を与えるのは
それはヒトがヒトに対するものであるからだ。
ヒトにおいて初めて価値を意味を持つのである。
ヒトの認識を離れて客観的にはなんの価値を意味をも持たない
宇宙においてそんなことはなんの関心ごとにもならない
こう考えるとやはりヒトは単なる生物だと思われる。
でもヒトがヒトに対して霊的評価をあたえるのもまた
自然法則に則った全く自然な傾向だと思う。
ヒトには生存の上でそうした
自己を霊的なものとして捉えることが必要だったのである。
その方がヒトという生物の生存上有利だったのである。だから私たちの体にはそういった機能がもたされている。
気の遠くなるような時間をかけて進化してきた上で獲得されたヒト固有の機能である。
だからヒトという生物としてはその方が健康なのかもしれない。
しかしヒトは非常に発達した。理性を文章にして
己の身体から分離させ独立して存在させられるようになってきた。
それならばその理性に従うよう努力すべきである。
こういった生物の合理的習性をメタ認知によって抜け出すことは、ヒトのさらなる進化の上でこれまた自然なことであろう。
進化の潮流には逆らえない
神が死んだときから今までそしてこれからも
さらに神は死に続けるのである。
自然法則にはさからえん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?