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自分であることに安心すると、運のいい自分が育つ。

算命学は、さまざまな角度から
立体的に宿命を紐解くため、占技も多岐に渡ります。

ネットなどで、誰でも無料で鑑定できるのは
本当に、入り口の入り口なのだということが、
いわゆる「奥義」と言われる部分を学ぶようになって
よーくわかる。

でもまあ、人って、
そもそも多面的で立体的ですものね。

一つの問いに対して、
一つの答えはない。

たとえば、
「私、金運いいですか?」
みたいな質問があったとして、

ある側面から見たら、
財にはとても縁のある人であることが言えても、

別の側面から見ると、

「多くの財を得るようなことになると、ロクでもないことになる・・」
という可能性が出てる人や、

「財がきても、受け皿小さくて、受け取れない・・」
という可能性を持ってる人もいて、

そうなると、一言で、
「金運がいい」
と言えるのか・・?という話になったりして。
(そもそも、金運がいいという概念から擦り合わせないとならない・・)

言える事としては、
いいも悪いも含めた「自分」を
受容できていて、
自分らしい判断ができるのが、

大きな意味で、
「金運のいい人」
ということになるのかなと。

出来事における、
運がいいとか、悪いとかも、
ただ、そこだけを近視眼的に見ると、
良かったね・悪かったね・・という話だけど、

一見、
「なんちゅー不運・・」
ということだって、

それをキッカケに奮起して、
花開いていく事になった人なんて、
山ほどいるし、

突然のラッキーが、
人生の歯車を狂わせていくことに
なっていく人もいる。

本当に、人は、
その構造が、一人一人違っていて、
だから「答え」は、一つじゃないし、

物事を、どう捉えて、
どう行動するかで、
その後の道は、全く違ったものになる。

そう言ういみでは、
運が良かったか、悪かったかは、
うんと後になってからじゃないと
わからないんですよね。

だから、
一般的な、いいとか悪いで
自分や自分の人生を決めつけなくて
全然いい。

それより、
自分の資質や構造を知って
(ここは算命学が役立つところ)

日常生活の中で、
自分を観察し、受容し大切にしながら、
自分にフィットする環境や考え方を
模索し行動し採用していく。
(ここは、自分で決めてやるところ)
 
そうやって、自分に集中できると、
私達って、
「安心」するんですよね。
 
運がいい人って、
自分であることに、安心して
リラックスしてる人でもあります。

つまりそれは、
日常生活を通じて、
育てていけるものだと言う事。

自分を知って、
自分である事に寛いで、
安心感とリラックスを。

それが、
「運がいい自分」を
育てるはずだから。















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