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10年以上続けたこの世の悪いものを煮詰めたSNS、「X(Twitter)」を辞めた話

日常の必須ツールだったTwitter

私がTwitterを始めたころは中学生だった気がする。まだアイコンは青い鳥が健在だったのが懐かしい。
オタクの私にとってTwitterはすべての情報源だった。韓国運営からの情報、日本運営からの情報、ファンが共有した情報、写真。それだけにとどまらず、世の中の流行・ネットミーム、ニュース速報までTwitterを見ればすべてが解決する。しかも、同じ趣味の友達が現実にいない私にとっては友達を作るツールでもあった。

その日常的に必須だったTwitterをつい先日、ぱったりと見ることを辞めた。
理由は簡単。今のTwitter、いや「X」は改悪に改悪を重ね、世の中の悪いものを全部鍋に入れて煮詰めたような特級呪物SNSになってしまったからだ。
そんなものが蔓延るのを見ているだけで自分の精神が削られていて、その時間が無駄だとある日、気づいたのだ。

おすすめ欄を見れば女叩き、男叩き、風俗、クソ客の話、整形、ルッキズム、嘘松、副業、インプレゾンビ、ODなどの自分を痛めつける系統の投稿。
オタク垢では運営に対する不平不満、オタク同士の喧嘩、愚痴垢、暴露垢、批評(笑)垢。(この辺に関しては後述する)
上げたらきりがない。


自分もかつては「そちら側」だった

私はTwitterのアカウントを複数持っていた。オタク垢、取引垢、社不(闘病)(社不界隈というのがTwitterにはあります。信じられないかもしれませんが)、界隈の言いたいこと言う垢。横線で消してあるのは過去に削除済みです。

界隈の言いたいこという垢、以下批評垢とする。オタクをしていればやはり運営や活動に対して不平不満を抱くことはあり自分はそれを吐き出さないと気が済まない性格だ。まさに「厄介」そのものである。

表のオタク垢で最初は呟いていたが、ただ楽しく推し活をしたい派の人が多いTLだったのでその人たちの目に触れないように批評垢を作ったのだ。
そこでは運営や活動に対する不平不満、界隈で起きた出来事に引用でぶつぶつとつぶやいていた。自分の推しグルだけでは無く、他のグループまで。

そこで呟くとすっきりした。つぶやくだけならメモ帳に書きなぐればいいのだが、今考えると誰かに見てほしくて誰かに共感してもらいたかったんだと思う。そういう批評垢というのは大体マシュマロ系の箱を設置していて、自分ももれなく設置していた。あまりくることは無かったがぽつぽつ来るのには答えていたけど、ある日マスターの写真について呟いたところ物凄く鋭利なマロが届いて「匿名でしか攻撃できない奴に通りすがりで殴られて傷つけられるの、キショ…」となってその日に批評垢は消した。

匿名でしか攻撃できない奴も相当きもいけど、暴露垢とか情報垢とか、ひたすら界隈に文句言ってる垢もほどほどにキショい。普通に。私ももれなくキショかった。
いや、普通にキショくない?オタクの分際でさ、色々ご意見番みたいなことして同じようなフォロワー抱えてそれで自分のオタクの中での地位を確立してると思ってるの。

正直、この時に自分で匿名でしか攻撃できない奴からの攻撃に傷つく必要が無い事に気付いていたのだからほどほどにしておけば良かったものの、このころの私はTwitterが無いと生きていけないほどのツイッタラーだったので批評垢を消すだけで私のツイッタラー生は続いた。



それでも足を洗おうと思った訳

こんな生粋のツイッタラーがこの闇鍋SNSから足を洗おうと思ったきっかけは2つある。

1つは社不垢を見ていた時。自分は精神疾患を抱えてから同じような人がいるところで感情を吐き出すために作った。それ自体は良かった。
ただアルゴリズムというのは怖いもので精神疾患というとやはり希死念慮が関係してくることもあり自×を仄めかすツイートやODのツイートもおすすめ欄にたくさん流れてきた。それだけではなく何となく見たものまでどんどん流れてくるようになった。それは先述した女叩き、男叩き、風俗、クソ客の話、嘘松、副業などなどである。(Xをやっている人であれば大体想像つくであろう)

それを見ていくうちにどんどん思考というか思想がそっちに寄っていくのだ。
なんというか…自分でも振り返ると少し異常性を感じるくらいの過敏で強めの思想、X思想になってしまった。()

そこまで影響される自分も自分なのだがXを見ているとオスはキモいと思ってしまうし女性に対して「まんさん」と呼ぶのを見た時はシンプルに吐き気がした。
あまりにもXを見ている時間が長いと自分でも感じてそこから少し控えるようになったけど、それでも毎日暇さえあれば見ていた。

そんなある日、朝起きていつものようにXを開くとある投稿が目に入った。
過激なものなのでオブラートに包むが芸人に対して行われた性犯罪紛いのドッキリの内容を載せたものだった。
私はそれを見た直後は気分は悪かったものの流し見したつもりだったが、後になってそれがずっと頭の中でぐるぐる回って気持ち悪かった。よくテレビで見ていた人だったし想像するだけで怖くてほぼトラウマみたいになっていた。
そこでようやく、気づいた。


「あ、このSNSおかしい。」


それからその系統が流れてくる社不垢は削除した。でもその時点ではまだオタク垢は残っていたしXを完全にやめる考えもまだ無かった。

それから暫く経ってオタク垢で運営のあることが気に入らず私はタイムラインに乗らないように「@no_tl」をして公式のツイートを引用して意見を書いた。
そういったことを批評垢を消してからたまにオタク垢でしており、ふぁぼや引用が来るのが煩わしかったのでFF外の通知はOFFにしていた。
それでもその日、先述の気に入らないことがあって引用ツイートしたものをまた別のオタクに引用された。
初期アイコンのまさに「愚痴垢」に。

自分は基本的にXでレスバする気は全くないので内容は全く読まないままブロックしたがまあまあ鋭利だった気がする。その後のツイートをちらっと見たけど酷い言われようだった。
その時にまた思った。「自分の意見を言っただけで通りすがりの素性もわからないようなアカウントから傷つけられるなんておかしくないか?」と。

その時、「ああ、もうXやめよう。私がやっていたTwitterはもう消えた」、そう思った。
これが足を洗おうと思ったきっかけの2つ目である。

ここでは何を言っても名前も素性もわからない、ただ陰湿にぐちぐちと呟く人間にボコボコにされるだけの場所になってしまっていた。Twitterって、こんな真っ黒くてレスバするしかない場所だったっけ?



Xから距離を置いてみた

それからオタク垢は一旦ログアウトをして、パソコンからでしか開けないようにした。それからTLに載らないようにFFに向けてXをきれいさっぱり辞める旨のツイートをした。
取引垢はまだやり取りが残っているのでログインしているがiPhoneのホーム画面のトップにあった青い鳥のアイコンは何回もスワイプしないと開けないファイルの奥に設置。

まだ距離を置いて数日しか経っていないけど少しばかり尖っていた神経は落ち着いた気がする。(まだ気がするレベル)
私がXを見てない間もオタクたちはまた何かもめていたようだけど見なければもめていることすら知りえないので後からそれを知ったときは気が楽だった。今までは全部の問題に首を突っ込んで意見を言ってアイドルの為に怒っていたから。

それに、社不垢の時に悩まされていた女叩き男叩き整形etcのXをやっていなければ知りえないであろう話題も一切入ってこなくなって膨大な情報を処理しなければいけなかったのが一気に無くなった。

気休め程度にBlue skyに移行をしたがそちらは大変穏やかだ。同じグループを好きなファンはまだ韓国の人たちしかいないけどケンカもしてないし、お互いの国を貶めるような内容の投稿も今のところ見ていない。
とりあえずはここで少しひっそりとオタ活をしようと思う。

今までXが友達を作るツールだったし、友達と疎通する場所でそれが無くなってしまって一人でオタ活をしなければならないことも増えて少しどころか、めちゃくちゃ寂しいけどいつかこれも慣れるだろう。


何事も距離が大事だけど

Xから離れてみて色々と考えたことがある。それはXの改悪に対する批判だけではなくて自分がSNSを使ってオタ活をするときの姿勢についても考えた。
大前提として言えるのは、Xを使うにしても距離が大事ということ。面白いと言えど、依存しすぎてはいけない(当たり前)。

この文章はTwitterを悪者としか扱ってないけど自分のようにあまりにも共感性が高かったり、影響されやすい人は普通にやめたほうがいい。(言い過ぎ)

ここまで文章を書いてあまりまとまりがないことはわかっているが少し気づきを書き出してみようと思う。

★いくらオタクがSNSで批評しても、アイドル本人に届かない
今やたくさんの人が自グルの批評垢を作って気にいらないことはちくちくと呟き、マシュマロを設置して、日々暴露や情報漏洩をしているけどアイドル本人に届くわけがない。
いや、エゴサしてたらそりゃあ届くけど。届かないっていうより眼中にない、多分。少なくとも私の推しグルの人はそうだと思った。
今回のアルバム活動でタイトル曲が海外のよくわからない、しかも雲行きが怪しいDJとのコラボでオタクは憤慨していた。でも、私たちがそれを心配している間アイドル達は船の上で楽しそうに遊んでいた。

それを見た時に、まあ時間は少しずれているかもしれないけど「オタクが心配するかもしれない」ことなんて気にしてなくて自分が「アイドルの為に怒って”あげている”」ことがマジで無駄だと実感させられた。
オタクの怒りも、界隈で起きた事象についてポエムを載せても全部無意味だ。
良い意味で誹謗中傷の類が彼らに直接届いていない証ではあるものの、私たちが怒ってもなんの意味も無かった。(気づくのが遅い)
いくら界隈で理不尽なことや胸糞悪いことが起きても最終的な行先はアイドルたちがどうにかするのであって、それは私たちがやることじゃないしできることじゃない。

それは所詮「ファン」だから。
娯楽として消化している側だから問題脱出のためにどうにかするのは人生を懸けている側だと思う。冷たい言い方かもしれないけど、自分たちのことを最優先にしないでほしいというアイドル側はそう願っていると思っておく。

★何でもかんでもシェアする必要ない
1から10まで誰かとシェアする世の中になっているけど別にいちいち共有しなくていいと思った。共有したい気持ちの中にある1番面積を占めているものは誰かに聞いてほしい、認めてほしい「自己顕示欲」だと思う。

SNSが普及してから元々あった各々の自己顕示欲が爆発して何でもかんでも共有する世の中になってしまった。
自分の意見を持つことは悪い事じゃないし発信をすることも悪い事じゃない。でも自分の中で思ったことは自分の中だけで留めておいてもいいこともあるんじゃないかとふと思った。

Xから距離を置いてからどうしても外に出して感情を消化しないと気が済まない時はX風のメモアプリを入れてそこに書き殴った。それだけで少しは落ち着いたし慣れてくればそれで事足りるようになった。
手軽に発信できるSNSだからこそ色々と投稿してしまうけど可愛いものも綺麗なものも、自問自答の結果や愚痴も自分だけが見られる範囲のところで留めておくのでも別にいいなって。これは完全に自分の感想。


手放そうと思えばできる

今までTwitterは私の生活の一部だった。
それがないと情報源がないし周りについていけない、友達ができない、生きていけないとまで思っていたし絶対に手放すことが出来ないツールだと思っていた。
でも今回きっかけがあって手放してみたら意外と簡単だった。
無くちゃいけないものも手放そうと思えばできるものだと学んだ。
Twitterだけじゃなくて、そういう取捨選択を繰り返して人生を歩んでいくんだな。

オタ活において交換系をするときには使うかもしれないけどおそらく当分は自分から意見をXで発信することは無いだろう。

勿論今回書いた感情論以外のXの仕様変更がゴミカスなのもあるけれど私は以上の理由からXから離れました。

もう私には其れが無くても大丈夫。

試行錯誤しながら他人にインフルエンスされない人生を歩んでいきます。

拙い文章、まとまらない考えですがここまでお読みいただきありがとうございました。

おわり

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