鑑賞者の状態(1

本について思い返してみると、展覧会のことや様々なライブのこと、買ったCDやDVDのことなども振り返ってみたくなるけれど、あまりちゃんと記録が残っていない。
ジャズ、アンビエント、フォーク、アンビエントなジャズ、ソウルフルなジャズ、ディープなアンビエント、フリーキーなフォーク、パンク。聴いた音楽についてまとめようとすると、どうにも、なんかキザったらしいものばかりに見えてしまう。
代わりに思ったのは、鑑賞者の状態について。いつからか池間由布子さんのライブに通うようになった頃から意識するようになったけれど、やはり状態が大切だ。体力と心持ちと。つまり、いきせききって急いでいくようでは、フルに楽しめない。息を整えたり、あと、なんか残してきた想念がライブの間もしきりに思い出されたりする。それはそれで何だか頭が回転して面白いのだけど、ライブそのものの感じを楽しみきれていない感じがする。
あと飲みすぎると寝るし、飲まなさすぎてものりきれてなくて楽しくない気もする。とはいえライブの性質もある。静謐な音楽というとヘンな言語だけれど、そんな場もある。うるさくたって、がんがん眠気はやってきたりする。それは演者のテンションだったりその日の演奏が自分の波長に合うかどうかというのが肝要であるけれど、いかにいいコンディションで見るかが大事になってきている。
なにかライブについて考えるとすると、上がりすぎて管楽器のようになった哲夫と又サニーと潮田雄一+久下恵生はほんとうにすごかった。それと池間さんも年の半ばまであまり見れてなかったけれど、なんかすごく進化している。年々知名度もうたも成長しており、刺激を受ける。あなたとわたしと船の歌が刺さる。と思えば昔からやっている曲も変化を続けていてそれも面白い。そのよさは当然として、とても真摯な人だと感じる。
菊地成孔さんのラディカルな意志のスタイルズも、ものすごかった。音源がまだ出ていないからこその面白さもとてもある気がする。聴いてしまうから、何か覚えがあるもののように感じて、脳内再生されてしまい、新鮮な音への感覚が弱まるのかもしれない。バンド名からしてもそうだけど、無性に文学を思想を感じる。もっと見てみたい。
音源もそうとう色々きいたけれど、ひとつ上げるなら、KRISTO RODZEVSKI『Batania』はものすごくきいた。とても豊かな音。ユニオンのキャプションに、玄人揃いで何度でもいつまでも聞けるもの、と書いてあったのがその通りで、やはりユニオンはすごいと思う。
美術館にも意識的によく行っている。美術の仕事からはなれて4年経つけれど、なんだかやっと仕事の視線からはなれて見ることができるようになった、気がする。仕事とは技術であるから、どうしても感性も仕事の感性に食われるところがあった。感性はだいたい一つのはずだから。
キャプションを見ずに進めて、気になったらキャプションや解説を読むのは変わらないけれど、だんだんとキャプションも楽しめるようになってきた。立花文穂の展示が断トツで素晴らしかった。あの自由さ伸びやかさ、唐突な音楽など、すごいものを見た。あの均整のとりかたも、すごいし、どこかかわいい。大竹伸朗、リヒター、数々みて残っているものは多くあるけれど、大竹さんは薄塗りの薄明かりみたいな大きな絵と、リヒターは最後のドローイングに心惹かれたのをよく思い出す。
あ、ウォーホルキョウトもすごくよかった。あの規模で初期のドローイングを見られるのは稀有なのでは。予算都合もあるのかもしれないけれど。やはり線と色の力が卓越していて、でもやっぱり、何か時代を見越した目がすごいのだなー・・・、などと感じる。
もう一つすごかったのは、去年でなく今年見たけど諏訪敦さんの府中市美術館の展示。みすぎて燃焼したのだろうか……すごいストーリーであり、ドキュメントだった。絵画を見る、ということの面白さやヤバさを思ったのは豊田市美術館の奈良美智展以来なんじゃないか。人物がもちろんすごいのだけれど、あの発光しているみたいに置かれた静物画。そこにさす炎、光と煙。そこに艶かしさを感じるというのはどういうことなのだろう。順を追ってじっくり見られた府中という場もとてもよかった。
だからそう考えると、現代絵画のよさは、同じ時代同じ空気を摂取しているからこそ伝わるものは大いにあるんだろうと、あらためて。リヒターは正直ぐっとこなかったし、大竹伸朗は勿論とても尊敬する存在だけれど、どうもその行為の軌跡ばかりが頭に残ってしまって、作品そのものにぐっとくることが少なかった。
ギャラリーでは横山雄さんの展示を2回見た。彼はすごく卓越したカラオケ者というのにもおそれいったけれど、あの線に込める感じとバランス感に、もっと続きが気になる。井上有一のような現代書道にも通じるものがあるのでは?どうだろう。絵画というのが絵具という物質からなる抽象であるように、「線」というのは抽象なんだ、というのも感じた気がする。ミニマルで豊かなもの。ギャラリーといえば遠藤薫さんのあざみののグループ展もよかったし、あとは森岡書店などでのLEE KAN KYOは手伝っている身ながら、いいものを見せてもらった。「手作りのNFT」なんて本人がいないと、同じことをいっても説明のつかない感じがすごい。でも本当は絵がうまい人(STUDIO)なんだなとも思う。でもむしろ、目とかコンセプト、粘り強さがすごいのだろうな。大阪polの平木元の個展も素晴らしかった。額装自体が素敵だし、ああやって、額装で一枚一枚見てみたいとずっと思っていた。日本語のタイトルというのも、その場でのストーリーを考えるのにいいのだろう。どこまで説明するのかは、按配が必要だけど。なんだか、暗いし哀しい、けれど前向きな何かを感じた。ブルーズというのだろうか。色々と、試しているみたいだ。
映画館では、年明けに見まくったタルベーラはすごかった。サタンタンゴはもういいけれど、あの不良ミュージシャンの映画はまた見たい。すずめの戸締りもよかった。あとは、わたしは最悪、か。ストーリーの語り方のレベルが段違いだった。あ、ヴェンダースのオールナイトもよかったな。岩波ホールでの、チャトウィンの映画も。
フタつきの缶というか瓶のチューハイが大層役に立つことが分かった。
思い出していくときりがない。


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