救急車に轢かれるような話だ
「ウニを食うのは、はじめてかい?」
磯の香りが乗った漁村の風に、小学生のころの麦わら帽子を見た。私は仕事を休んで、なぜだか漁村にいる。
「はい。なんだかウニを食べるのは情けなくて。人として」
「そうかい」
分厚い軍手をはめた漁師のジジイがナイフで殻を割る。スプーンで黄色い生殖巣をかきだして、皿に乗せては殻をバケツに捨てる。
ウニは軍手の上でかすかにトゲをくねらせており、カシュ と軽快な音とともに死ぬ。私はジジイの隣に腰掛けて、カシュの音を数えていた。
朝だった。漁村の風が首を撫でる。汗がツツツと筋を伝って気持ち悪い。額の汗をワンピースの袖で拭う。夏は生き物の気配に満ちている。あいつもこいつも生きている。死んでは腐る。
40回目のカシュを聞く。見ているとたまにウニではない、なにか人の顔のようなものが混ざっているが、ジジイは同じように割って、かきだしては捨てている。
「今年はな、ウニが少なくて、ひめてんが多いんだ」
「ひめてん」
「こいつだよ、これ」
ジジイはそういって、ひょいと肌色の丸いモノを取り上げた。あらためて見ると、それはたしかに人の顔で、口角をあげて笑っている。若さも老いも感じる、私はこの人をテレビで観たことがある。
「引田天功さんですね」
「おう。プリンセステンコーな。略して姫テンだ」
「なるほど。姫テン」
「姫テンはな。ウニに似てんだよ、味が。だから、こっそり混ぜちまう」
「気付かれないんですね」
「ああ、姫テンも食ったことねぇのか」
カシュと姫テンにナイフを入れる。スッと一文字に顔が割れて、中からウニそっくりの生殖巣が現れた。それをかき出して、手のひらに乗せる。
「じゃあ、ちょっと食ってみるか」
「そうですね。せっかくなので、いただきます」
私はてのひらでお椀をつくった。ジジイは「そうか」と小さい声でこぼし、手を引っ込めて、また作業に戻った。
私は手を差し出したまま、カシュ、カシュと定期的に鳴る音を聞く。このままじっとしていたら、手でお椀を作った私の石像でも建つんだろうか。そんなことを思った。