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漫画家・山田花子が描いた弱者の世界の素晴らしさについて

山田花子 というこれ以上ないほど記号めいた名前の漫画家を知っているだろうか。本名は高市由美、圧倒的で誰も真似できない世界観を持つ、まごうことなき天才だ。

彼女の作品はまさに唯一無二のギャグ漫画だ。ここまで人間を見ている漫画家は稀有である。社会的弱者はもちろん強者も読むべき作品なので、かつて山田花子が暮らした東中野にてきちんと文章を書きたい。

山田花子の24年を書いてみる

山田花子は1967年に誕生する。ちなみに姉にはガロの編集者として根本敬や蛭子能収、ねこぢるなどの作品を手がけ、アックスの副編集長をしていた高市真紀がいる。

小学生のころは赤塚、藤子、楳図などのギャグ漫画を好んでいたそうだ。中学生になっていじめを受け自殺を図っている。この原体験が彼女の作品の特徴になる。

一方そのころ なかよし に漫画を投稿しており15歳の若さに「なかよしギャグまんが大賞」で佳作を受賞。なんと16歳にして連載を始めるが17歳にして連載終了が決まった。

その後は専門学校に入学し、21歳にして大名作「神の悪ふざけ」でちばてつや賞を受賞。選考委員の「好き嫌いはともかく一度読んだら忘れられない作品」という選評がそのまま彼女の作品を言い表している。同作でヤンマガの連載を持つと選評通りカルト的な人気を博すも、多くの読者からは受け入れられず、読者アンケートではワースト1位となった。

その翌年、姉がガロの創設者・長井勝一に山田花子の作品を紹介。自身が憧れていたガロで作品を発表することになり、次作「嘆きの天使」から青林堂より漫画を刊行するようになる。このころは最盛期でケラリーノ・サンドロヴィッチの劇作を書いたり、ビートたけしのテレビに出たりと、メディア露出が増えていくも、だんだんと元気がなくなり、母親や姉にすら心を開かなくなっていく。

その後は統合失調症の症状が出始め、精神的に衰弱していく。徘徊しているところを警察に保護されるなどの奇行が目立ちはじめ、療養病棟に入院。このころの日記には「夢と希望があるからいけない」「私は暗いから馴染めない」といった内容がメモのように書かれている。その後、24歳にしてアパートの11階から飛び降り、自死する。

山田花子のマンガを書く前に「自殺直前日記」を出した太田出版のクソ編集者に告ぐ

ちょっと怒ってしまったので、汚い言葉を書きます。嫌な気持ちになるかもしれないので、ぜひこの段落は読み飛ばしてください。

山田花子は自死する当日まで日記を書いていた。現在は「自殺直前日記 完全版」というクソみたいな名前で書籍化されている。このタイトルをつけた太田出版のクソ編集者も、こんなクソ三文書籍の出版を許可した家族も、腹立たしくて仕方ない。私はすごく怒ってるので、Amazonの紹介文を晒します。

「完全版!」じゃねえわ。お前らみたいな、完全商業主義のクソが山田花子の自己嫌悪を増幅させてしまったことになぜ気付かんのか。どれだけ浅い人生を送ったら、ここまでセンスがない文を書けるんだ。出版社にいて文章の書き方も知らんのか。山田花子を読んだことがない人間だから書ける、異常なほど暴力的なティザーだ。しかも装丁も黒赤。どこぞのコンビニ本のようだ。こんな装丁の写真はとても載せられないですよ。noteのドメインが汚れるので。

この編集者の顔は容易に想像できる。創作を作品じゃなくて商品と思っている単純な馬鹿で、頭が悪くて、しかも上っ面だけは「デキる編集者」みたいな顔をしてやがるんだろう。馬鹿のくせにまったく愛せないからもうどうしようもない。編集者としてのプライドも感じられない。ガロの、青林堂の真逆だ。帯を書いている西村賢太が可哀想で仕方ない。

ナックルズじゃねぇんだぞ。人の一生の最期の瞬間を出版するんだろうが。どうしようもなく馬鹿な中年がヘラヘラ笑いながら編集している姿が目に見えるようで、絶望のなかで逝って、なお商売に使われている山田花子の心情を思ったら、もういよいよ中野ブロードウェイのタコシェで、はらわたが煮え繰り返ったのだが、ついに買ってしまった。タコシェは山田花子の親友・友沢ミミヨが看板を描いている。

このお金は太田出版や高市一家に渡したわけじゃない。このnoteでクソ太田出版のクソ編集者を糾弾するために払った。山田花子の作品や漫画家としての素晴らしさをきちんと書きたいから買った。はい!この話終わり!

山田花子にしか描けない「弱者の世界」

山田花子の漫画には、どこか世間に馴染めない「弱者」がたくさん出てくる。おおかたの作品の主人公が生きづらさを抱えているのは、山田自身がそういった存在だったからだろう。人の顔色を伺い、空気を読み、周りに同調する。意見はあるものの声には出ない。とにかく窮屈で作り笑いが顔に張り付いてしまう。この感覚はとてもよくわかる。

最近でこそ我ながら堂々と意見を話せるようになったが、20代前半のころはどうしても空気を読んでばかりだった。とにかく嫌われたくない。でも相手が話していることは間違っていると心では思っているものの、その場を乱したくはない。変な波風を立てたくない。

この心情描写のリアリティがとにかく凄まじい。

私は「嘆きの天使」に収録されている「MYWAY」という作品が大好きだ。主人公は「クラスに馴染めない、でも給食で班をつくる時間だけはクラスメイトと歯の浮いたような会話をする女子高生」。この設定である。分かるでしょうこの感じ。

彼女は奇行のせいでクラスメイトから嫌われている女の子と仲良くなる。2人だけで集まり「クラスの連中は俗物だよね! 思考が止まっているから集団行動しかできないんだ!」って話したりしていたけど、いつしか嫌われていた女の子はクラスの輪に入り、最終的に主人公が1人ぼっちに戻る。

このストーリーをギャグとして描いているのが、まず天才的だと思った。また、1ページごとに描かれる人間関係の何と細かいことか。この話の凄さ、というかこれは山田花子の作品全般にいえることだが、決して、主人公がいじめられているわけではないのだ。言うなればただの空気なのである。真に日光の当たらないモブなのである。

いじめられっ子を書いている漫画は山ほどあって、それはそれは読みやすいものだ。ただそのいじめられっ子がアップで描かれた絵の背景には、いじめられないように黙っている無数のモブがいる。彼ら彼女らは、本来なら主人公にもなれない。しかし山田花子はその(本当の)日陰にいる人間を描いた。この立場の人たちのおもしろさ。普段なら聞けない心の声を描いた。この眼の鋭さがすごい。

モブサイコをはじめ、モブキャラ(地味キャラ)にフィーチャーする動きはあるものの、モブの根暗さをこのままペンに乗せられるのは山田花子くらいなのではないか。これは今でも画期的に見える。

夢も希望もない、のではない。夢も希望もあるから人は辛い

山田花子の日記は辛い。ほぼメモ書きに近いのだけれど、生の声なので真に迫ってくる。彼女が亡くなる2カ月前に描いた「魂のアソコ」にはこんな印象的な一文がある。

夢と希望は子供を惑わすハメルンの笛吹き いつも裏切られてもういやッ! でも歩いて行けば幸福がつかまるかも 私って何て甘いんだろう」

山田花子は最期まで夢と希望を持っていたのではないか、と思う。夢と希望があるから人はもがくわけで、ハナから夢も希望もなければ、何かを追うこともないのだ。生きることの辛さはここにある。横の棒を一本足すまで……それまではやはり辛い。

誰もが認められるようになったらいい

山田花子の死を受けて、漫画家やミュージシャン、役者などが一斉に追悼文を書いた。根本敬、蛭子能収、内田春菊、花輪和一、丸尾末広、井口真吾、安彦麻理絵、みぎわパン、友沢ミミヨ、原マスミ、大宮イチ、赤田祐一、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、石川次郎、湯村輝彦、竹中直人、手塚能理子、大槻ケンヂ、石野卓球、知久寿焼、石川浩司、武内享と、ガロ・ナゴムを主にした、とんでもないメンバーだ。

作り手は基本的に自分と向き合っている人間であり、自分に没入するほど、人は根暗になってゆくわけで、こうしたアーティストたちは、みな山田花子の世界観に共感していたのだろう。

山田花子の死を受けて「もっと誰もが認められるようになったらいい」と思った。真に思った。今はSNSがあるからとてもいい時代だな。緊張して人に何かを伝えられない人も、匿名で何かを書けるからいいな。

何を作っても、その人のことすべて認めてあげたい。「それだと成長できないじゃないか!」とか、もういい。そんなスポ根はもうやめて。はちまきは捨てて毛布を抱いててください。

いや、そんなスポ根すら認めてあげたい。誰もが軽やかに生きられるような世界になったら、世界はうんと楽になるだろうな。

よし、ここは脱・般若で太田出版の編集の方も認めてあげよう。あなたのおかげで山田花子が世に広まったというところもあるしね。いやはや、ありがとうございます。

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