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noteで西洋美術史をみんなで楽しく読み解く連載

こないだイロハニアートさんで連載していた西洋美術史の連載が無事に終了しました。全30記事。あらためて見返したら約1年もやってた。すげえ。

下の記事にまとめていますので「おじや用のレンゲ」がくるのを待ってる間にでも、読んでください。

いやこれ書くの、毎回マジで楽しかったんです。ほんま幸やった。エクセルシオールカフェで原稿書いてる間はふわふわしてたし、たぶん頭の周りをティンカーベル的なサムシングが飛び回ってました。

「エジプト文明でミイラ作ってた理由」とか「ルネサンスで写実主義が流行った理由」とか「印象派がなぜ色彩を分割したのか」とか……。もうなんか書いてると、当時のローマとかパリにいるような気持ちなってくるわけです。

「ーっす。ダヴィンチの連れです」みたいな顔になってくるんですよね。これが高揚感エグくて、ちょっともう気分はサン・ピエトロ大聖堂で茶しばいてる貴族でした。実際は鳥貴族ばっかり行ってるんですけどね。

やっぱお仕事だと気をつかうんだなぁ

そんなこんなで、他の本やメディアにないような感じで、おもしろおかしく書いていたわけですよ。しかし、そうなると増えてくるのが「無駄」なんですね。「もうこれ絶対いらんやろ」ぅていう、無駄な文を入れ込みたくなってくる。どういうことか。例を挙げます。

ダヴィンチは現実主義者だった。だから彼は鳥の翼をモデルに天使の羽を描いた。

これは無駄のないスタイリッシュな文ですよね。多くの美術書だとこんなテイストで書かれていると思います。

ただ、これがどうしても、いじくり回したくなっちゃうんです。

ダヴィンチは現実主義者なんですよ。目に見えるものしか信じない超絶左脳型。「先輩! こういう企画やりましょうよ」とか抽象的なことを言っちゃったら「え、それターゲットどこ? 手段は? コストは? いつ利益出るの?」とか詰めてくるタイプです。今は嫌われるけど、3年後に感謝されるタイプの上司というか……。だから彼はなんかふわっふわしてる「天使の羽」とか信じない。だって見たことないんだもん。だから大天使・ガブリエルを描く時も、鳥の羽をモデルにしたんです。すんごいリアリストでしょ。なんかもうルネサンスルネサンスしてるでしょ。

って書いちゃう。こういうの書いたり喋ったりしてるときが人生で最高に興奮する。性癖に刺さる。たぶん体が浮くくらい鼻息出てると思う。

で、ニヤニヤしながら無駄なエッセンスを入れてると何が起きるか。そう、文字数が死ぬほど増えるんですよね。10文字でわかることを100文字かけて喋りたくなるわけですから。

するとお仕事を発注してくれるディレクターさん的には「読了とか回遊とか下がるやないか! やめろよおい!」って思うかもしれない……って勝手に想像しちゃうわけだ。いや、実際はまったくNG出ないんですけどね。みんな優しいので、海のような心で「ま〜たこいつなんかいってるわ」って笑顔で見守ってくれてる(と信じてる)わけですけど。

noteで羽を伸ばしながら書きます

私は普段、自分が書いた記事は読み返しません。その理由は、昨日書いた記事に記しています。

でもふと友だちと連載の話になって、この前イロハニアートの記事を読み直したんです。すると、なんかちょっと「いい子の文章」なんですよね。必死に褒められようとしてる奴みたいな。先生が話してる間、もうマキシマムザホルモンくらい頷いてるやつみたいな顔してるんですよ。

伝統芸能

だから、正直「ここボケたかったな」みたいな振り返りもあったり……。なので、noteで本格的に羽を伸ばしてみよか、と。ここは私のアカウントだから、どんだけ無駄な文章書いて庭荒らしても大丈夫だろう、と。もうシザーハンズ発狂Verくらい、我が庭を荒らす所存です。

それで、あらためて明日からnoteで西洋美術史をまとめていきます。「無駄」がお好きで心が広い方は、ぜひぜひ読んでください。

ちなみにざっくりverが見たい人はこちらもどぞどぞ。

それと、このnoteはみんなで楽しく西洋美術を見ていければいいんじゃないかなぁ、とか思ってます。もちろん史実に基づいた事実を書いていきますが、当時のアーティストの気持ちなんて知る由もないじゃない。みんなで楽しく想像して、ワイワイやりたいので、ぜひコメント欄で交流して、私の庭を荒らしましょぜ。

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