売れないバンドマンと聞くと僕が思い浮かべるものとして まず髪が長く、加えてくるくるしてて、髭が生えてて、目つきが悪い、おまけに猫背だったり 栄養もあんまり足りてなさそうで毎日カップ焼きそばでも食べてるんじゃないか? 悪気は一切なく、そんな容姿がつい思い浮かんでしまう 一見何一つ輝いちゃいないけど、売れてるバンドマンより「売れないバンドマン」の方が なんだか温もりを感じる気がするのだ 例えばどうだろう 彼らには何者かによって人気になる道が閉ざされ、必然的に毎日、カップ焼き
時間の多くをSNSに費やすことで、何かが蝕まれている気がしてきて、それが何かは未だわからない。 けれど無性に求めるものはやはり、外の空気だったり、ただぼーっと我に帰る時間であるように思う。 イヤホンからの音楽では無く、公園で聞こえてくる鳥の鳴き声や、テニスボールを打ち返す音 街の中ではただ車が通り過ぎる音。 そんな時代の変化とともに気付かぬうちに失っていってしまった「音」や「景色」を、やはり本能的にどこかで必要としている気がする。
空白を求めて、すべてを必死に避け続けていても その空白を埋めるものは一向に見つからない 何のために何から逃れているのかすら、もはや分からなくなってきた
最悪なんてすぐにまた 上から塗り替えられてしまう さ 森山直太朗
もしもあなたが 雨に濡れ 言い訳さえも できないほどに 何かに深く 傷付いたなら せめて私は 手を結び 風に綻ぶ 花になりたい もしもあなたの 夢破れ 行き先のない 日々は暮れ行き 信じることさえ できなくなれば せめて私が 声にして 明日に揺蕩う 歌を歌おう
みな手に取ることで必死になっていて 本当は自分の中に生まれた時から存在していた物なのだと 時間と共に少しずつ、少しずつ 忘れていってしまっているだけなのだ
なぜこんなにも女々しいのかは自分でも分からなかった 女々しいというよりも、優しすぎるというか、男らしいトゲトゲとした何かが自分からは感じられなかった そう在りたいと思いクールを装った 母子家庭で育ったので基本的に世話をしてくれたのは叔母で毎晩夜ご飯を作ってくれていた その頃に吐いた叔母への、ほんの少しの自分の機嫌の悪さによる晩御飯への不満を思い出すだけで、その頃の自分を思い切りぶん殴ってやりたいほどの後悔と共に、涙が出そうなほどの悔しさを感じる 母親は週6日働いていた時期
杖をついて、道を探す人を見かけた 一歩先に何があるかも分からない世界に、一歩手前まで踏み込んで、確かめては進む ひたすらにそれを繰り返していた 今の僕たちには無い物だなと思った 一歩先に踏み出すのに、何十歩も何百歩も先を見据えて、それから踏み出す僕らには到底理解できない光景だと思う それでも彼は一歩一歩進んでいた、何も見えないとは思えずまるで全て見えているかのように 僕らには見えない何かを見ているように たとえば自分の世界が突然、真っ暗な世界になったとして、本当に
基準とはなんだろうか、誰が決めるのだろう 自分の思う基準とは 自分自身を支える支柱であり、この混沌とした人間界を生きていくための武器でもあり、そしていつか辿り着きたいパラダイスである 常に変化し続けるそれに、流されぬよう生きることができるようになるにはどれくらいかかるのだろう でもだからといって川の流れのままに身を任せ、ただそのまま流れていくということがどれだけ大変か、またそれも困難であることを知っている 始まりであり、そして終わりでもあるこの旅路に今後どれだけの困難
ふと足を止めて、道端に咲いていた少しだけ珍しい花の写真を撮る。 きっとこれは今の時代で言う『幸福』とは違う 僕自身もそれが幸福だと、もしその花を見つけ、そして自分は幸せかと問われて本気でイエスと言えるかどうか分からない そんなところまで来てしまった 純粋で有る事は無知で有る事だとも思う ひらけた視野があれば 行きたい場所も増えるが、行きたくない場所も知ることになる。 人類の技術や知識は進化し続けている。 けれど僕たち『人間』はその進化というものについていけているの
他人に舞わされ 軽々と口にしていたあの未来も 今じゃ人の力借りて、なんとか吐き出して 楽になろうとしてる ザワザワ、ムラムラ、イライラ 昨今の人の脳内はそればかり きっとみんな気づいてない いつからこんなに変わってしまったんだろう
幸せの意味を 見失ってると思う きっとみんな幸せなのに なんでそんなに悲しそうなんだ