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家族って何だ

1.気になったので。
 家族とは何なのか。Oxford Languagesの定義によると「同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々。」ということになるらしいです。
 たしかに普通家族といえばこの定義に沿って用いる言葉だと思います。ただ引っかかるのは、同じ家に住んで生活を共にしていても、配偶者でなかったり、血縁関係にない人々は家族ではないのでしょうか。たとえば内縁関係であったり事実婚、あるいは同性カップル。
 筆者、貴様は同性カップルについて書きたいだけだろと思われた方がおられたらご名答です()。直接同性カップルについて書くのも良かったのですが、より広く家族のこととして捉えた方が見えてくるものもありそうなので家族という視点から考えることしました。

2.家族の変遷
 今の家族制度を考えるうえで、明治時代の家族の在り方を参照するのは有益かもしれません。明治民法(現行民法のかつての家族法部分を指します)下の家族は家制度によって成り立っていました。
 「家」というのが家族の単位で、その構成員は戸主と家族に分けられる。戸主は支配的な地位で、家の財産とともに家督が次の戸主に承継される。そして家督相続人としては戸主の嫡出の長男が最優先とされていた。
 大体こんな感じの仕組みで戦前の日本の家族はできていました。つまり男のパワーが強い、いわゆる家父長制だったということになります。その制度が、日本が第二次大戦に負けて日本国憲法が作られた際に廃止されて、今の婚姻家族が家族のモデルになりました。

3.家族のモデルってどうなんだ
 だから今の日本では家族になりたいなら結婚すればいいし家族を辞めたいなら離婚すればいい、そういう建て付けになっています。とても明快で良さそうですが、私みたいな人間からすればそうも言ってられません。
 結婚という制度は男女のペアを想定しています。男男も女女も結婚は想定しておらず認めてくれません。これって法律が家族のモデルを男女の番に限定しているからです。
 そもそも憲法24条が「両性」と言っているのだから改憲が必要だと言う議論もあるようですが、私が読んだ先生方の主張としては改憲は必ずしも必要ないそうですのでここでは触れません。
 つまり法律が同性カップルでの婚姻を認めてくれれば万事解決(誇張しすぎですが、、)のはずですが実際はそうなってません。なぜでしょうか。

4.婚姻て何だ
 そもそも婚姻できるかできないかってそんなに大きな問題なのか、そういうところから考えるのも大切だと思います。婚姻が必要ないのなら同性婚は議論の俎上に載せられないはずです。
 婚姻のいいところは法定されていることです。つまり結婚できれば法によってその2人の関係は公証され、かつ夫婦にしか認められない権利(権限)も付与されます。金銭関係や相続関係はもろに影響を受けます。愛する人とずっと同じ家で同じ時を過ごしたとしても、配偶者ではないというだけで重要な事項に関わらせてもらえない、相続もさせてもらえない。婚姻してる夫婦との違いは法がその関係を認めてくれているか否かだけなのに。
 これを大した問題ではないと言う人は少ないと思います。誰だって好きな人と同じになりたいと思うはずです。法が男女のペアであるか否かで2人の私人を差別している、そう評価せざるを得ないと私は思います。
 反論として最も有力そうなのは異性カップルは子を産むことができるが、同性カップルにはそれができないという主張でしょうか。子を産むことができるのだから夫婦に特別の保護を施すことは当然であり、それは同性カップルへの差別ではない、そういう考え方です。全く説得力のない議論とは言えません。たしかに人間社会の存立を支える子の出産は夫婦によって実現される以上それに対して国が支援を行うのは合理的で正しいことだと思います。
 しかしこれは同性婚を認めることに対するクリティカルな反論ではありません。夫婦であることで直ちに子を産むことにはなりません。子を持たない夫婦は多いです。子を持たないのには色々な理由がありますが、どんな理由であれ子を産まないがために夫婦ではなくなるなんてことはありません。そう考えると子を産むことは夫婦に特別の保護を与える根拠になりません。
 そもそも子を産むことへの支援という点で言えば各種の立法があるのですから婚姻に依る必要もありません。そうだとすれば異性カップルの結婚は認められて同性カップルの結婚が認められない理由はどこに見出されるのでしょうか。

5.近時の地裁判決
 札幌・大阪・東京・名古屋・福岡、5つの地方裁判所でそれぞれ同性婚についての訴訟が提起されていました。今年の6/8に福岡地裁が判決を下し全ての判決が出揃っています。内訳としては違憲が2、違憲状態が2、合憲が1です。(違憲状態というよく分からない言い回しをしないでほしいと私は勝手に思っていますが。)
 たとえば福岡地判における国側の主張は、憲法が保障する婚姻は異性同士のものに限られるとしたうえで、「性的少数者でも異性とは婚姻できるから平等だ」というものです。うーん、なるほどという感じですね。これって嫌なら改憲しろっていう風に私には読めます。
 いずれの訴訟においても24条1項(婚姻の自由)、同条2項(個人の尊厳)、14条(法の下の平等)が争点になっていますが、先の福岡地裁は24条2項について違憲状態としています(他2つは合憲)。「同性カップルに婚姻制度の利用によって得られる利益を一切認めず、自ら選んだ相手と法的に家族になる手段を与えていない規定は憲法に違反する状態」と判断しています。私個人としてはその通りであると思っていますので非常に高く評価しています。一方で、同判決では「婚姻は男女によるものという社会通念は変遷しつつあるものの、現在においてなお失われていない」とも言われています。
 ちなみに札幌地裁は14条について違憲と判断していますが、性的嗜好は「自らの意思で選択、変更できない」ものであり、それを前提として現行制度は「合理的な根拠を欠く差別的な取り扱い」と指摘しています。こちらも評価できる内容だと思います。
 同性婚訴訟は最高裁まで持っていかれるのではないかと思いますので、同行に注目したいところです。そしてその裁判の過程自体が立法府に影響を与えてくれることを祈ります。

6.終わりに
 以上、私が思っていることを実際の議論や裁判を参照しつつ書いてみました。先の性同一性障害特例法違憲決定(最大判令和5年10月25日)などもそうですが、司法府ってかなり公正な結論が導き出せるように頑張ってくれてます。インターネットやマスメディアでは色々ぐちぐちと言われていますが一度判決文や判旨だけでも読んでほしいです。きちんとした事実の調査をした上でかなり合理的な理由づけをしています。私がそういう畑に身を置いているからかもしれませんが、希望はあると思います。
 今私たちはかなり歴史的な転換点を生きているのかもしれないと思うとなんだかワクワクしませんか?(当事者としては)悲観的になってしまいがちなトピックですが、私はむしろ差し込みつつある光を見ている気持ちです。
 長くなりましたが、今回の記事はここらで終わりたいと思います。お読みいただいた方がおられましたらありがとうございます。また読んでいただけたら嬉しいです。それでは!

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