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迷いの森(2)

ある日僕は隙間に落ちた。

その隙間は、毎日通っている
駅の改札口の目の前にあった。
みんな気が付かずにきれいに
隙間をまたいで通り過ぎていく。

僕も、その隙間に気が付いても、
他のみんなと同様に
隙間をまたいで通り過ぎていた。

隙間は "ニタっ" と笑う
大きな化け物の口のようだった。
底が見えない真っ暗な口。

僕は、毎日変わらずにある隙間が
気になって気になってしょうがなかった。

その日僕は、隙間が変わらずあることを確認して、
改札口から少し離れたところに立っていた。

いつも乗るはずの電車が出発しても、
せわしなく改札を過ぎていく人の波が落ち着いても
そのまま立っていた。
とうに授業は始まっているだろう。

駅のホームにも人がまばらになり、
改札口が見える駅員の窓も閉められて、
鳥の鳴き声だけが、けたたましく響いていた。

鳥の鳴き声は、警告かそれとも後押しか。
わからない言葉は、自分なりに解釈できる。
わからなければこんなにも楽なのに。

鋭利な言葉はこんなにもわかりやすい。
わかりやすいから刺さりやすい。
僕は、隙間の前に立った。

化け物の口はいつも以上に楽しそうに見える。
僕は、小さく一歩足を前に出した。
ひゅうんと足が引っ張られるように下に落ちて
それと一緒に僕の意識も落ちていった。
僕は、ほっとして目を閉じた。


「そろそろ起きてもいいんじゃない?」

体を振らされて目を開くと、
知らない顔が僕をまっすぐに見つめていた。
僕は、反射的に起き上がりながら後ずさりした。

化け物の口の中は美しい場所だった。
明らかに歌っていると思う優しい鳥の声に、
全身で感じられるヒンヤリとした
すがすがしい緑の香り。

大きな木々が並び、
木漏れ日が天使の階段を
あちこちに作り出している。
ここは天国なのだろうか。

「天国みたいに美しくって、
 地獄のように深い場所なの。」

僕はハッとして、目の前に立つ少女を見た。

少女というには、少し顔が大人びているだろうか。

白い肌に色素の薄い
茶色みがかった長い髪の毛がかかっている。
瞳は黒ともグレーとも
グリーンともいえるような不思議な色だった。
白いワンピースが彼女の透明感と
神秘的な雰囲気をグッと引き出している。

ゲームに出てくるような女の子だった。

「あんまり毎日のぞいているから、
 とうとう引っ張られちゃったんだね。
 お若い旅人さん。 これからどうしたい?」

僕は聞きたいことも山ほどあったのに、
うまく言葉にできないまま、ただ少女を見ていた。
心臓の音が彼女に聞こえているんじゃないかと
心配になるほど戸惑っていた。

「別に何もしなくてもいいし、
 何も気にしなくていい。
 あなたはちゃんと旅人。
 旅人は旅人らしく自由に動いたら?
 旅人はもっと縛られず人に頼っていいものよ。」

彼女はそう言ってほほ笑んだ。

僕は、その笑顔にまた心臓が跳ね上がった。
肩の力が抜けて、喉が熱くなって、
口が熱くて震えて・・・

嗚咽をあげて泣いた。

動物みたいな唸り声みたいな声がもれて、
自分が生きていることを実感した。

すごくうれしかった。

生きていたい、僕はここにいるって信じたいのに、
どうして毎日僕は信じられなかったのだろう。
人がなんと言おうと、
どう思うとも自分はここにいるのに。

僕が普通のしゃっくりくらいに落ち着くまで
少女はずっとただ隣に座っていた。

「私、すごく無意味な願いだと思うの。」

少女は、ころんと寝っ転がりながら言った。

「死ねとか、消えろって言うのは
 なんの意味があるのかしら。
 人はそんなこと願わなくても死ぬのにね。」

いつの間にかしゃっくりが止まった。
僕は、顔が赤くなるのを感じた。
この美しい少女には似つかわしくない
汚い悪口を知られてしまっている恥ずかしさで
いっぱいになった。

「あなたは何も恥ずかしがる必要はないでしょう?
 恥ずかしがるのは、軽々しく無意味な言葉を
 ポンポン吐き出すあなたのクラスメイトだわ。
 本当に 消えてほしい なんて
 願いを持っているクラスメイトがいたら、
 人の生死を司ろうとするなんて、
 神様なのかしらね。

 それとも、あなたを傷つけたくて
 ただ口にしているのかしらね。
 どちらにしても、あなたにとっては不快ね。
 わかるわ。
 なんの理由もなく命令されるなんて
 不愉快だもの。」

少女らしく少し頬を膨らませて怒って見せた。
その様子に、僕は少し笑った。

居場所のない教室を思い返す。
学校は苦痛でしかなかった。
授業など、教科書を読めばわかる。
先生などいてもいなくても僕にとっては一緒だった。

いつの間にかできているグループ。
最初は何も気にならなかった。
休み時間は本を読んでいたし、
授業中は授業に集中していたし。
なんとなく話せる友人もいたことにはいたし。

でも、一人が僕のことをからかうようになって、
伝染するようにみんな笑うようになり、
僕と話しをしてくれていた子にも
話すのが憚られるようになり、
嘲笑が悪意になり僕は一人になった。

一人になるだけならまだいい。
存在を消そうとされている。

消そうとされると、
僕も消えなくてはいけないと思う気持ちと、
いっそのこと消えてしまいたい、
辛いと思うようになった。

このようなことをされる自分も恥ずかしい。
知られたくない。
気持ちの容量がパンパンになって
膨れ上がって苦しかった。

人間の体はほとんどが水分だというけれど、
僕は人間の体のほとんどは気持ちだと思っている。
苦しくて水も飲めなくなってきていたから。

「僕はどうすればいいんだと思いますか?」

僕は目を閉じて寝転がっている少女に聞いた。
最後の救いを求めるように。

「どうしたいの?」

僕は何も答えられなかった。
違う言葉が欲しかった。

「ああ、そうね、そうよね。」

少女はそうつぶやくと、
ポケットから真っ白の長い布を取り出し
僕の目を覆い隠した。

そして、僕の腕にも布を巻き付けていく。
暖かくて保健室のような消毒のにおいと、
ふわふわの干したお布団の香りがする。

「そうね、まずは治療ね・・・。
 あなたは悪くない。
 あなたは何も悪くない・・・。」

彼女は祈りのように何度もつぶやき、
布を巻いた僕の手を優しくなでながら言った。

「でもあなたが間違っているとするならば、
 嫌だと思いつつも、
 あなたが悪意に従おうとしているところかしら。

 そこにあなたの意志はあるの?
 あなたが自分はここにいると信じているのなら、
 自分がそこにいると、
 あなた自身が自信をもたなくちゃ。

 いや、わかっているのよ。
 そんなことできたら
 旅人になんてなっていないことなんて。

 わかるのよ。
 自分のことは自分で見えにくいから。
 つい他人にのまれそうになるの。
 だから、自分をしっかりつくらないと。
 あなたは、そのために旅人になったのよ。」

いつの間にか、また目が熱くなってきた。
目に巻かれた布が濡れて、
目の前が涙の雫で虹色ににじんでいる。

「僕は・・・普通に学校に行きたい。
 でもあんな目にあうなら
 学校になんて行きたくない。
 でも僕は・・やりたいことがあるんだ・・。
 そのために、その勉強がしたいから、
 大学に行きたいんだ・・。」

僕は、絵を描きたい。
僕の絵が表彰されて新聞にも載った。

みんな褒めてくれるかと思ったら、
なぜかクラスメイトは僕をからかい始めた。
それから、気持ち悪いとか、いろんなことも言われた。

けれど。
僕の絵を認めてくれる人がいたこと
本当に嬉しかったんだ。
この不思議な森の景色も、
この不思議な少女の顔も描きたくてしょうがない。

暖かい木漏れ日の天使のはしごも、
どんな色で表現しようか考えるだけで
ワクワクする。
この世は本当に美しいんだ。
だからこの汚い言葉が許せない。

僕も言い返してやりたくなる。
でもそれはいけない。僕も汚れる。

僕が唇を強く噛んだ時、
少女の手が離れて
僕の目を覆っていた布をはずし始めた。

「森ってね、手をかけてあげないと
 美しくならないのよ。

 そのまま放っておくと、
 お日様の光が入らなくなって
 成長できなくなるの。

 だから木を間引くのよ。

 間引いた木でお家も作れるし、
 いろんな物に生まれ変わって
 人に木のぬくもりを教えてくれるの。

 もし、あなたがいる教室に
 光が入らなくなったのなら、
 光を感じられなくなったのなら。
 そっと抜けてもいいのかもしれない。

 だって、あなたには
 そのあとやるべきことがあるんだもの。
 なりたいものが見つかっているのだから。

 それともそれは、
 その教室にいないと成せないものなの?」

目の布が外れて、
一気に光が入ってきて目を細めた。

改めて森を見ると森全体が美しく輝いて見える。
遠くの方にはおとぎ話ように輝く湖も見える。

僕は描きたい。
描くためにどうするか探してみたい。

他のクラスメートが
暖かな光を浴びることができるように、
僕は違う場所で光を探す。

ありじゃないか。
全然ありじゃないか。
僕は動き出したくて
久しぶりの胸の高鳴りに
目が覚めるような気がした。

「帰る?」

少女は、来た時と同じように
僕の目の前に目線を合わせて
手に巻いた布をゆっくり外した。
僕はとたんに不安になった。

「あら、だめよ傷に囚われちゃ。
 確かにあなたの傷は
 完全には癒えていないかもしれないけれど、
 少し癒えたら風にさらすほうが健全よ。

 きっと、傷はあなたの絵にも役に立つわ。
 だから、囚われても、忘れてもだめよ。
 旅人だったこと忘れないでね。」

少女はそういうととびきりの笑顔を見せてくれた。
笑った顔は僕よりも幼く見えて少し胸が痛んだ。

「君は、いったい何者なの?
 また僕はここに来ることができる?」

彼女は答えないまま、笑顔で手を振った。
その次の瞬間僕の背中から強い力で引っ張られ、
僕は意識を失った。

聞きなれた改札口の音が聞こえた。
足早に、みなが改札口に吸い込まれていく。

時計を見るといつも僕が電車に乗る時間だった。

あの化け物の口のようなものはなくなっていた。
改札口へ 進もうか 進まないか 考えて、
僕は引き返した。
 
僕の夢をかなえるため。


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前作の迷いの森では
「やることがみつからない」
ことで、森へ迷い込んでしまった旅人さん。

今回はそんな旅人さんとはまた違い、
「明確にやりたいことがあるけれど、
 周囲の重圧に押しつぶされている」
そんな旅人さんのおはなし。

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