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最後の夏。チームのキーワードはスマイル

毎年、夏に甲子園で行われる高校野球。いつからか日本の夏の風物詩となり、決勝戦や伝統校同士の対決は日本中を巻き込んだ盛り上がりを見せ、連日、新聞やTVがその模様を伝えている。

そんな眩く光る甲子園には程遠いが、毎日、白球を追いかけ、汗を流しているチームがある。

「積極的にバット振っていけよ」
「打たせていこう」

毎年5月に町を上げて開催される30mほどの大きな凧上げが何年かに一度話題になる程度の人口3万人にも満たない小さな町。
また皮肉なことにこの凧上げで事故が起きたり、ミスが起きた時ほど話題になるので、毎年、大凧の打ち上げ中止を叫ぶ一部の住人といざこざが起きている。そんな小さな町のある高校の野球部の話。

「ナイスバッティング」
「ナイラン、ナイラン」

いつも校庭からは球児たちの元気な声が響いている。暑い中でも誰一人下を向くことなく、声を掛け合って練習に取り組むこのチームのキーワードは「スマイル」
どんなに苦しい場面でも「スマイル」を忘れずにプレーしていこうという方針の元、選手たちの顔からは歯がこぼれ、全員が笑顔でプレーをしている。

「ドンマイドンマイ、つぎつぎ~」
「下向くな、顔上げていこう~」

前向きな言葉が飛び交い、ひたむきに練習を続けるチーム、近所の住人の中には長年のファンもいて、3年生最後の大会にもなる夏の甲子園を目指した地方大会には多くの住人が足を運んでいる。


ウウゥゥゥゥゥ~~~~

恒例のサイレンで始まった「スマイル」をキーワードにしているチームの夏の戦い。
初戦の相手は、強いわけでもないが、余裕で勝てるわけでもない、低いレベルで肩を並べている相手で、絶妙に拮抗した試合を繰り広げていた。

「ボールじっくり見ていこう」
「考えてプレーしていこう」

ベンチからはいつも通り元気な声が飛び交い、スタンドからも町の住人たちから励ましの声や歓声が上がっている。

この試合のキーマンは8番でライトを守る立花君だった。決して野球が上手いわけではないが、どんな時でも、感情が上がったり下がったりしない性格で、付き合いやすいキャラクターからチーム内でも愛されていた。

この日の立花君は、とにかくボールが見えていた。ボール球には手を出さず、相手投手がストライクを欲しがり甘く来た球をきっちり捉え、3打席連続でヒットを放っていたのだ。

「いいぞいいぞ、た~ち~ばな~」
「繋げ繋げ~F校~」

しかしここまで、1点も得点を上げることはできていなかった。3打席連続でヒットを打っている好調な打者がいるのに、得点を上げられていない。その原因は、立花君の次の打順の矢野君だった。

「矢野、落ち着いていこうぜ~」
「矢野~、ボール最後まで見て~」

ベンチやスタンドからの応援も空しく、ここまで矢野は3打席連続で送りバントを失敗していた。
それでも矢野は、
「ごめん、ごめん」チームのキーワード「笑顔」を絶やさず、ひたむきに白球を追いかけていた。

そして迎えた9回裏ワンアウト。1点を追いかける場面。
打席には、好調の立花君。初球を見事に捉え、4打席連続ヒットとなった。

そして続いての打席には笑顔の矢野君。流れはこちらにあり、同点になればなんとかなるといった雰囲気である。ベンチの監督から出たサインは送りバント、矢野君は静かに頷いた。

ピッチャーが、ランナーの立花君をけん制しつつ、初球を投げた。ど真ん中にきたボールに矢野君もバットを寝かせ、丁寧に送りバントにいく。

カーーン。

寝かせたバットに当たったボールは、上空に舞い上がった。雲一つない青空に吸い込まれるように高く上がっていく白球、スタンド、ベンチ、選手たち、全員の視線がボールに集まる。
キャッチャーがしっかりボールを掴みアウト。飛び出していたランナーの立花君は一塁に戻れず、ダブルプレー、スリーアウトとなり、F校の夏は終わった。


ベンチに戻ると泣いていているマネージャーや3年生、下級生の中にも目を真っ赤にしている選手がいる。

3年生の矢野君の夏もこの時、終わった。

矢野君は、グッと奥歯を噛み締め、ベンチでうなだれる選手たちに向かって笑顔を作ってから言った。『ごめ~ん』
このチームのキーワードは「スマイル」

笑顔を見せる矢野君に対し、他の選手たちは・・・、
『てめー、ヘラヘラしてんじゃねーよ!』
『謝ってすむことと、すまねーことがあるからな』
『ごめんで済んだら警察いらねーから!』

そこに「スマイル」はなかった。


ひとり~の小さな手~♬なにもできないけど~♬それでもみんなの手と手を合わせれば♬何かできる♪何かできる♪