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ザ・バンドとジョー・ザガリーノの不穏な音

 以前の投稿で、ザ・バンドのセカンド(ブラウン・アルバム)のラウドカットに触れた。米国オリジナルLPは、カッティング・エンジニアのボブ・ラディッグ(Robert Ludwig)が担当していて、のけぞるような野太いベースとドラムのサウンドが堪能できる。ラウドカットでなくても、うるさがたの間ではレコードの「RL」刻印は、いい音の証だ。

 ラウドカットとはいえ、カッティング(マスタリング)の際に、低域をブーミーに加工しているわけではないし、カッティング・エンジニアはそうした「創作」の範疇に立ち入るようなことはしない。レコードというメディアが対応できる範囲の中で、マスターテープの音をトリートメントして落とし込むのが彼らの技だ(だからこそ生殺与奪の権を握ってはいるのだ)。その工程では、情報量が多く、溝の振幅が大きくなる低域は特に丸められてしまうことが多い。レコードが経済原理のもとで作られて、大量消費される工業製品である以上、多数派の状況に合わせていくほかに商品として生き延びるすべはない。「ふつうの」プレーヤーが大振幅耐えきれずに針飛びしてしまえば、消費者のクレームを浴びる不良品へと転落する。だから「ラウドカット」はタブーだし、回収を免れた盤は好事家の宝物として扱われてきた。

 カッティング時に低音を入れすぎてしまうには、なんらかの理由があるはずだ。

 その前段階として、正統派でハイファイ志向の録音エンジニアあであれば、メディアの限界も熟知する中で、最良のものを生み出す努力をしているだろう。ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、ハンブルパイといったラウドなロッカー達の演奏を録音していたグリン・ジョンズは、そうした破綻はおこなさい。ときに驚くほど鋭いハイファイサウンドを収めつつも、無茶はしない人だ。それはストーンズの「レット・イット・ブリード」やハンブル・パイの「大地と海の歌」(ものすごく鋭いハイファイ・サウンドで、彼が録音したイーグルスの1st、2ndに匹敵)を一聴するとわかるだろう。


 前置きが長くなったが、音楽家の意向を汲み取り(シンクロし)、時に暴力的なまでにハイもローもぶち込んでしまう業の深いエンジニアもいる。そして、マスターテープで聴いた最高の音、その引力や誘惑に耐えきれず、カッティング・エンジニアは転倒ギリギリのコース取りをしてしまう。ラディッグには、そこに淫するへきはあったようだが。

 では、ボブ・ラディッグをいわば音で誘惑したのは誰か。もちろん、大本はザ・バンドで、彼らがサミー・デイヴィスjr邸のビリヤード室で出した音がマジカルだったからだ。そして、それを録音したジョー・ザガリーノ(Joe Zagarino)の録音が非凡だったからだろう。

 バンドのブラウンアルバムは、徹底したフィクションで構成されたアルバムだった。 ジャケットは、幽鬼のようにたたずむ年齢不詳の男達のポートレートが、そっけない茶色のデザインの中に置かれているだけ。1969年というロックの時代、自分たちも出演したウッドストックのヒッピー/サイケデリアとは無縁だと言わんばかりの、超越的なデザイン、佇まいがそこにあった。

 録音場所は専用のスタジオではなく、先述のジャズシンガー、サミー・デイヴィスjrのハリウッドの邸宅。一室をまるごと録音現場に変えてしまったのだ。一歩外に出ればロサンゼルスのアーティフィシャルな風景で、バンドは大雪の積もる2月のウッドストックから避難してきたも同然。だが、録音に戻れば、鬱蒼としたウッドストックの森の中で、雨後のぬかるみを歩き続けるが如く(ジャケットどおりの)、寂しくて不穏な音楽作り(=ストーリテリング)を追求していた。

 ロビー・ロバートソンは、「クリップル・クリークには魔法がある」と言っていた。単調なリフの繰り返しからなる曲だが、グルーヴは徐々に煮詰められていき、エンディングに向かい濃厚な後味が残る。ネイティヴ・アメリカンの舞踏音楽のような、あるいはアジア的な音頭のような、土着的な雰囲気と呪術性がある音楽。魔法とは、音楽的なマジックだけでなく、幻惑的な酩酊感のことも指していたのだろう(歌の主人公は酔っ払いの夢をみているのか)。その感覚は、ザガリーノの録音によって濃縮されている。ライヴでの、聴衆のダンスを誘発するようなノリとは違う、明らかな不穏感がレコードには漂っているのだ。

(妥協のすかすかマスタリングに不穏感は微塵もない)

 それが、同時にラディッグにラウドカットの危険を犯させた誘惑だったのだろう。

 地を這うようにルート音だけをドローンのように鳴らすベース。手数を抑えシンコペートを効かせたドラムは、デッドなバスドラムの音を聴き手の腹に響かせ続ける。ガース・ハドソンの弾く鍵盤はカエルのような鳴き声を発し、リヴォン・ヘルムが幻想の南部の沼地を彷徨い、魔女のような力を秘めた女(娼婦、レメディ、モジョの力…の暗喩か)を求める男の姿を歌う。呪術の場の司祭のごとき支配力でロビー・ロバートソンのギターリフとオブリガードが熱狂をコントロールする。ザガリーノは、その様を暴力的でプリミティブなサウンドにまとめ、マイクという触媒で音を電気信号に置き換えていく。リヴァーヴ感はほとんどなく、徹底してドライなサウンド。ハイファイ的な立体感は完全に無視して、揺るぎない低音を土台にした、かき割り的で虚構の音像を作り上げた。その音にやられて聴き手は思考力をぐにゃぐにゃに奪われ、「クリップル・クリークという何処か」の周りで、ぐるぐると留まってしまうのだ。

 このブラウンアルバムがもつ、「音楽史的・文化的な意味」はもちろん重要だ。だが、もっと剥き出しの芸術表現がここには収められている。ラスト・ワルツの「Play it Loud」の標語がもっとも適用されるべきは、本作なのではなかろうか。それほどこのアルバムの音は「ヤバイ」のである。近年はロックよりもジャズから、このヤバさ、シリアスさを感じることが多い。

 私はラウドカットLPに加えて、CDをマスタリング違いで4枚(とボックスセット)所有しているが、やはりスティーヴ・ホフマンのマスタリングがいちばんしっくりくる。低域のガッツは、ほかのCDでは味わえない。ただ、2020年に出た50周年エディションはまったくの未聴である……。

 その感覚が十二分に引き継がれているのが、ジェシ・デイヴィスの1972年の「ウルル」。エンジニアはジョー・ザガリーノ以外にもクレジットされているので断言はできないが、1曲目の『レッド・ダート・ブギー』には、ブラウンアルバムにも通じる不穏さが横溢している。特に、アナログ盤で聴くと、蛇のようにのたうつベースの質感に共通点を感じるのだ。

 ザガリーノは、1970年のジェシの1stアルバムにもクレジットされているし、その後もともにジム・パルトやロジャー・ティリソンのアルバムでジェシと共同プロデュースと録音を担当もしている。

 B.B.キングの1972年「ゲス・フー」も忘れらないザガリーノ録音だ。決してハイファイではなく、全体として音の抜けも悪い(録音のせいなのか、マスタリングのせいなのかは不明)。冒頭の『サマー・イン・ザ・シティ』こそダークな印象だが、ほかは華美なところがなく、太くて穏やかなトーン。粘りのある歌とギターはB.B.流でも、ポップで軽やかな側面を浮かび上がらせることにもつながっている(個人的には最も好きなB.B.のスタジオ作品)。


 ザガリーノは正統的なハイファイ録音も残している。極め付けは、1971年、ジーン・クラークの通称「ホワイトライト」だろう。こちらもジェシ・デイヴィスとのコンビとなる。過度な低域は鳴りを潜め、安定的なピラミッドバランスの録音で、空間感も十分に感じられる。特にジーン・クラークの声とアコーステック楽器の力強い響きが素晴らしい。録音と歌唱の白眉は『スパニッシュギター』だが、バンドの『怒りの涙』のアレンジもタイトかつソウルフルな演奏で聴きごたえがある。

 ジョー・ザガリーノの名前は、ローリング・ストーンズの「メイン・ストリートのならずもの」やボビー・ホイットロックの1stなどにも見出せる。だが、1960年代後半から1970年代の初頭にかけてこれだけの名盤の産婆役を務めたにもかかわらず、ザガリーノの名前はパッタリと消えてしまう(日本語版も出たロビー・ロバートソン自伝ではザガリーノの名前が出てくるが)。まるでフィクションの登場人物かのように足跡を追うことができない。それもまた不穏な幕切れだった。

 こうしてザガリーノの名前はほとんど忘れられてしまったのだが、自らが刻み付けた音楽は、未来の愛好家たちの耳に届き続けるだろう。

※なお、ジョー・ザガリーノとザ・バンドについてよりテクニカルな内容は、高橋健太郎氏の季刊ステレオサウンドでの連載で読むことができる。


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