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【読書ハイ】どんな本を読むと脳内にアドレナリンがでるか考えてみた

先日、明石家さんまの番組で
得た知識なんですが、
音楽には2つの態度がある、と。

1つめのタイプは、
テンションを高めるために聴く人。
曲でアドレナリンを高める。
スポーツ選手が最たる例ですね。

もうひとつ、2めは、
反対に、テンションを下げ、
クールダウンする。
音楽は自分からはあまり聞かない。
アドレナリンを抑えることを
良しとするタイプ。

アドレナリンを高めるか?
低くするか?

私は、もう20年以上、
音楽を聴いていません。
自分から求めては(汗)。

私はふだんは
テンションを下げることを
良しとするからだったのか?

自分がこんなにも
音楽を聴かない理由が
ちょっと分かりました。

これ、小説でも、
同じことが言えないでしょうか。
アドレナリンが高まる作品か?
アドレナリンが低くなる作品か。

どうでしょうか?
小説界の作品にはアドレナリンが
出るものは少ないかもしれない。

ショートショートは
ちょっと笑えるけれど
よくよく考えると、
うわ!怖い!シュールだ、 
という作品は多い。
でも、アドレナリンは出ていない。

筒井康隆や中島らもに
笑える系の作品があるけど、
まあ、クスっとなるくらい。
アドレナリンが溢れる程ではない。

読書をしている時は、
どちらかと言うと、
自分や他人という世界に
ゆっくり深化していく感じですね。

ただ、それはそれで、
リーディング・ハイと呼べそうな
陶酔感はしっかりある。
陽ではなく、陰的な
アドレナリンが出るんでしょう。

でも、気を奮い立たせるための
本ってのはないのだろうか?

リーディング・ハイが味わえる本
というのはないのだろうか?

うーん、あれやこれや、
色々と考えましたが、
最近では、
角田光代の「私的読食録」かなあ。
本当は、堀江敏幸との共著ですが、
あまりに角田さんのパートが
おもしろ過ぎて、 
また堀江敏幸のパートが
抽象的な小理屈が面倒で、
角田さんのパートしか読んでません。

男の書く食エッセイって
抽象的過ぎて詰まらないのは
なぜでしょうね。

その壁をぶち破って、
食エッセイを書き続けたのは
開高健と内田百閒さんくらいか。

角田光代か、開高健か。
この二人は私にすごく
アドレナリンをくれる。
いや、これは単に、 
食エッセイを読むと
アドレナリンが出るということか?

あ、そういえば、
東海林さだおのグルメエッセイに
一時期どっぷりハマッたことも。

食エッセイの達人なら、
私は作者が誰であれ、
アドレナリンが出るらしい。 
食い意地は、何歳になっても
落ちることはないらしい(汗)。

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