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【人間】人間通になるためには!?

今日一番ビックリした話をします。

朝、コメダ珈琲で
朝日新聞を読んでいたら、
水俣病の記事があった。

水俣病に関して、
長く《分断》が存在してきたという。
私はてっきり、
水俣病患者と、
汚染水を流した会社チッソや
国や自治体との間に
横たわる溝のことだと思った。

でも、実際、記事を読んでいくと、 
違うのが分かりました。
ぜんぜん違いました。
 
やはり私は「人間通」ではない(汗)。

訴訟によって認定された
「認定患者」と、
認定されなかった「非認定患者」
との間に分断が深まってきた。
同じ水俣病に苦しむ人間同士
だというのに。
その両者が分断されていたなんて、
想像もしなかった…。

そういう、
国による認定、非認定が
差別を生むのは、
原爆被害についてはよく知られ、
未だに原爆被害者と認定されずに
苦しんでる人がたくさんいます。
それが水俣病反対活動にも 
起こっていたなんて。

さて、水俣病のニュースが
なぜ、今日の新聞に大きく
報道されていたのか?

毎年、亡くなった水俣病犠牲者の魂を
慰霊するために、
水俣病と認定された人の名前が
プレートに刻まれ、奉納されてきた。
そのプレートが奉納される儀式が
毎年あるそうで、
それが昨日も開催された。

ただ、今年のプレートには
人名は書かれていなかった。
30年めにしてついに、
認定された人と
認定されなかった人とが
手を取り合うことに決めたんです。

誰が水俣病で、
誰が水俣病ではないとか、
深い溝を生むことは不幸過ぎる。
その分断を無くすために、
人名が刻まれないプレートが
今回、作られたんです。 

もう水俣病患者同士
区別し合うことはやめよう。
無記名プレートは、 
そう語っているんです。 
これは大きな一步です。

認定されるか、されないか?
これは水俣病にかかって他界した人や
その家族にはとてもとても
重要なことだと思うんですが、
その「認定」をめぐり、
訴訟活動や賠償請求措置、
また治療行為などが
歩みを妨げていたなら、
こんなに哀しいことはありません。
 
でも、こうした話は、
現実を描いたり
何かを見落とさないためには、
大事ですよね。

私は世間知らずです。
記事がついつい、キレイごとになる。
それは非人間通だから(汗)。

私はまだ「人間通」ではない。
それを一生かけていいから、
直して直して、人間通になりたいな。

それが私がnoteを書き続ける
一番大きな理想かもしれない。

キレイごとな記事など書かない、
常に鋭い眼差しを持った人間に
なりたいのです。

いやいや、
水俣病の話をして
刺激を受けたと言ってる段階で
まだまだ、私は世間知らず?
なのかもしれません。

面白い記事を書く人って、
なんだかんだいって、
人間通なんですよね。
それから、人間について 
絶えまざる好奇心がある人で。

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