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【インプット】見聞きするインプットより、体で吸収するインプット?

賢く生きたい。

バランスよく心がけ、
他人やモノに執着し過ぎず、
不必要な情報は断捨離し、
「無知の知」や「足るを知る」を
モットーに、かつ自由に伸び伸びと!
なんてことを、
若くエネルギーが有り余る時、
経験が足らない時は難しかった。
まあ、青年はそんな道を望まない。

結局、みんな、
自分の一回きりの人生で、
自分で得たぶんだけ理解する。
人生にたくさん失敗しながら
学んでくしかないらしい。

「他人のフリ見てわがフリ直せ」、
なんていうけれど、
とても大切な事ほど、
そんな「見学」程度では学べない。

だから、
たとえば、
カフェのスタッフでも、
真心がこもり、笑顔が自然体になり、
痒い所に手が届き、
しかも、さりげなくなれるには、
長い時間が必要だ。

やっと佇まいの美しいバリスタに
なれる頃には数年を経てるでしょう。

先輩たちの失敗から知恵を教わり、
バトンを受け継いで、
人類全体の経験値を
常に若い世代が受け取れたら、
どんなにいいのにな、と
昔、青くさい私は思ってた。

政治家、科学者、ラーメン店主、
眼鏡職人、弁護士、編集者、設計士、
医師、警官、ブドウ農家、保育士、
どんな仕事でもやはり
みんな「若気の至り」期があり、
トンガり、おらつき、
自分を周りに押し付けたり、
「すべし思考」で
自分で自分の首をしめたり。
そんな青い時期を経て、
総合的な人間になっていく、
のでしょうか。

全人類が今まで行ってきた
過ちや失敗をすべてトータルした
人生の《経験値》を
学校で学ぶカリキュラムにする。
人類の失敗を《糧》にできたら
みんなが最強になれるのか?

いや、そんなカリキュラムは
見たり聞いたりではダメでしょう。
やはり、自分で、
自分の体や心で、
味わい学んでいくことに、
意義があるでしょう?
 
結局、人類レベルの
膨大な失敗を糧に変えて 
トータル出来たとしても、
新しい世代がそれを、 
とことん、血肉化するには
至らないということか?

「見る」インプットは限界がある。
「体で吸収する」インプットには
敵わないのでしょう。

体を使いながら学ぶって、
やっぱりすごいんだなあ。
バーチャルやVRではなく。
AI到来の時代に、なぜでしょう、
アナログな結論に辿り着きました。

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