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【教育】クラス分けは、まるでジェットコースター?

父が教員を勤める中学に、
なんの因果か?私は通っていました。

中学時代、一番ドキドキしたのは、
今、思い出しても息苦しくなる、
クラス分けの発表でした。

さあ、4月頭?あれ3月末?
誰と同じクラスになれたか?
誰と同じクラスになってしまったか?
誰とは、クラスが別になったか?
好きな子は何クラスだったか? 
色んな思いを込めて
発表リストを見上げてました。

あの発表の時は、
興奮や歓喜やがっかりが一気に
溢れてきて、しばらく呆然でしたね。
みなさんも、そんな経験、
ありませんでしたか?

あれで、それからの一年が決まる。
その一年の幸福度が決まる。

でも、今思うと、
あれは、デモクラティックでは
ありませんでしたね?
いきなり発表され、
はい、今からこのメンバーで
一年間ガンバリましょうって、
いきなり言われてもなあ。
強引だったなあ。

まだ、会社の辞令みたいに、
せめて数日前に知らされたかった。
教員からクラス分けのリストを
見せられ、相談する、
なんて手続きがあったらなあ。

それをやると、
生徒は好き放題にリクエストを
言ってくるだろう?と
教員たちは不安なんだろうか?

それにしても、力業だったな、
小学、中学のクラス分けは。

それから、しばらくして、
大学生の頃、
私はとんでもないことを
知るに至りました。

クラス分けには、
まず、不良グループを
どれくらいバラバラにして
ヤンチャな事件を予防するか?が
一番大事に考えてある。
それは、男子女子ともに。

その学年の教員が集まっては
何日もかけて議論していた…。

私の家がよくその場所になり、
話し合いが聞こえてきたので、
耳に入ってきたのです。

道理で、不良グループの
誰誰は誰誰とは
同じクラスにならなかったなあ?
など、色んな記憶が蘇りました。

あれは偶然に選んでる訳ではなく、
人為的に選んでいたのかあ?

それからは、ちょっと 
先生たちが嫌いになりました(汗)。
もう遅いんですけれど。

どんな人と同じクラスになるか、
それはそれで、
子供の人生には大きなピースでした。

それが、風紀的な観点から、
先生たちによって
決められていたなんて。

でも、子供時代は、
クラス分け、いったい誰が
決めてるんだろうって考えたり、
疑問になることはなかった。
私はやはりバカだなあ(笑)。

あ、それから、そうそう、
学年でも、みんなが知ってる
カップルがいたら、
やはり、そのカップルも
同じクラスにはならないよう
分けられていました。
勉学に身が入らなくなるから、
というような理由で。

クラス分けが、
先生が決めるのは仕方ないとして、
生徒が希望を出すくらいは
あってもよかったんじゃ?

日本人が個人として
クールな話し合いに弱いのは、
あのクラス分けで、
養われていたんじゃないかしら?

上からのお達しには逆らわない、
反対しない習性の下地が養われたに
違いない。

オリンピック開催も、
元首相の国葬も、
コロナの5塁への変更も、
たいていはお上がムリクリ決める。

そういえば、最近、辞令が出た。
クラス分けが会社の辞令へと
姿を変えていく。

辞令もめったに
変わったりはしない。
まあ、内容にもよりますが。

この3月頭、
私が所属する部署が
場所の移動を命じられた時、
隣り合わせになる編集部が苦手で、
不安を感じたので、 
社長に、再考をお願いしたけれど、
会社の辞令は絶対だからと、
一蹴にふされた。
案の定、今は過敏性腸症候群で
每日お腹を下しています。

辞令っていったい何だろう?? 
たかが役員たちが数人で
決めただけでしょう?とは
思いましたが、それは
口にはせずに呑み込みました。
やれやれ。

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