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【読書】読書の楽しみは一人では完結はしないところ?

読書は教養の基礎だ。
読書は知性の根源だ。
…なんてことは、もはや
疑う人もいないくらい、
読書は素晴らしいことになっている。

でも、この世には、
善悪の両面が必ずある、はず。
つまり、読書にも悪い面がある。

そのことについては、
noteなどでは、
あまり触れないようにしてるし、
触れないようになっている。

ところで、
本屋さんによく行く人なら
一度は見たことがある本がある。
『思考の整理学』
外山滋比古さん。
ちくま文庫。

オビには「40年前に刊行されて、
287万部の大ベストセラー。
東大&京大で一番よく売れた本!」 
と書かれている。

どんな風に考えると、
いいアイデアが湧いてくるか?
どんな風に考えると、
他人に共感されるのか?

そんな話を分かりやすく
書かれた論考的エッセイです。

この外山滋比古さんは
他にも、記憶についてや
忘却についてなど、
たくさんの本を書いています。

本職は、女子大学の英語の
教授だった。

きっと穏やかで、
論理的で、品がある
紳士だったに違いない。

そんな風に私は外山さんを
想像していましたが、
今日はびっくりする一面を
読んでしまったんです。
読書の悪い面について、
読書のネガティブな要素について。

まさか、外山滋比古さんから
そんな話を聞けるとは
思ってなかったです。

それはどんなことか?
印象的なくだりを紹介させて下さい。

「読書の愉しみは一人で得られると
思っている人が多い。
なるほど、本は一人で読む。
しかし、本とだけ付き合っていては
本当の読書の愉しみは味わえない。
どうしても仲間が欲しい。
といっても、
張り合うライバルではない。
何かというとほめてくれる人である。」

なるほど〜。
読書好き、本の虫、ウンチク屋は
みな、こうした心理を
隠しながら、
でも確実に自尊心や虚栄心を
満足させているのでしょう。

うん、てことは、私もまた同じ?
ええええ!?!?

しかし、
本好きな人間が
本の知識を披露したり、
オススメしたりする時も、
上記のような心理を
体現している気がします。

うん、てことは、私もまた同じ?
マジでえええ!?!?

なんだか、その通りな気がします。

さて、外山滋比古さんの文を
もう少し引用させてください。
「こういうことを言うと、
謹厳な読書家の不興を買いそうだが、
読書という無償の不自然な努力を
するからには、何かの奨励が
なくてはならない。
はっきり賞賛を口にしなくても、
読んだことを話したら、
そんなことははじめて聞いた、
そうですか、と感心した顔つきを
してくれるだけでよい。
そういう友人がほしい。」

こんな心理分析は恥ずかしながら
私には書けないけれど、
言われると、確かにそんな気がする。
まさしく真実であろう。
外山滋比古さんには脱帽です。

最後に決定的なくだりを引用します。
「われわれのような凡人は、
ときどき虚栄心をくすぐり、
ひょっとすると自分も
相当なものかもしれない
という錯覚に陥らせてくれる人が
いてくれないと、
せっかくの読書の楽しみも
薄くなるのである。」

たしかに、
本やウンチクを語る人の心には、
相手から、へえ?と感心される
期待が微量ながら常に感じられる。

読書して、
noteに感想文を投稿する人も、
リアルで知人にウンチクを語る人も、
結局は、読書の楽しみは、
一人の中で完結するようには
出来ていないらしい。

長く引用させて頂いたのは
外山滋比古
『ことばの教養』中公文庫。

結局、この私の記事も
読んでくれた人に感心されたい、
そんな心理に基づいているのか(汗)
と思うと、恥ずかしいのだが、
読書の楽しみは、
どこかで誰かと共有していたい、
からでしょうか?

この外山滋比古さんの
エッセイは、実に様々なことに
気づかせてくれました。

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