見出し画像

戦後ホームドラマのクリエイター、小津安二郎と向田邦子の悲しい共通項は?

ずっとずっと前から書きたかった
話を書いてみたいと思います。

家族っ何だろう?って
考えさせられる映画は?
と聞かれたら、
小津安二郎監督『東京物語』を 
思いうかべます。
1953年、発表。

小津安二郎はこの時50才でした。 
小津さんは生涯、独身でした。
この作品前後、
小津監督は『晩春』『麦秋』
『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』
五作品すべてで、
娘の縁談をめぐるホームドラマを
作り続けました。
 
もう一人、家族について
考えずにはいられない人がいます。
それは向田邦子さん。

脚本家として、
『阿修羅のごとし』 や
『寺内貫太郎一家』
小説でも
『思い出トランプ』や
『あうん』など、
親子とは?家族とは?
夫婦とは?について
追い求めた人でした。

小津さんもハンサム。
向田邦子さんも美人で
色々あったでしょうけど、
生涯、独身でした。

小津さんは常に作品に起用した
原節子さんとの仲が噂になりましたが、
原節子さんとの間には
ほのかな恋情の交流が
あったかなかったか…。
仔細は誰も知るよしはなく…。

向田邦子は、
妹・和子さんの証言で
実は妻帯者のカメラマンと
交際をしていました。
男性は妻から距離をとり
一人、別居暮らしで
邦子さんはそこに通っていたそう。
その仔細はドラマにもなりました。
『向田邦子の恋文』。

日本では、
私小説家や私小説家タイプの
映画監督が、
自分の家族の話を
ダラダラ描いてしまうのが
定番化していましたが、
二人はあくまで独身です。
夫婦になったこともなければ、
親になった体験もありません。
子供を嫁に出す機会もありません。

いや、だからこそ、
フィクションとして、
ホームドラマを創作して
いったのではないかしら?

家族が実際にいては、
ホームドラマを作るなんて
モチベーションには 
ならなかったのでは?

そうした側面を感じながら
二人の作品を味わうと、
二人は「家族」を不当に美化して
創作していった気もきます。

ですが、それがドラマの魅力となり
輝かせるマグマとなって
いつまでも愛されているようです。


追伸。
築地に「おかめ」という
老舗てんぷら屋さんがあります。
小津さんが通っていたお店で、
今の二代目店主に聞いたら、
子供ながら、小津さんを
覚えているそうです。
それで小津ファンの私が
あれこれ訊いたら、
小津さんはこの店に
女性と連れだっていたことが
わかりました。

それも、
女優原節子ではないけれど、
原節子によく似た女性だった、と。
小津さん、それはないよ、
切ないよ。あんまりだよ。
そんなに好きなら、
原さんに告白すれば良かったのに。
とはいえ、小津さんが晩年の頃は
原節子は日本を代表する女優、
国の至宝でもあったから、
個人的次元にできなかった
のでしょうか。

それにしても、
似た女性を連れていくなんて。
それはあんまりだよ、小津監督…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?