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3年でヒット作を作れなかったら、編集者を辞めるつもりだった

3年間で5万部以上の本を作れなかったら、編集者を辞めよう。
そう決めていました。

文芸編集者になったのは、もう10年も前のこと。
広島の営業所で3年間営業を勤めたあと、立ち上がったばかりの新書編集部に配属になり、なんやかんやあって半年後に念願の文芸編集部に異動しました。
そう、僕はずっと小説の編集をやりたかったのです。

子どもの頃に読んだ『ズッコケ三人組』に『はてしない物語』、『宇宙人のしゅくだい』。成長するにつれハマっていったSFにミステリ……。自分のまわりには常に小説がありました。いや、それくらいしか好きなものがなかったのでしょう。
大学は当然のように文学部に進みましたが、就活時に出版社は受けませんでした。好きなものを仕事にしては不幸になると思い、文房具などのメーカー中心に受けていたのです。
内定をもらって一息ついていたところに偶然見つけたのが、ポプラ社の募集でした。
子どものときに大好きだった出版社だし、どんな会社なのか見学に行ってみるのもいいな……くらいの気持ちで受けてみたら、色々あって内定をもらってしまったのです。
どうするかちょっと悩みました。しかし「本が呼んでくれたのかなあ」とぼんやり思い、これも縁か……ということでポプラ社に入ることを決めたのでした。
まあそんな生い立ちなので、せっかく出版社に入ったからには大好きな小説を作りたい。そうずっと願い続けていました。

今も昔も大好きな小説

とはいえ、編集者とはそう簡単な仕事ではありません。
感性も必要であり、努力だけではどうにもならない部分があります。ある程度の運も大事です。とてもファジーな世界なのに、部数という形で明確な数字が突き付けられます。
新卒で編集になったわけではないですし、営業もやりがいのある仕事でした。ダラダラと編集をやっては会社にとっても自分のキャリアにとっても良くないはず。
だから、期限を設けようと考えました。
本当は1年で結果を出す……くらい言えればよかったのですが、小説――とりわけ文芸作品を作るには時間がかかります。作家さんはお仕事をたくさん抱えているので、お会いしてから本になるまで数年かかることが当たり前。ジャンルの特性的に1年は難しいけれど、さすがに3年でなんらかの結果を出そう。それも自分がイチから依頼して立ち上げた企画で。そう決めました。

結果とは何か。それはもちろんヒット作のことです。しかし2、3回重版することを目標にしてはいけない。キリよく10万部と言いたいが、文芸の市場を考えるとリアルに5万部かな……。
その目標が適正なのかどうかは分かりません。もっと大きな部数を背負うべきだったかもしれないし、実際、1年で数十万部の大ヒットを作っちゃう編集者の方もたくさんいらっしゃいます。5万とかなにヌルいこと言ってんだ、という感じかもしれませんが、それが僕の精一杯でした。
まあそんなわけで、3年以内に5万部以上のヒット作を出せなかったら、自ら異動願をだそうと考えていたわけです。
もしも自分に編集者として才があるなら、必ずできるはず。できるんじゃないかな。きっとできるよ!……というか、3年たっても鳴かず飛ばずなら、会社から異動が申し渡されておかしくないと思ったのです。

そう勢い勇んでみたところで、現実は厳しいもので。
なかなか本は作れないし。ヒット作はそう簡単に出ません。
どうやら僕は天才ではないらしいと気づかされます。
退職された方から引き継いだ作品の文庫化でヒットした作品はありましたが、やはり編集者として、自分でイチから作った本で当てないと意味がない。
心は強く持ちつつも思うように数字が伸びない日々が続き、ひそかに焦りを覚えて月日だけが過ぎていきました。

そして迎えた勝負の3年目。
ほしおさなえさんの『活版印刷三日月堂』が出たのです。

川越の小さな活版印刷屋さんを舞台にして、言葉に込められた想いを描いたこの物語は、発売直後からモリモリと売れ、どんどん重版を重ねて10万部近くまで伸びました。
営業の人たちも頑張ってくれ、いろんな書店さんで仕掛けてくれたりして。もちろん物語の力があってこそですが、営業の人たちも「そろそろ森にヒット作を!」と応援してくれたように思います。
やがて三日月堂はシリーズとなり、気づけば累計33万部。
第5回静岡書店大賞受賞、第9回天竜文学賞受賞、「読書メーター オブ・ザ・イヤー2020」人気シリーズランキング1位など、たくさんの人に愛される作品になったのでした。

3年目に三日月堂がヒットして思ったことは、「ああ、僕は編集者をやっていいんだな」ということです。
編集者であることに許しを得たような、これでやっと一人前の編集者だと名乗っていいような。いまだに編集者としての自信は皆無ですが、それでも少しだけ肩が軽くなったことをよく覚えています。
だから僕にとって三日月堂は、ある意味で「編集者」としての始まりの作品であり、特別な一作であり、感謝の作品でもあります(もちろん、手掛けた作品それぞれに特別な想いが詰まっているのですが)

「活版印刷」で刷られた扉を、特別に入れたりしました。「物」としての本づくりにこだわるようになったのも、三日月堂がきっかけです

三日月堂が出てから8年。
まだ本は作っていますが、いまの僕は編集部には属していません。
プロモーションの仕事に軸足を置きながら、社内フリーランス編集者として時々本を作っています。文芸の編集者として、締めくくりに入りつつあるのでしょう。
そんな今、始まりの作品である「三日月堂」の著者・ほしおさなえさんの新刊『まぼろしを織る』を作ることができたのは、これもまた本の導きなのでしょうか。

※※※

まぼろしを織る

<内容紹介>
母の死をきっかけに生きる意味を見いだせなくなった槐は、職も失い、川越で染織工房を営む叔母の家に居候していた。そこに、水に映る風景を描いて人気の女性画家・未都の転落死事件に巻き込まれ、心を閉ざしていた従兄弟の綸も同居することに。藍染めの青い糸に魅了された綸は次第に染織にのめり込んでいく。
ある日、槐の前に不審な男が現れ、綸が未都の最後の言葉を知っているはずだと言う。未都の死の謎を探りながら、槐は自分の「なぜ生き続けなければならないのか」という問いと向き合っていく――

満を持して刊行となった『まぼろしを織る』は、植物で糸を染めて布を織る「染織」を題材にしつつ、人の生きる意味を問うた骨太な物語です。
ほしおさんにとって久しぶりの単行本であり、本格的な文芸作品です。
文庫の人気シリーズを数多く手掛けられてきたほしおさんなので、今回も「三日月堂に続く新シリーズをお願いします!」と強く依頼すべきだったのかもしれません。編集者としてはそのほうが正解なのでしょうし、それができないのが僕の甘さでもあります。
でも僕は、ほしおさんの更なるステージを見たかったのです。腰を据えて一冊の単行本に向き合うことで描ける世界もあります。厳しい単行本文芸市場ですが、その機会を提供することは、三日月堂という傑作を書いてくださったことへの僕なりの恩返しだとも考えていました。

本作が出来るまでには長い道のりがあり、ほしおさんと企画やプロットや原稿のやりとりを重ねました。原稿ができてからもかなり大幅な改稿を何度もお願いして申し訳なさを感じながらも、これだけ芯のある作品が出来たのは、最後の最後までほしおさんが根気強く向き合ってくださったおかげです。
そもそも企画が決まるところから難航し、幾たびも悩み、話しあってきましたが、今作のスタートのきっかけは、喫茶店でほしおさんが話してくれた「なにもなくたって、いいと思うんです」という言葉でした。

思えば何者になれなかったなあと思います。
いやいや何を言うんだ……とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。おまえは編集者になれているじゃないかと。
でも、それはあくまで僕の属性にすぎません。高校生とかサラリーマンとか、そういう属性の一つに所属しているだけです。
編集者として一流の結果を出せたわけではないし、プライベートで全力で打ち込めるものがあるわけでもないし、いまだに何の自信もありません。編集者としても人としても確固たるものを未だに見つけられず、何者にもなれぬままぼんやりと日々を過ごしています。
そして、仮にこの先100万部の本を作ろうが、なにか良い趣味を見つけようが、うまくお金を稼ごうが、おそらくその「なにもなさ」は変わらないような気がします。
生きる意味は特にないけど、死ぬ意味もないし、別に死にたくはないから生きてる。そうやって流されるように生きているのが正直な僕の姿です。

これは別に自分を卑下したいわけではありません。
僕はそれでいいと思うのです。
何者にもなれなくたって、からっぽだったって。
そういう生き方があってもいいのではないでしょうか。

編集者3年目で三日月堂が出て、「編集者をやっていていいんだ」と思えたように、この『まぼろしを織る』の最終ゲラを読んだときに、「このまま生きていていいんだ」と思えました。
何もない私たちは、平凡な日々を大切に、それぞれの明日を生きて行けばいいだけなのです。
ほしおさんと一緒に作ることができたこの作品から、僕は人生の許しを与えてもらったのかもしれません。

生きてたっていいじゃないですか。
闇のなかでのたうちまわるだけかもしれないけど
(『まぼろしを織る』p221)

そう言ってもらえることで、この苦しい人生を、もう少しだけ頑張ることができます。
そして、その言葉を必要としている人は、僕以外にもたくさんいらっしゃる気がします。

なんだかしんみりしたことを書いてしまいましたが、文芸編集者としてまだ本作りは続けていきます。
それでもきっと、この作品は僕にとってまた新たな一つの区切りになるのでしょう。
今の僕がまだ編集者を続けられているのは、ほしおさんの「三日月堂』があったからです。胸いっぱいの感謝を込めつつ、新たな区切りの作品を、またたくさんの人に手渡せるように頑張ります。

この本を必要としている人のもとに、どうか届きますように。
そして、みんなで一緒に明日を生きて行くことができますように。

※個人的な想いによる文章なので、会社のnoteではなく個人のnoteで掲載しています。ポプラ社の編集者としての発言ではなく、ただの一個人としての発言とご理解ください。


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