入院中 徐々に固形物へ ここの食事が楽しみに変わる〜現在
入院中の食事なんだけど、嚥下機能低下のため固形物が最初は厳禁だった。
倒れて急性期1ヶ月の滋賀の病院時代、それ以降の京都の病院時代の最初期はフルーツジュース状の液体を鼻から胃に通っている管で点滴の様に90分かけて2,3パック流していく。
流石に写真は残っていないが、まぁ凄惨な画だ。
後々に気付いていくのだけれども、院内リハで通路を移動出来るようになったころに、自分の食事内容がかなり他の人とは違うことに気付く。
お茶がこの頃はまだ2%のトロミが必要、病棟には1%のトロミのお茶はあったけど、僕のはつど作る必要があった。
数ヶ月して1%のトロミになったけど、どれだけむせたことか。
倒れて2ヶ月、京都の病院にきて1ヶ月くらいかな?、嚥下の確認を何回したことか?。
で、ようやく食事がお粥、おかずはペースト状、卵豆腐みたいなの。
食事には絶対に甘いものが付いていて、まだ完全に固形物がダメな僕はプリン、ババロアみたいなのばかりだったが、それでも非常に良かった。
ホント、前回も記述したけど、嚥下の確認のテスト(なんか専門用語いってたな)、ホントに申し訳ないくらい。
毎回の鉛エプロン着用で曝射しながらのテスト。
先生2人に自分。
テストにババロアを一口飲み込んで喉の動きを確認。
食事がなかなか変わらないことから喉の動きがそんなに改善している気配がなかった模様。
また1ヶ月ほど卵豆腐状の食事。
テストは1ヶ月ごと位のペースで行ったかな?、ようやく3回目位で少し柔らかいごはんが出るようになった、おかずも他の人とは違うながらもちょっと前と比べると固形物が出てきている、それでも柔らかいものばかりではあるけど。
季節が過ぎて行き、涼しくなってきた時、ようやくほぼメニューと同じものが出てくるようになった。
食事はだいたい一食500㎉を前提に1日1500㎉にしているようだ、
朝食は500㎉もないと思うけど。
朝食は。
食パン1枚
ジャムマーガリン1パック
煮た野菜(ソーセージが入ったり)小鉢
スクランブルエッグ小鉢
フルーツ小鉢
牛乳(液体はダメなんでヨーグルト)
昼食は夜ご飯とさほど変わらない感じ。
倒れたときは95㎏もあって、それこそパンパンだった(笑)。
これが京都のリハビリテーション病院入院で栄養士の人が付いて、日々の運動と組み合わせて週に700g落としていく、これがまたみごとに落ちていく。
栄養士が付いて大人数の料理をこなしていかないと個人ではこんな芸当はできないだろう、一家庭ではコスト的にかなり無理が出てきそう。
普通のご飯が出てくるようになり、病院での楽しみが食事になったことも確か。
そりゃそうだ娯楽がないし・・・(笑)。
倒れたのが6月でそれからシクロクロスのシーズンまで頻繫に来てくれた巨匠や友人たち、その次に食事、って感じで楽しみになっていった。
入院も後半になって、ご飯もしっかりしてきて月初めに赤飯が出てきたのには京都ってのを感じた。
このころになると病院レンタル品の車椅子を使い廊下を移動することができたので、掲示板の献立表を見てはウンウンと頷いていたものだ。
取りあえず起床後は朝食、運動、言語(嚥下)、昼食、運動、自主練、晩ごはん、就寝。
間には休む時間があったけど、この頃は車椅子に座るのも苦痛で休んでもベッドが多かった。
1日のルーティンはほとんど一緒、凄く規則正しいけど変化がない。
季節は過ぎて行き12月に入る頃には1日1500㎉から増えて、食事の指示に大盛りとか書かれるようになった。
喜んでいいやら、大盛りでもガッツリしたものはなく、ご飯が多いとかそんな感じである。
食事ができるようになってからは、毎月曜に車椅子ごと体重計で計量が決まりごとになってた。
見事に毎週ごとに700g体重が減っていく、こんなことは家では出来ない、自分家では好き勝手やって、日頃のストレス的なものもあって暴飲暴食だったから。
それ故に近年になるにつれて肥えていったのかもしれない、少し前の写真見たら瘦せていないにせよ、パンパンではなかったもの。
12月の退院時にはなんと72㎏まで落ちていた!。
当然必要最低限の筋量だろうけど、病院の方針が「歩いて帰らせる」。
だから、何しろ体重を軽くして歩行しやすくする、が必要だったのだろう。
たしかにPTさん帯同のもと病棟内を3周する位の体力はついた、半周ごとに休憩してたけど・・・。
そんな感じで退院。
退院してからは口にするものにかなり注意しなくてはならない。
退院の少し前にようやくコーヒーを口に出来た。
元々コーヒーが好きで1日に4,5杯は飲んでいたから、
それでも口にできるのは1%のトロミ付き、それでも嬉しかった。
このコーヒーについては熱い香り豊かなの飲みたいけど、それは舌が麻痺していて猫舌が許さなかった。
退院して、自宅に戻る数日後かな?ポテチを一口食べる、お茶などは変わらずコップにトロミが必要でストローで頂く。
オヤツ食べるの半年ぶり。
これからが大変でした、病院のようなものを普通の家庭でするのだから。
退院するころには水分以外よっぽど粉っぽいものや粘りがキツイものを除いてはなんとかなってるんだが・・・。
これからは食に関しても注意を自覚していかなければならない、タンパク質中心、炭水化物、脂質は極力少なく。
退院するにあたって食に関する冊子を念入りに熟読させられた、やはり嚥下能力がないので誤嚥とか要注意だからだ。
とりわけ水分の取り扱いが厳しくレクチャーされたのは印象的だった。
トロミ剤はどこのでもいいが、1回使い切りのスティックタイプがいいとか、牛赤身がいいとか、事細かかったし注意点が多かった。
やはり車椅子生活もあって、日々の運動が絶対に病院よりは落ちるから、大概の人は車椅子に甘えて肥えていくらしい。
筋量増加で体重が増えていく、これが望ましいけど難しいのだろう。
今思うとこの間の様におもえてくる、それだけ日々のルーティンが定期的なのだろう、倒れる前は目まぐるしく、日本中、時には東南アジアを飛び回ってたから。
そう思うと今は、あれ程好きなアルコールを摂取しておらずに4年近くいるのが不思議なくらい。
リキュール混じりのチョコを嗜むくらい。
昔は好んでクラフトビールなど飲んでいたものである・・・。
もっと足腰が強くなって装具、杖無しで自由に歩けるようになるまではお酒はお預けである・・・。
退院してからは同系列のクリニックに通った、病院のデータも移行してスムーズなリハビリを続けられたが、保険の関係などで月の単位数もガクッと下がった。
嚥下の確認は月一位のペースでファイバースコープを鼻から、喉の動きをゴクンとしたりして確認。
これが暫く続いたが、ここで例のコロナ(COVID-19)が発生、ファイバースコープで確認がちょっと倦厭される、というか上位のそういった所から注意が出たのだろう。
クリニックも暫くピリピリムードが続いた。
自宅に帰ったわけだがまだまだトロミがいる僕としては早く要らなくなりたい、そんな思いがあるけど。
退院しても1年はトロミがいる状態ではあった。
トロミが要らなくなったきっかけはコーヒーだった。
ある時早く飲みたいが為にトロミ剤をオミットして飲んだところ1口づつではあるものの、無しでコクリと飲み込めた。
調子に乗るとむせるのは今も変わらないが、こうして水分も徐々にトロミが取れていった。
とはいうものの具の細かい味噌汁とかは今でも苦手である。
1つST(言語聴覚士)さんから言われるのは僕の場合、鼻から息が漏れているらしい。
だから味噌汁とか飲むとき具があると飲み込みに支障がでる、極端に言うと飲んだ時に弾みで鼻から牛乳よろしく味噌汁、具がこんにちはする危険性が・・・。
ひとつ言えるのは劇的な変化はないのかもしれない、たぶん数ミリ単位の進み具合なのだろう、食べることもトレーニング、誰かが言ったっけ。
何しろあれから口にするものは結構気にしている。
とは言え、たまにはご褒美も必要、美味しい食べ物を食べたり、ただお菓子関係は以前よりも厳しくなったかな?。
取りあえず1年少しかな?、トロミがようやく取れて普通に水分補給が可能になったの。
そのタイミングでコーラとか炭酸飲料を試してみる。
そんな時にノンアルを嗜んでみた、まだ量はコップ一杯だけど満足感は半端なかった。
今でこそノンアルがかなり普及しているからこうしてられるけど。
昔なら諦めていたのだろうか?。
退院して1年位で少し雑煮なんかも食べている、餅も見返すと丸ごとのようだ。
コロナのこともあり、年老いた両親と共に外食することもほとんど無くなってしまったのが残念だが、今の自分には物差しがあってるのかもしれない。
とは言え、外食もリハビリにつながると自分では思っているが、なかなか(笑)。
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