自給自足(KFK-29)
弟が産まれて少しずつ家計の負担が増えた。黒木のおじさんは、母の子供である私と妹のには金を出さないという。
黒木のおじさんは、ほぼ季節労働者に近い働き方だった。冬は頑なに働かなかった。
母は、春から秋まではゴルフ場で働いていた。北海道のゴルフ場は冬場に閉鎖される。
つまり、二人共季節労働者だった。冬は家計が苦しかった。母はパートに出ていたが、夏に比べたらほんの小遣い程度の収入で、とても家族5人を食わせる事が出来ない。
母が結婚したことで、母子家庭の手当も無くなった。給食費が払えなくて私が先生に注意されることもあった。
母に伝えても『何とかする』と気のない返事。遅れて何とか支払いできたけど、こんな生活スタイルでやっていけるのか、私は疑問だった。
そんな冬のある日、購読してる新聞販売店から販売員が訪問してきた。新聞の営業ではなかった。
『お宅のお子さん、新聞配達させてみませんか?』
新聞配達のアルバイト勧誘だった。販売員はあの手この手で勧誘してくる。母はすぐ乗り気になった。私は全然乗り気じゃなかった。本ばかり読んでるひ弱な人間なのに、いきなり走り回る仕事出来るの?
実は私は病弱な方で、小さい頃、よく通院していた。2日に1回血管注射する通院が続いたとき、刺す場所がなくなって手の甲とかに打たれた事もあった。
処方される薬も苦い粉ばかりで、嗚咽しながら泣く泣く飲んでいた。あまりに飲みにくいものだから、母方の祖母がオブラートを買って来てくれたりもした。
まさに『オブラートに包む』ことで、苦い粉薬を克服していた。(今は技術が進んで、ほぼ錠剤になりました)
話は戻る。子供の頃病気がちな私は、新聞配達を断りたかった。それでも食い下がる販売員。
最初は丁寧に教えますとか、体力作りにもなるとか。さすが新聞販売員は口が上手かった。最後の一言が母の心を鷲掴みにした。
『鉄は熱いうちに打て』
翌月の早朝、私は新聞販売店に居たのだった。
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