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3) 錆色の空

「ノストラダムスの予言では、1999年7月に地球は滅びるらしい。あと1年しかないんだよ?」

テレビが大袈裟に騒いでいるのを、深夜のリビングでぼんやり眺めていた。

この頃、母は49歳で更年期障害から鬱病を発症。不眠が続き、頭痛、めまい、不安感に襲われていた。

「お前はなんでそんなに弱いんや。頑張るて言うてたやないか。俺までおかしなるわ!」

月曜日の夕方。包丁をもって狭い部屋に閉じこもった母を見つけた父が大声で怒鳴っていた。

父が母に対して声を荒げるのを聞いて、とても動揺したのを覚えている。

その数日後、母は千里山の精神病院に入院した。

「お前のお母さんはキチガイやった。一生なおらん」

夜中に私を呼びつけた父は、暗い洗面所で鏡に向かって泣いていた。母の病状がよほどショックだったのだろう。

この頃の父はいつもの冷静な姿を失っていた。

おかんへ

元気ですか?元気じゃないんやろうな〜、暗い顔してんねんやろうな〜、と順平は思います。

順平はおかんが心配です。親父もじいちゃんもおばちゃんも兄ちゃんも みんなで心配しています。

おかんは今、暗い事や悪い事を考えすぎるようです。

今、おかんがすべき事は、いろいろな物事をたのしく、うれしく考える事だと思います。

だからと言ってあせらなくても良いのです。人生は長いのです。ゆっくりで良いのです。順平はそう思います。

こっちは何不自由なく暮らしております。親父は大変そうです。順平は大変じゃないです。

おかんがおらんくて少しさびしいくらいです。じゃあ ゆっくりしてください。 バイバイ

順平 手紙ありがとう

順平の優しい手紙で教えられたり励まされたりしました。

家族皆に心配をかけて申し訳ないと思っています。

皆が力を合わせて頑張ってくれている様子が目に浮かびます。

貴方が思っている通り私の方は状態は今の所 あまり良いとは言えませんが1日も早く健康になって皆と一緒に暮らしたいと思っています。

おじいちゃんも元気なようで何より嬉しい事です。順平もバイトの方大変だけど、体の事を考えてあまりムチャをしないようにネ。

出来たら今のバイトじゃなくきちんと就職してほしいな〜と思います。

思っていたよりウンと大人になっている順平で私の方が子離れを出来ていないようで本当にゴメンネ。

章ちゃんとも仲良くして下さいネ。パパさんのアドバイスも良く聞いてまずは健康第一、自分の体を大切に!

まだ色々と書きたい事、おしゃべりしたい事はいっぱいありますが、今は書ききれません。

だんだん寒くなるけれど、風邪等ひかないよう気を付けて下さい。
                                                               母より

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病院のベッドの上、足を伸ばして小さく座る母は、いまにも泣き出しそうな女の子みたいに見えた。

「ごめんネ…。」

「なんも謝る事ないやんか…。もう帰るわ。また来るし。」

「手紙…、ありがとうね。」

「うん。また書くわな。オカンはゆっくりしてたらええねん。」

「うん…。」

鉄格子のついた扉を開けてもらい病院の外に出ると、いまにも雨が降りそうな錆色の空。

コオロギが小さく鳴いている。

傘なんて持ってないし。これからのことを思うと頭が重たい。

1人電車にのって家に帰った。

当時21歳の私は大学を中退してまで臨んだ芸大受験に失敗して、途方に暮れていた。

「なんや、俺落とすて、芸大て見る目ないんやな。」

芸術の才能があって頭も切れる。

何でもできるはずの自分が、ことごとく社会に受け入れられない現実に立ち往生していた。

自己評価と現実の距離は相当開いてる。

そんな憂さを晴らすために、友人と半年前から東南アジアの旅を計画していた。

パチンコ屋での退屈なアルバイトで、旅費を貯めてカメラも買った。

友人と一緒に長期の旅に出ることで、行き詰まった自分の状況が大きく変わるような気がしていた。

10月下旬の深夜、自室で旅の支度をしてた私は父の足音に気づき、部屋から顔を出して言った。

「明日から誠とタイ行ってくるわ。2ヶ月。おかん大丈夫やんな。」

「ほんまに行くんか・・・。まあ、ようなってきてるし大丈夫やろ。ほなこれ持って行けや。」

「えっ、こんな貰ってええの。ありがとう。」

「気いつけて行ってこい。手紙、ありがとうな。お前のお母さん涙流して喜んどったぞ。」

「そうなんや。うん、わかった。」

そう言って父は重たい足取りで寝室への階段を上っていった。父から2万円も貰うのは初めてだった。

こうして私は初めての海外へ旅立った。家族のことなんて省みず。

この頃は何をしても上手くいかなかった。

でも友人だけは自分を認めてくれて嬉しかった。彼らと酒を飲んでバカ話をしている時だけは、群青色の夜空がとても広く見えたんだ。



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