3) 錆色の空
「ノストラダムスの予言では、1999年7月に地球は滅びるらしい。あと1年しかないんだよ?」
テレビが大袈裟に騒いでいるのを、深夜のリビングでぼんやり眺めていた。
この頃、母は49歳で更年期障害から鬱病を発症。不眠が続き、頭痛、めまい、不安感に襲われていた。
「お前はなんでそんなに弱いんや。頑張るて言うてたやないか。俺までおかしなるわ!」
月曜日の夕方。包丁をもって狭い部屋に閉じこもった母を見つけた父が大声で怒鳴っていた。
父が母に対して声を荒げるのを聞いて、とても動揺したのを覚えている。
その数日後、母は千里山の精神病院に入院した。
「お前のお母さんはキチガイやった。一生なおらん」
夜中に私を呼びつけた父は、暗い洗面所で鏡に向かって泣いていた。母の病状がよほどショックだったのだろう。
この頃の父はいつもの冷静な姿を失っていた。
病院のベッドの上、足を伸ばして小さく座る母は、いまにも泣き出しそうな女の子みたいに見えた。
鉄格子のついた扉を開けてもらい病院の外に出ると、いまにも雨が降りそうな錆色の空。
コオロギが小さく鳴いている。
傘なんて持ってないし。これからのことを思うと頭が重たい。
1人電車にのって家に帰った。
当時21歳の私は大学を中退してまで臨んだ芸大受験に失敗して、途方に暮れていた。
「なんや、俺落とすて、芸大て見る目ないんやな。」
芸術の才能があって頭も切れる。
何でもできるはずの自分が、ことごとく社会に受け入れられない現実に立ち往生していた。
自己評価と現実の距離は相当開いてる。
そんな憂さを晴らすために、友人と半年前から東南アジアの旅を計画していた。
パチンコ屋での退屈なアルバイトで、旅費を貯めてカメラも買った。
友人と一緒に長期の旅に出ることで、行き詰まった自分の状況が大きく変わるような気がしていた。
10月下旬の深夜、自室で旅の支度をしてた私は父の足音に気づき、部屋から顔を出して言った。
そう言って父は重たい足取りで寝室への階段を上っていった。父から2万円も貰うのは初めてだった。
こうして私は初めての海外へ旅立った。家族のことなんて省みず。
この頃は何をしても上手くいかなかった。
でも友人だけは自分を認めてくれて嬉しかった。彼らと酒を飲んでバカ話をしている時だけは、群青色の夜空がとても広く見えたんだ。
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