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コミュニケーションと施術に活かす「関数的思考法」

僕は治療院を運営しています。なので、仕事は「人の身体をよくなる方向に変化をさせる施術をすること」です。ちょっと言葉が難しい…。
つまり、壊れている身体がより早く修復する身体に変えること。やっぱり難しい…。

いずれにしても、何かを自分以外に提供/発信する時は、僕の中に一つの考え方があります。この記事では、その考え方について紹介します。
何かしらの参考になれば幸いです。

まぁ、当たり前の話といえば当たり前の話なんですけど、当たり前じゃなくなっているのが当たり前なので書いてみます。


考え方の根底、それは関数的なアプローチ

いきなり難しそうな図式を書きますが、抽象度を上げると結局こういうことだよ、という感じです。

何かをやると何かしら反応があるので、反応を見ながらやることを修正していく。
  • 入力 : 他人に対する何らかの刺激

  • f(x) : 謎 (相手の特性や理解力など)

  • 出力 : 相手の反応

なんか、よくわかりませんよね。よくわからないところではありますが、情報を提供するにしても発信にしても「相手を関数に見立てて、数学的な発想をしている」という感じです。超簡単にいうと、会話をするときであれば、相手の反応を良く感じ取りながら会話をするってことかな。

参考までに関数f(x)とは、ある値xを入れると、その値に合わせて決まった計算をして、出力値を出すものです。たとえば、f(x) = 2x + 3という関数では、xに4を入れると、2×4+3=11という計算をして、出力値として11が得られます。人間的にいえば、癖とか特性とか性格とかそんな感じかもしれないです。

情報発信も同じで、誰かに何かを発信すると受け手のよって違う、何かしらの反応をします。人によって反応は様々で、理解度や伝わり方も様々だということ。なので、ちゃんと伝えたけりゃ、それなりに伝え方を変えていかないとだめだよね、ってことです。

例:あなたがこの記事が難しいと思う

ここまで読んでくれてありがとうございます。が、この記事が難しいと思われたのなら、

  • 入力; 僕のこの記事

  • f(x); あなたはこの記事が難しいと思った

  • 出力; ここで読むのをやめる

という感じ。なので、本来は、僕がもっとわかりやすく書き直すっていうのが Feed Back になるってことですね。他にも事例を挙げてみます。

例:人とのコミュニケーション

例えば、目の前にいる人に何かを尋ねたいとします。すると、僕がする質問は目の前にいる人への入力です。

さて、その目の前の人は、日本語ができない、アメリカ人だとします。
すると、出力は「僕の質問を理解できない」です。
f(x)は日本語の理解する能力ってことになるでしょうか。

僕は、どうしてもその人に尋ねたいことがあります。どうしたらいいかというと、「僕のいっていることを理解できない」という出力から日本語を理解できないことを感じ取り、例えば英語で言い直すことが必要です。自動翻訳機を使うような手立てもあるかもしれないですね。

それが Feed Back です。理解できないという結果から、ほかの手立てを考えようというもの
その場で、「ここは日本なんだから、日本語を理解してよ!」といってもそれは無理です。

例:施術

クライアントさんの身体をよくする場合も同じです。

ある動きをもっと改善させたいと思うところから始まりますが、ある動きを変化させるにはどうしたらいいのかを考えます。

たとえば、テーピングをしたらいいと考え、テーピングをすることが入力。テーピングをすれば何らかの変化が生じるはずで、その結果が出力。
何らかの変化をつくるクライアントさんの身体の特性が f(x) 。

その出力がクライアントさんの求めるものであればめでたしめでたしだし、違えばどうしたらいいんだろうと考える。それが Feed Back をかけるということ。うまくいくまでぐるぐる回すわけです。

テーピングの結果が思うようにならなかった時、「せっかくテーピングしてあげたんだからちゃんと変わってよ」といっても無理です。

例:人にものを教える

僕がクライアントさんの身体に施術をすると、当然身体が変わります。すると必要になってくるのが、変わった身体の使い方を覚えてもらうこと。
変わった身体を効率よく使う方法を「教える」という作業があります。
この場合には、

  • 入力 : こちらの教えること

  • f(x) : クライアントさんの理解力

  • 出力 : クライアントさんの習得度

ということになりそうです。

僕が何をしなければいけないかというと、教えたことに対して習得度を測り、クライアントさんの理解力を分析・評価すること。ここで習得度が上がらない場合、教え方に対して Feed Back を掛ける必要があります。

「なんでわからないんだ」と怒ることではないです。

言葉が難しすぎたり足りなかったりすれば、当然習得度は上がりません。なので教え方を変えなきゃいけないってことです。クライアントさんの理解力を上げることは無理です。

多分、なんでもこの考え方は適用できる

何がいいたいのかというと、この関数的アプローチでは、関数である f(x)の部分はこちらからは変えられないということ。相手固有の特性だということ

  • 僕の云ったことを理解して答えてよ

  • マッサージしたんだから治ってよ

  • 教えているんだからできるようになってよ

これらは無理ゲーです。たまたまうまくいくことはあるかもしれないけど。
でもね、この無理ゲーが世の中に蔓延していると思うのですよ。
スポーツ現場に行けば、指導者が選手に向かって

  • 「何でできないんだ」

  • 「何度いったらわかるんだ」

みたいに叫んでいるのをよく聞くわけです。学校とか、もしかしたら家庭でもそうですよね。

それって、教えたことがうまく伝わっておらず、きちっと伝えるためのFeed Back がうまくいってないことの証拠だし、さらにいえば、伝え方が悪いあんたのせいでしょ、と。自分で自分の伝える能力のなさの証明をしているように思えるわけです。

まとめ

僕も今までの人生の中で、こういった体験を何度もしています。
「なんでそんなことがわからないんだ」
なんて、よくいわれた記憶があります。「いや、わかるようにいってよ」と思ってきたわけです。

僕が人生の中で耳にした最大級のものは、スポーツ現場で選手がうまくできなかった時に指導者が選手に放った「次にまたやったら怒るぞ!」っていうもの。いわれている人が気の毒でした。(そもそも、もう怒っているよね。)

人間は、どうしても自分が正しいと思うものらしいです。なので、自分の発信したことが理解されないとイライラしたり怒ったりする。

そんなイライラや怒りを感じたら、まずは自分の発信方法というか表現を相手がちゃんと受け取れるものに変えることを考えるといいと思います。

と、いいつつ、「この文章が全くわからない」といわれたら、まずはどこがわからないのかを聞くしかないです。そしてリライトをするなり個別にお話をするしかないです。現実的には無理だけど。

まぁそんな感じです。
つまりは結果をみて、そこから相手の特性や能力を評価し、その評価結果から伝え方を変えなきゃ話は進んでいきませんよ、という話でした。

最後に。
もし、ここまで読んでもらって、何となく理解ができて、自分でもやってみようかなと思った人がいたら、提案を一つ。

誰かと会話をするときに、まずは相手の顔色というか反応をよく見ること。そしてちょっとでも不安そうなそぶりを見せたら「ここまでの話、わかりにくい?」とか「ここまでの話、大体はわかる?」みたいに、相手の理解度を聞いてみましょう。

「わからないとは、いわせない!」みたいな雰囲気を決して出してはいけません。で、わかるまで話すことに挑戦してみてください。最悪なのは、絶対に通じていると思い込んで、マシンガンのように相手に言葉を浴びせちゃうことです。そういう人、結構多いので注意できたらいいですね。

難しい話に最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

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