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ヨガは削ぎ落とす作業

シンプルにしていく過程が大事

ヨガは、ある意味、削ぎ落とす作業だと思うのです。プラクティスすればするほど、体にとって不要なものを捨てたい気持ちになります。それは、脂肪だったり、贅肉だったり、わかりやすい物理的なものも含みますが、感覚的に粗い複雑な何かを捨てて、体そのものをシンプルにしていく感覚です。
ベリタリアンやビーガンなど、特定の食物を摂取しない食事スタイルをとるヨギは多いですが、そのライフスタイルもシンプルにしていく過程なのだと思います。ちなみに、私は、何でも食べるので、特定の食事スタイルは持っていません。ただ、白い砂糖、冷たいもの、添加物は避けています。従って、普段はほとんど外食せずに、ランチも含めて自炊が多いです。

ヨガは直感力を磨く過程

体をシンプルにしていくと、感覚が研ぎ澄まされていきます。だから、食べ物も体に悪いものを摂取すると、感覚的に体が警告をします。体の中がすっきりしない感覚を持ったり、ちょっとしたインスピレーションが働くのです。
また、体をシンプルにし、感覚が研ぎ澄まされていくと、直感力が養われていく気がします。直感力は、適切な判断や行動することを助けてくれると思います。世の中で成功している人が成功の秘訣を話すとき、直感や勘(または運)をあげることが多いのも頷けます。

思考を手放すことの大切さ

ただ、そんな体の直感的感覚が、どうしても負けてしまう時があります。それは、強固に心が働く時です。思考が全てを包んでしまう時に、それは起きます。人は、体で毎日を過ごし、心でも日々を生きています。だから、アーサナだけをヨガと呼ぶ狭義ではなく、ヨガを自分を知るための(よりよく生きるための)ツールという大きな視野で捉えると、心のプラクティスも必要ということになります。
残念ながら、アーサナだけのプラクティスでは、思考を手放し、心をシンプルにしていくことはできません。何故なら、輪郭がはっきりしている体に一生懸命向き合えば向き合うほど、思考の柔軟性を失ってしまうことも多々あるからです。心を削ぎ落とす作業は、自分の輪郭を削ぎ落としていくことです。そのためには、心の器を広げる瞑想の手法が必要です。

これが、陰ヨガと陽ヨガの両方のアーサナを行ってきたことからこそ到達した一つの私の答えであり、ヨガのプラクティスに瞑想を取り入れたい理由の一つです。大きな視野でヨガを捉えるのであれば、アーサナだけでは未完成です。逆に、広がりのある心とともに行うアーサナは、無限大の可能性に満ちていると思います。


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