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『牙を抜かれた男達が化粧をする時代』を生きる

 すげえもんが出ちまったな、という思いでいっぱいである。
 多分だけど、インタビュー以外で綾野さんご本人による言葉がこれだけ物質化したのって珍しいんじゃないだろうか。インタビューや記事は、どれだけ忠実に書いたとしても取捨選択の過程にバイアスが介在する(それが記事を見易く快適なものにしてくれる。プロの仕事である)。そういう意味で本人による、本人の言葉で、本人の切り取った世界で、本人による考察が加えられたこの本は、いわばファンにとっては聖典というほかない。わかりやすい教義が記されているわけではないが、考え方の根元、その表現に至った過程などを、なるべく他者が関与しない形で表出し結晶化する営みを、言葉は悪いが綾野さんがしてくれるとは思わなくて、正直ものすごく意外だった。
 私はもちろん綾野さんご本人の知人でもなければ同じ界隈に生きているわけでもないので、これもまた外野から見る勝手な印象に過ぎないのだけど、なんとなくこういう営みを由としない人だと感じていた。なので、これほど言葉を尽くして、これほどの量の言葉で解析、検証、考察を加える過程にどれほどの労力を要しただろうと感嘆したし、お世話になった編集長への感謝という言葉が何にも先行して出たことにまた感嘆せざるを得なかった。どこまでも篤く義の人であると思う。そういうところが、人として尊敬できるから今更ながら好きになってしまったんだろうと改めて痛感する。

 牙を抜かれた男達が化粧をする時代。挑戦的なタイトルである。現状への何某かの挑戦を垣間見る言い回しであり、同時に時代という大きな存在への姿勢を明示する強さが見て取れる。表紙も挑戦的だ。この表紙絵に関しては本文中(巻末)に詳細が載っているのでそこで細部をまた観察したいと思うのだが、情報量の多い抽象画であるという印象を受けた。この情報量の多さが綾野剛というひとの仕事そのものを表している。どれもまさしく綾野剛であり、どの断片だけでも成立しない綾野剛。何色とも形状できない、何と定義することも叶わない。ただ、雑然としているわけでも、漠然とそこにあるわけでもない。全て個々の構成要素に責任と意義がある。そういう仕事ぶりを一枚絵で表現している。強い。ピカソの「ゲルニカ」並みの大きさでだだっ広い美術館の壁際を占拠してほしい。

 装丁についても少し。この愛蔵版は初回限定生産らしいが、確かにすごい配色と素材。表紙は一般によく使われるコート紙よりややざらついていて、レザックぽいけど今の私の手元には紙見本がないため有識者の分析を待ちたい(アレェ……)画用紙ぽくていいですよね。でも裏面は白なんだね。この赤、印刷なんだね……遊び紙(内表紙)はトレーシングペーパーぽいし、その向こうに著者名が透けて見える構成が素敵。
 その次のページからは全てもう、構成の鬼かってくらい拘りの見える組版。もちろん雑誌掲載を意識しての文字配置、写真選び、構図選定とは思うのですが、1ページずつに掛ける熱量と制作過程が画集のそれに近い。めちゃくちゃ消耗しますね。見てる方も。もちろん悪い意味ではなく、本来が一冊の本にまとめる目的で作られた経緯のものではない、カロリー多めの画集を見ている時の感覚。展覧会そのものに足を運んでいる時は空間の非日常ぶりにごまかされてさほど疲れを感じないけど、後から図録を見返して一つ一つの作品が持つ力に圧倒されて「すげえ……」って思う時のアレに似ている。本はやはり読んでいる環境ごとどこかに連れて行ってくれるわけではないので、日常と地続きのなかで消費する芸術に自分の方が消費されてしまうことが多々あり、この本もそういう類の本だなと思う。
 写真と言葉に関しては、一見するとやや抽象的であり、何度も咀嚼してようやく「当時の綾野剛」と「作品」がリンクし始める。知っている作品はそうでない作品より自分の中でリンクが繋がるのが早かったけど、だからと言ってもちろんそれが全てでもない。大体の掲載時期さえあれば、ああこの時期、その作品、と大体わかるのがファンの楽しみ方でもある。そして私のように最終回のみ雑誌を買ったようなクソニワカには全ての写真と文が新規で新作。前に綾野さんご本人が撮った写真の写真集が欲しいモバイル会員限定でいいから頒布してくれと喚いていたが、これとSWITCH最新号で概ねかなってしまったのでやっぱりこの沼は福利厚生に手厚い。

 そして何より個人的に凄まじく素晴らしく買って良かったと心の底から思ったのが、本人による「証言」である。おそらくこのパート書き下ろしなので、誰にとっても待望の文だとは思うが、何よりこの行為を「残酷な行為」とする綾野さんの姿勢に心の底から痺れた。
 私事だが自分の足場はいつでも歴史学にあるので(今はもう離れて久しいけれど)基本的にはものの考え方、何かに相対する姿勢、分析する視座に関しては歴史学的な立場を取りがちである。この「12年間を現在の立場から回顧し、分析する」ことの残酷さをインタビュー各所で語っていた綾野さんの見方は紛れもなく歴史学的な研究手法を念頭に置いたもので、現在の自分と過去の自分をイコールと結び付けない真摯さ、その上で撮影背景等に至る撮影者しか知り得ない情報、例えばどこそこの天井とか、どこの風景とか、そうした事実を淡々と語っているのは他ならぬ綾野さんにしかできない。あくまでその時代、その作品を制作した自分に一定の距離を取りつつ、己のわかる領域と憶測の領域を線引きしながら、普遍性を持った感動を文章化していく作業が70回繰り返される。とても変わった、いい紙にひたすら見開きで、型に嵌らない組版で。贅沢な話だ。そしてこの贅沢がふんだんに注ぎ込まれた非日常が、余白と共に余韻をもたらし、また作品そのものに立ち返って見せようとしてくれる。
 確かに概して芸術に解説は野暮だが、野暮と敬遠する解説の中には、往々にして不可欠な手引きがいくつも埋まっている。美術館で何の説明もなしに、自分の感性に合うか否かだけを手探りで考え続けるのは自由な営みではあるが、消耗もまた激しい。何もできなくなる。とりわけコンテンポラリー・アートの展覧会など、帰りに併設のカフェでお茶をすることすらしんどい(私だけかもしれないが)。そういう不羈の自由をある程度制限し、楔を打ってくれる親切さが「証言」のパートには溢れている。これがひいては綾野剛という人の優しさであり、役者の矜持であるような気もする。わからないことをわからないままでいるのも、わからないことに少しだけ注釈を加えるのも、作った人のバイアスにどっかり乗っかるのも、全部ありだと言ってくれているように。ものの感じ方は人それぞれで、常に「共感」以外での受け取り方を言外に提示し続けてきた(それがまた個人的にはめちゃくちゃ好きなところで、以下略)綾野さんの「表現」の受け取り方の多様性を重んじる心を、この本からは随所に感じる。そういう意味でも、表現者に広く読まれて欲しいと思う。

 表現者というとおこがましいけど、私自身は文字をずっと作ってきた人間なので、綾野さんが今回「著書」を出してくれるという話を聞いただけで飛び上がるほど嬉しかったし、実際に手にとってみて想像していたよりもずっと凄まじい情報量にまた飛び上がるくらい喜んだ。同時にこの組版をした人は楽しくて仕方なかっただろうなと思った。文字のレイアウトは文字を書く人間にとって、そして活字で本を出す人間にとって最も心血を注ぐ部分の一つであり、書籍における文字の配置は時に文章内容以上の意味を持つことがある。投稿サイトで満足できないのは「読みやすさ」の故に均質化が厳格に行われ、「読ませたさ」が軒並み殺される実情に起因するのではないかと思っている。もちろん、意図的に読みにくい配置の文章を読まされるのは耐えがたい苦行であり、そうした著者の感性との乖離が「合わない」となってしまう危機もあるので、大半の一般書は縦書き、右とじ、明朝体と相場がきまっているのである(これも出版社によってばらつきがあって面白い。また、文庫本に比べると概して単行本のほうが行間や字数など自由度は高い)。これから読む人はぜひ、証言パートの文字のレイアウトにも注目してみて欲しい。その字数で改行すんの、そのページ跨ぎめちゃくちゃかっけえな、えっその行間何事、とアトラクション気分で楽しめる。本は自由だ。自分もいつか短い文だけで紙媒体のものを出す時はやってみたいとすら思った。まあ短い文章書くのが得意じゃないからこんなことになってんすけど。

 最後に。
 この本の発売に際して、綾野さんはいくつものインタビューに応え、モチーフキャラを描き下ろし、何冊かの本にサインをし(当たった方がフォロワーさんに何人もいらした。おめでとうございます)、また何人ものファンと話をするという(当たった方をTLで散見した。おめでとうございます)。物凄いファンサービスである。おそらくこの物量、義務感や職業意識でできるものではなく、この人は本当に「ファンの人にありがとう」というのを行動で示す人だなあと実感した。自分は個体として認知されたくないファンではあるが、「その仕事を続けてくださってありがとうございます」の気持ちだけはいつも表明したいと思っているので、声なき声でもいいのでそれだけは強く伝えたいと思う。綾野さんが表現者で居続けてくれることは、少なくとも自分にとって最たる幸福の一つであると思う。健康で長く生きられること、生活に困窮しないこと、社会的責任を果たすこと、自分の言葉で語ることなどと同じくらいのところに「綾野剛と同じ時代を生きていられること」が入る。いつもながら重いが、常にそれくらいの気持ちでいるし、またそういう気持ちを今作を通して強く持った。ちなみにこの本は3冊買ったので、マジの布教用・観賞用・保存用が揃ってしまった。2冊は後世のために家宝として語り継ぐが、1冊は私が死んだら一緒に棺桶に入れて欲しい。まだ死ねないのでそれまできれいに保存しておきたい。

 以上です。
 思いがけず27日にフラゲできてしまってから静かに一人で狂っていたのでようやく文章化できて感無量です。
 またよろしくどうぞ。では。

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