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「Up&Down」をじっくり聴いた感想

 気の利いたタイムテーブル。

 このアルバムの印象を一言で表すなら。

 1日の中で目まぐるしく変わる気持ちのゆらぎをそのまま表現したような優しさと温かさ、開いた気持ちと閉じた気持ちが綯い交ぜになってそこにある様子。そういったものを目の当たりにする贅沢を感じる。
 なんとなくこなしていくルーティンとイレギュラーの両方がその人物の日常を形作るとして、華やかなダンスチューンとゆったりしたバラード、オルゴールと打ち込みのしっとりしたR&B、壮大なアンセムと多岐に展開する。飽きがこない音楽、今作れるいちばん新しい音が、伝統的なアプローチと丁寧な言葉選びに絡む。

 いい意味でバラエティに富んでいて満遍ない。水みたいな、空気みたいな、そこにあることが約束されているもの。であるがゆえに、初めて聴いたときは正直あまり印象に残らなかった。いい曲揃ってんな〜シングル曲多いのかな〜っていう。色々聴いてみて「shonen chronicle」「涙を流せないピエロは太陽も月もない空を見上げた」の方がそのときの自分は気に入ったくらい。もちろんライブ映像をたくさん見たのもあるかもしれない。

 いま、興味を持ってからおよそ3ヶ月。各種会員サイトに課金するまあまあなユーザーとなってからはおよそ2ヶ月半ほど。幸か不幸かそれ以外のことにあまり時間を費やさないので、かなりの密度でこのコンテンツの予習復習が進んでいる。これが履修科目であれば非常に熱心な学生である。
 粗方メンバーの顔と名前、プロフィールなどが頭に入り、動画をたくさん見る中で改めて「Up&Down」をじっくり聴いてみた。Amazonのタイムセールで有り難く手に入れた初回限定生産、付録付き。ちなみにIDカードは白濱さんでした。「泣くな研修医」のIDカードにまつわるあれこれを思い出してちょっとわらった。

 その中で一つ気付いたことがあった。このアルバムが出された時期である。最新だということは知っていたけど、正確な時期を把握していなかった。去年の夏にリリースされたということは、単純に考えて制作期間はまっすぐ新型感染症の流行中。なんなら、それまでのいつよりもひどい感染状況の中で世に出ていた。国が大いに揺れた東京五輪、感動すら消耗するかの祭典と前後して。

 我々は家にいた。とにかく家に居続けた。家に引きこもることが何らかの光明をもたらすと信じて、怠惰や自堕落、不精、閉塞的とレッテルを貼り続けた行為を馬鹿正直に体現していた。残念ながら自分の業種はその特性ゆえにリモートワークとは相成らなかったものの、遊び回ることを罪悪と定義する世の風潮には従わざるを得なかった。何もない頃はそうするしかなかったし、人々は「もし家族にうつしたら」「もし恋人を苦しめたら」「もし職場でクラスタを出したら」となけなしの責任感を発揮していた。生きづらい時代だった。何より生きづらかったのは、そうしたままならなさをだんだん内面化し、アクリル板で隔てながら人と会食することや、おしぼりで手を拭く前にアルコールで消毒することを何の違和感もなくやってのける自分に気付く瞬間だった。その行動自体には納得しているし、現に自分は未だにまったくマスクを外すつもりもないが、規定される新しい日常に少しずつ生活を変容させられている事実がショックなのは確かである。フィクションが好きなので、管理社会や非常事態下の社会にはわりと興味があったのだが、どうやらそれらは現実世界に於いて、ゆるっとぬるっと、気付かないうちにいつの間にか始まるらしいということも知った。いつの間にか制限され、いつの間にか解かれる。かと思えばまた奪われ、何かの名称が少し変わって、新しいことが始まったような錯覚に陥る。それの繰り返し。

 そういうつまらなさ、単調であるがゆえの贅沢、平均律的な最適解をだらっと2年ほど過ごし、世の中全体が飽きてきた頃にこの作品は世に出たのだな、と思った。水とか空気みたいな、pH値の極端でないアルバムなのはなんとなくそういうことかなと思った。
 通勤時間に音楽を聴いているので、自然と仕事に行く前のやる気のない状態や、疲弊しきった深夜帯に聴くことになるわけだが、このアルバムは非常に人の疲れに寄り添ってくれる。また、疲れているとは限らない、盛り上がりたい気持ちにも花を添える。疲れているけど元気ではいたい気持ち、動きたいけどどうしても動けない気持ち、レイヤーですらないグラデーションの多層的なそれらの感情をひとつも置き去りにしない。愚かにもファンになったばかりの私はその優しさを見落として「印象に残らない」と言ってのけたが、水とか空気とか、当たり前にそこにあるものには感謝しないものだ。浮いて沈んで、弾んで佇んで、忙しなくいったりきたりする人間の感情もそう。まるで感情をひとつひとつラッピングして紹介されるみたいに、でもトータルとして出てくるものは複雑極まりない、なにもかもを内包した形で提示された人の心そのもの。人になにかを伝えるときに一拍置くような、まるで言葉を探すような、そういう慎重さまで兼ね備えている。何度か挟まれるインスト楽曲がその役割を果たしている。このインスト楽曲は概ね亜嵐さんの手によるもので、そういう意味ではアルバムの解釈を決定づける重要なキーとしての役割も果たしている(かも)。

 プロローグのやや哀愁漂う音選びと乗ってくる生活音は、日常の一幕の再現でもあるし、アルバムの作品世界へ誘う大事な切り口でもある。何度も何度も再生されることを見越したBGM的でありつつも耳に残るイントロと余韻が良い。
 2曲目は底抜けに明るいリード曲。大事な存在が自分をもっとよくしてくれる。手を取って笑いあえば毎日が祝日みたいになる。曲調はオシャレなのに言ってることがストレートなラブソングぽいのも特徴的。ポップで明るくてかわいい、そしてキャッチー。世の中に打って出るにうってつけのキラキラしさで、聴いている人間をいっきに引き込む。
 3曲目はロックチューン。ストーリー仕立てのMVも見どころ。シングルらしい王道の展開と華やかさ。4曲目はそのカップリング曲で、遊び心を感じるアレンジ。「華やかな悪い男」という30歳周りくらいの男性像をうまく演出する歌いぶりに幅の広さを感じる。3曲目と4曲目の流れは通して(本人たちの実際にパーソナルな部分はさておき)フィクション的なストーリーを音楽に組み込んでいて、それは2019年に始動したBOTの余波でもあるのかもしれないが、楽曲寄りのミュージカル的な総合エンタメの様相を呈している。
 (元々EXILEっていう企画が昔からそういうのを得意としていた気がする。HEART of GOLDの頃から)
 5曲目は前2曲とアプローチが異なる物語。同じ演者の別の映画。良い日もあるしダメな日もある、それらを相互に織り成しながら新しい出会いがあったり、新しい晴れ間を見つけたり。曲のモチーフそのものが人生の多彩さを表現している反面、メンバーの衣装が灰色のフォーマルというのも興味深い。人生はグレー。だけどノーブルで華やか。良し悪しは捉えようでしかないということかも。
 6曲目はさらに午後の晴れ間の下へ飛び出して、弾けるようなポップなダンスナンバー。子ども向けの楽曲で、労りに満ちたあったかい曲。作詞は小竹さん。このあたりの作成過程は「往復書簡」に詳しい。
 7曲目は夕陽が沈む。ハロハロでうたった人類愛的なものが目の前の恋人に向けられる。どちらも尊さという文脈では殆ど等価値のかけがえのなさだが、これから出会う人と友達になろうとする愛と、すでに抱えた幸せを尊く守ろうとする愛の対比が鮮やかでより示唆に富んでいるし、ボーカル2人の何でも歌える表現力の豊かさを感じる。
 8曲目は幸せな7曲目のコインをゆっくり裏返すようにインスト。オルゴールアレンジとノイズ。胸懐と薄れていく記憶を一曲の中で表現する見事さ。これ本当に好きですね(直球)
 9曲目は喪失の楽曲。7曲目と同じ海かはわからないけど、海をモチーフにしているのは同じ。非現実話法で紡がれる願望が痛ましい。でありながらボーカルは洗練されていてその対比が諦念を窺わせる。去ってしまったからこそ思い出にできるし、過去形の願望ほど形のないものはないのである。ここにまた物語性が出ている。失恋はそう何度も経験するものではない。ともすれば、これもまた物語という消費行動の一環、日常の中で享受するフィクション(ドラマとか映画とか…)なのかも。メタいけど。
 10曲目はマジの映画の主題歌。しかもメンバー主演。映画の方の話はかなりビターエンドで、なんだか世に数多ある「余命もの」の中ではかなり異色の話だと思ったんだけど、私は割と好きですね。結論は出なくていいし、それよりもあの日あの場所で見上げた星空にクライマックスがあるというのはある意味での真理をついていて好きだなと思いました。そういうことを思い出しました。良い曲です。
 11曲目はリード曲と迷ったというR&B色強めの楽曲。この曲で幕開けでもドラマチックですが、また雰囲気の違った展開になりそう。夜から始まる1日。それはそれでそういう暮らしもありますからね。楽曲の好みで言うならこういうのは一番好きだったりする。
 12曲目はワンミリの姉妹曲的な、アナザーみたいなアプローチということで、バラードでありながら電子音でダンサブルという夜の雰囲気が強い楽曲に。華やかなアレンジとロマンチックなボーカルがチルでエモい(敢えてつかっていく)。こういう流行りの先端を走ってる感じの楽曲はメンバーの好みも反映されているようで聴いていて楽しい。
 13曲目はこの時代を象徴するような楽曲で、照れるくらいまっすぐでストレートな歌詞と世界観にしっかり踊ってくる「らしい」一曲。ただこの曲単体で聴くときと、このアルバムの全体の流れでこの順番で聴くときでは響き方が異なっていて、まるで穏やかな夜が明ける暁の海のような穏やかさと力強さが同居している。それは特別な絶景ではなく、少しずつ明るみを増していくいつもの日常の夜明け前といった方が似合うような。
 14曲目はエピローグ。いよいよ1日の物語も終わりを迎えようとしている予感が曲調から伝わる。
 そのまま流れを切らずに15曲目のエンドロール。GENERATIONSはこういう普遍性のある愛を歌えるグループで、15年前のEXILEがやってたような世界観でラブドリームハピネスを体現できるんだなと感慨深くなる。太陽が少しずつ水平線の上に姿を見せるような、穏やかな朝の凪のようなアンセム。逆に朝を予感させるような楽曲で翌朝の穏やかさを思いながら眠りについても良いし、朝方にこの曲で文字通り1日を終わらせる人も居るかもしれない。眠れぬ夜に疲弊し、漸く眠りを迎える人もいるかもしれない。さまざまなライフスタイルに寄り添う愛、さまざまな人生に呈する愛。アルバムとしての軸を通す価値観がわかりやすく、表現したいこともわかりやすい、またとない象徴的な楽曲なのではないかと思う。

 内向きでパーソナルな愛から、外へ向けたユニバーサルな愛へ。愛の知り方はいつも個から集団へゆるやかに展開していくが、発達と成長を模すように、朝から昼を経て夕暮れのあとに夜を迎えるタイムスケジュール、世界を股にかけた冒険をしなくても生活は続くという、自己批判的でもあり新たな視座でもあるメッセージを感じる。その変遷は月並みだが加齢によるものかもしれないし、変革であるかもしれない。ただひとつわかるのは、その愛を謳う側には誤魔化しがなく、聴いてくれる人への愛を惜しんでいないなということ。聴いている側が惜しまない愛と同じくらいに。
 水や空気と同じくらいの愛と感謝。しかもそれが7人分。そう考えると結構な劇薬かもしれない。

 最後にパッケージの話をするなら、それらの溢れんばかりの不可欠の愛を包んで段ボールに入れて届けるという周到ぶりである。箱を開ける行為は「感情を曝け出す」ことと通じるし、やはり彼らがアーティストであるからには、表象表現が感情表現と近似の行為になる側面も否めない。込められた気持ちをどう開けてどう飾るのか、自分なりに陳列したらこうなるらしい。
 自分の創作活動の中での信条のようなものがあるので、その言葉を最後に書いておきたい。多分、私がGENERATIONSに惹かれたのは、彼らの「そういうところ」なんじゃないかと思うので。

Es muss von Herzen kommen, was auf Herzen wirken soll.
(人の心を動かすものは
心の底から生じたものでなければならない)
                        J. W. v. Goethe

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