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満身ソーイング

ポッカポカで青空が気持ち良いある日、
病院を抜け出して少し早めのお昼ごはん食べよう!とファミレスまで息子とテクテク歩く。

わたしは息子と歩くのが好きだ。
なんだかちょっと猫背な息子は、いつも自然にわたしに歩幅を合わせてくれる。
体が細くて、本当は目が大きいのに分厚いメガネで目が細くなっている、独特の好みの服がいい味を出している息子は、もう直ぐわたしが息子を産んだ時の歳になる。
二人で歩くと車道側に歩き車から小さい息子を守っていたわたしは、大きくなった息子が車道から守ってくれて歩いている。

最近は同じ時間を過ごすことはとても珍しい。一緒に歩くのも年に数回になった。一緒にいても話をしないことも多い。

「一緒に行くよ」息子が言った。

わたしは数日後に精密検査の準備のため、大きな病院に行くことを息子にずっと言えないでいた。
数年前に大病した時や今までいろんな病気のときも何でも話してきたが、今はやっと二人きりの家族の母親のわたしを支えなくて良くなって、自分の道を歩き出したところだ。

言いたくない。
出来れば何の異常も無くて検査もしなくていいとなって欲しい。
どれだけ息子に苦労かければいいのさ!子どもは親を選べないんだよ!もー!わたしのバカバカバカ!エンドレスで自分を責め続ける。
いつもみたく元気で明るくウキウキしながら旨い料理を作って「うまいぞー、食え!食え!」と息子に嫌がられながらもしつこくすすめる楽しい時間ですら辛くなっていた。
でも、万が一大きな手術とかになって承諾書にサインしてもらえる家族は息子しかいない。
そのときに初めて聞いたらカンカンに怒ることが容易に想像できたので意を決した。

「母ちゃん話があるだよ。」
車を運転しながら緊張気味に切り出してみた。
ずっと無言で携帯をいじっていた息子は
「なに?」と低い声で言った。
「あーのねぇ、最近お腹痛くてねぇ、エヘ」
「で?」
「いつものクリニック行ったらさー、ちょっと検査したらね、なんか腫瘍が見つかって大きい病院で精密検査受けてくださいって紹介状出されたよーへへっ。それまで何にも薬出せないし、痛み止めはよっぽど痛いとき以外飲まないでくださいって。よっぽどってどのくらいだよー?って思わない?物凄く痛いときは、紹介状持って救急車呼んでだって。まいったねぇえへへ。」
「いつ?」
「○月○日けっこう先。」
「うん。なんかおかしかったもんね。」
昔別れた元旦那も今病気と戦っているらしいと、たまに息子から話を聞いていたので息子への負担を考えるとわたしは元気なふりをしていたけど、全然バレていた様子。

病院受診前日、
「明日でしょ?病院。」
「うん、そうだよ。」
「一緒に行くよ。」息子が言った。

「え?いいの?紹介の初診だから、ドクターの問診だけかもしれないし、何の検査やるかもわからないから時間も全く読めないよ?」
「全然いいよ。」
嬉しかった。今までどんな時も一人で病院でドクターと向き合ってきた。息子のことを考えたら「大丈夫だって、一人で行って来るよ。」といつものように返すべきなんだけれど、その時のわたしは、半年近く体のありとあらゆるところが訳もわからず不具合を出していてポンコツ状態、精神もドン底まで落ち、参っていた。
親として失格!かもしれないけど甘えてしまった。

数年前、ガンや、なんやかんやでお世話になった大きい病院へ久しぶりに息子と行った。
前夜、眠剤を飲んでも不安と緊張で眠れなかったとは思えないくらい穏やかな気持ち。病院までの車の運転も楽しくドライブしてるような感覚。

息子がいてくれるからだ。

おしゃべりで落ち着きのないわたしと違い、穏やかで物静かな息子が横にいるだけでホッとする。
大きな検査は後日になり、その日は血液検査だけすることになり結果までの待ち時間、お昼ごはんを食べに病院を出た。

久しぶりに息子と歩いた。
歩きながら「病院の先生さ、こんな時期だからかどんな病院の先生もイライラしやすいみたいなのよね。とっても大変なのわかるから仕方ないけどさ、質問したら怒られちゃったよー。」とぶつくさ言っていたら、
「そんなにプンプンお医者さんのことを怒れるくらいなら心配ないね。」
と息子は笑っていた。
「体が怠かったり、痛かったりでずっと横になってたり、夜になると不安で眠れなくて、そういう時ずっと本やネットのブログとかnoteとかいろいろ読んでるのよ。」noteとTwitterとInstagramとブログの違いを教えてくれたのも息子だ。
「ウンウン。」
「楽しい話も悲しい話もくだらない話もあるんだけど。気になったのをいろいろ読む。そうするとなんか元気出てくるんだよね。助けてもらってるし、わたしも生きてて良いんだよって言ってもらえてるようなそんな気になる。見ず知らずの人達なのにありがたいよね。」
「うん。」
「わたしのこれまでのことや、今の苦しいこととかくだらない話とか楽しかったことがね、いつか誰かの役に立てたらいいのになぁ。」
「書けばいいじゃない?自分も。」
「え?」
新しく見付かった腫瘍だけでなく、他にも要注意な箇所が幾つかある。何の病院から行けばよいのか?と迷う日々。ガンで諦めた目標、新しく見つけた目標。張り切っていた縫い物の仕事も体調不良で中途半端で止まってしまっている。
精神の病気も10年振りにぶり返した。こんなわたしはいっそ死んでしまいたい。でも病気で苦しんで死ぬのは悔しい、と悶々としている。みたいなことを思い切って息子に冗談混じりに話した。

「“満身ソーイング"がいいんじゃない?」と息子。

「“満身創痍の中、こんな物作ってます”って作った物の写真載せて。思ったことやあったことを書く。」
「お!イイねぇ。でも、そのネーミングだと尊敬してる縫い物作家さんに名前が似てるから申し訳ないなぁ。」
息子はちょっと考え「じゃあ、“四面楚母ちゃん"」
「ハハハっ面白いね!」
パーっと心が明るくなった。

(高校生の時に作ってずっと使っている針刺し)

お昼ごはんを食べ終えて、血液検査の結果を聞きに病院へ戻ると、ドクターが優しかった。さっきとは別人のようだ。ニコニコ笑顔まで見せてくれた。
「どうだった?」と息子に聞かれ、結果を報告する前に
「先生が優しくなってた!」と伝えた。
「きっと、わたしが不安でイライラしてたから先生もイライラが移ってたのかな?わたしが落ち着いたから先生も優しかったんだね。」と言うと、息子は笑った。
帰宅するといつも通り息子は無口になり、マイペースに自分のことをコツコツやっていた。

状況は何も変わっていない。解決の糸口も何もない。
けれども、わたしの心は温かくなった。

体の調子が良いときにまた何か作ろう。そして思いを書こう。できるときにゆっくりと。
息子と一日過ごして、真っ暗闇だったわたしに小さな目標ができた。

「満身創痍」と「四面楚歌」の意味を調べた。
ザックリ言うと、満身創痍は体も心もクタクタ。
四面楚歌は、周りは全員敵の中ただ一人で戦う、みたいな感じだった。
周りは全員敵、ではないなと思った。息子や数少ないわたしをそっと見守ってくれている人達がいる。だからやっぱり「満身ソーイング」にしようと決めた。

*****
記念すべき第一回目の満身ソーイング
この文章のために作って、出来たてホヤホヤの米ぬかカイロです。

本体(ピンク)はコットンで米ぬかとお米と粗塩が入ってます。


カバーは表がエコファーでぬくぬくだしカワイイ!裏地はダブルガーゼで優しい温もりが伝わります。
万年肩こりで頭痛持ちのわたしの首をぬかの優しい香りとじんわり蒸気で温めてくれます。いつか販売したい。いや、するぞー!

昔の手作り


この写真は息子が生まれたときに作った
モビールのわたしです。もうボロボロ。


いつ作ったか覚えていないかぎ針編みのクマちゃん。耳ほつれてる。

いつかわたしも誰かの役に立てるようになると息子の一言から満身ソーイングを始めました。


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