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妄想民主主義(1)新たな投票制度

目的

世の中は思ったより変化している、いや変わっていない、これらの交わりの中に現実がある。しかし圧倒的に不足しているのは、こう変えてはどうかという改良のアイデアと試行錯誤だ。日々ニュースを騒がしている議会制民主主義、投票制度、市場、教育、労働法、その他我々を取り巻く様々な規制、、、。新しいものもあれば、古いものもある、しかし技術革新に比べて、社会制度などなどの革新はひどく遅れている、と言えないか。そう、新しければいいというものではない。ただできることは試し、取り入れればいいではないか。新しいアイデアでないものも多いが、これらについて書いていこうと思う。

投票制度

今朝も自治体の首長選挙の結果が報じられている。2件の選挙につき、いずれも30~40%台の投票率であったとされる。選挙の問題はいとまがない。そして代議制そのものが民衆の無責任を生むという批判もありうる。

1人2票という投票方式

これは学者も提唱している方式である。今朝報じられた江東区長選挙でも、自民党公認区長が辞職した後の選挙に関わらず自民党公認の候補が勝利している。野党候補や無所属が5ー6人で争った結果であり、私は現地の情勢に疎いのだが、野党候補や無所属候補が票を食い合ってしまったのではないかとも想像できる。
坂井氏の提唱する1人2票という方式は、例えばアメリカのような2大政党制における大統領選挙などで、第3の候補が出てきた場合に、例えば第3の候補が民主党寄りの候補者であると、民主党候補と第3の候補で票を食い合いってしまい、共和党候補が有利になるというパラドックスを解消するための方法として提案されている。(一旦このような場合に、まず最下位となった候補を落とし、再度決選投票をするという方式もある)坂井氏によれば、このような状況で1人2票を投票させれば、別途調査しておいた選挙民の意図をより正確に反映した選挙結果が出るという。

マイナス投票

これも私の発案でもなんでもない、大学時代にクラスメートたちとの間で出た案であり、時に世の中でも話題になることもあるアイデアだ。投票率が下がってくると、とんでもない候補者であっても、固定支持層や団体からの支持のある候補が票固めをして当選できる確率は高まる。それはそれで民意であると言えるのだが、これに疑問を呈すのが、支持候補に1票、さらに不支持候補に1票入れるというこの方法だ。
時に落選運動などが市民レベルで呼びかけられることはあるが、支持層が票固めをしているところでは、多少の無党派層のみに影響があるか問われる程度だ。これを選挙結果の実態に反映しようというのがこの方法。
この方法は、上記の坂井氏などの本にも取り上げられていないし、つまり数学や、社会的選択理論の上でも検証されていない。いろんなデメリットがあるのかもしれない。例えば互角に競っている2大政党制の国では、それぞれが敵対候補にマイナス票を投じると、固定支持層の得票がそれぞれすべて打ち消しになって、浮動票だけが選挙結果を左右するとか、といった事態になるかもしれない。また特定の候補者にマイナス票を集中させて、といった組織的な策略の温床になりかねない。
ムカつく候補者にどうしても一矢報いたいという気持ちを代弁する発想なのだが、意外に得失の「失」が大きいようだ。しかし本当はもっと探求されてもよい発想なのではないか。当選した議員が晴れ晴れと「国民の信託を得た」としゃあしゃあと述べるのは腹立たしい。得票にカウントはしないが、マイナス票が何票あったと添えてやるのもいいと思うし、マイナス票の重みを0.5票にしてみる手もある。
確か7-8年前に仕事関係の台湾のお客さんから「台湾では法案成立しないもののマイナス投票の法案が議会に提出されたことがある」と聞いたことがある。インターネットで検索しても分からないのだが、台湾の民主主義は成熟しているなと感心した記憶がある。

義務投票制

娘から聞いたのだが、投票を義務化している国はそこそこある。
義務投票制を採用している国(文科省ホームページ)

https://www.mext.go.jp/content/20210305-mxt_kyoiku02-000013239_2.pdf

低投票率が政治が活性化しない原因となっているという指摘は少なくない。逆に政治が活性化しないから、投票率が上がらないという言い方もある。政治の活性化と投票率がパラレルな関係にあるとして、本来政治を活性化させるべきなのだが、そこを刺激できないのであれば、投票率を無理に上げるという手としてその義務化が考えられるというわけだ。実際のところ、上記2つの「1人2票」「マイナス投票」にはほとんど実例がないのに対して、この「義務化」は多数の採用国がある。つまり突飛なアイデアではないのだ。
この義務投票制には多少のバリエーションがあり、投票しなかった際の「罰則有無」には違いがあると紹介されている。
・アルゼンチン (罰則あり)・・・18~70歳までの有権者に対して罰金及び選挙後 3年間の公職就任・公務員への任用禁止 ・義務免除の規定あり
・シンガポール(罰則あり)・・・氏名を選挙人名簿から抹消 ・正当かつ十分な理由があると認められた場合及 び罰金を支払った場合は再登録
・イタリア ・・・罰則なし
いくつかの考察が可能だろう。日本で有権者であるということは何ら努力を必要としない無期限・無償の有効会員のようなもので、棄権も自由とされている。しかし投票を義務化する国では、有権者資格を更新を要する運転免許のように捉えている。かつ運転を継続しなければ、免許をはく奪されるどころか罰金まであるケースがあると。主権者である国民が、国民(あなた)に対して、それほどの義務があるということを課すわけだ。
国民主権国家の覚悟という意味では私はいいと思うのだが、実効性については怪しい場合もあるらしく、娘によると、ベトナムなどでは「投票に行きたくない人」たちに対する代理投票サービスが横行するなどの問題も出るらしい。(これは本人確認をすれば済む話だが)私がやや懸念するのは、モラルに委ねられた行為を経済化すると(罰金ないし褒賞)、モラル自体が退廃するという問題である。しかしモラルの低下といっても、お客様天国のような日本の有権者のモラルと、義務投票制の国の罰金は嫌だから投票する有権者のモラルと、どちらがましなのか比較するのは難しい。

おわりに

投票制度の変更は、選挙制度の変更に比べればちょっとした改良、マイナーチェンジと言えなくないか。衆院選で小選挙区比例代表並立制が導入されたのは1994年。それ以来同制度の問題は指摘されつつも、そのまま日本はこの制度を引きずっている。選挙制度を変更するのは数十年に一度の大ごとだとしたら、地方政治などから試験的に投票制度を変更してみるのは悪くない気がする。


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