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子どもが自由に幸せに生きるために

外を歩くと花の色が目に飛び込んできます。
地面に咲く野の花、植えた人の愛情を感じるプランターに咲くすみれやチューリップ、目を上げると木に咲く花々。忙しく心に余裕がなくても花に癒されます。
PTA活動など大変なのはまさに「春」だからだったりするのだけど、花々が咲きだす春がやっぱり好きだなあと思います。

昨日はお花を楽しみながら歩いて10分ほどのカフェに行きました。
小学校の図書ボランティアのランチ会でした。

5名のうち、ひとりのお子さんが現役小学6年生、他はもう卒業しています。子はもう小学校にいないけれど行けるときに小学校に行って読み語りをしています。

話題は自然と子どもの教育のことに。
図書ボランティア部だからか、高学歴目指してなんぼ!というより、子どもに合った環境を探してあげたいよね~、と色々情報交換。

高専に行って好きなこと全開で輝く子、好きなことを深め究めていくには書物を読めないといけないことを悟り挑んでいく子、不登校の自分に合った通学スタイルの学校を選び、オンライン完備のその体制をうまく活用して留学し日本の教育も受け続け、大学は海外を選んだ子。
対して同じ部活の親同士が協定を結んだかのように「勉強しないけどいいよね~」、ひとりが何か検定でも受けたら「受けないでよ~」とお互い同じ環境を望むタイプの親たちもいるとか。

わたし個人の考えとしては、中学校の後に自動的に高校に進学するというより、中学の後に高校に行くか行かないかをよく考えてから定めた方向に進むのがいいかなと思っています。しかし怠ける動機で進学を選ばないのは趣旨がずれているし、本人がしっかりしていないと選ぶ行為が難しいかもしれない。
上のお子さんが中学受験をして都内の私立に詳しいお母さんから、勉強漬けにしないような自由な教育を施す学校が色々あることを聞きました。夜、息子にも話してあげました。

子どもがただ敷かれたレールを疑問を感じず進んでいくより、自分に合う道を自分で歩いて行った方がいい。
我が家のぼぼ助は先日よりリベラルアーツを受講し、世界で多く読まれている=人々の考えのベースになっていることを学び始めました。古典音読で日本語能力を高め、サイコロ暗算で数学を最後まで学び通せる数字の感覚を養っています。好きなことなら知識は豊富に持っている。学校の求めるものとそれらが符合していないし、本人も学校の勉強に不熱心なので成績は悪い。

こう書き並べるとこれでよいと思いますが、学校による「成績」は子どもの人生に幅を利かせてくるものであったりします。
うちの子でも受験をするとなったら勉強をしなくてはと思うかもしれない。
その時までに「勉強することの意義」がリベラルアーツの学びで彼なりに構築されていれば、やる気になったときに超強力な力を発揮できるくらいに日本語力が備わっているよう、今は目先の成績に振り回されずに家族で信じる道を進もう。

昨日の集まりで、学校も多様化しているんだなあと目が開きました。
選択肢はひとつでもふたつでもなく、たくさんある。
教育は親だけで考えるものでない、主役がいる。
インターネットとか情報誌ではない、心の通った考えの似た友達とも考えていける。自分独りの考えはせまいな、とも実感。

よかった、ありがとう。

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