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[教育選択した理由]瀬戸ツクルスクール見学記/(番外編)不登校から別居・離婚そして教育移住までの記録

突然の不登校、突然の別居でシングルマザーになった親子が辿り着いた「市民立小中一貫校」への教育移住。その4年間の記録をマガジンにまとめています。

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昼逃げ別居後にも、地域の小規模学校への入学のためにさらに転居したり、オルタナティブスクールに入学してみたり、フリースクールを探したりと模索しまくった我が家ですが、結局息子も私も納得できる場所に出会えず5ヶ月の月日が流れていました。

そんな中、これはやはり一度行くしかないと思い見学に行った「瀬戸ツクルスクール」の見学記と、市民立小中一貫校を選択した理由をマガジン番外編として記事にしました。


いよいよ現地に!瀬戸ツクルスクールへ

ツクルスクールの存在を知った時は、関東で暮らしていた私。偶然にも東海地方に転居して、子どもたちの教育の場を試行錯誤する中で、いつしか「ツクルスクールのような場所」を求めて探すようになっていました。

でも、ここだ!という場所はなかなかありません。
これはもう、やっぱり行くしかない。という気持ちがふつふつと大きくなっていき、いよいよ、ツクルスクールに見学にいくことにしました。

個々に存在しながらつながりあっていた子どもたち

11時頃、見学スタート。朝のクラス会議が終わった後で、子どもたちは思い思いに過ごしていて、その間に一尾さんにいろいろ話を伺いました。

11時15分過ぎ。昼ごはん準備の時間になってもあまり動きがない子どもたち。

自分も一度お昼ご飯を買いに出かけて、戻ってきた時に下駄箱で小1、小2の男子2人にすれ違いました。
何買いにいくの?と聞いてみると「決めてなーい!」とニコニコしながら買い物に出かけるふたり。

決めずに出かけるんだ〜と、ちょっと驚きながら食堂でお昼を食べることにしました。すると、少しずつ子どもたちも食堂にわらわらと入ってきました。

ここから、子どもたちそれぞれの、多様性、主体性、コミュニケーション力に感動することになります。

昼食の予算はひとり300円。
鶏肉を買ってきて、何やら料理を始めるグループ。
その後ぞくぞくと、カップラーメン、パスタ、冷凍食品の餃子とフライドポテト、スーパーで仕入れてきた鮭のあら汁に寿司(自分達で握る寿司)、のグループまで。

さっき下駄箱ですれ違った子たちも、好きなものを買って戻ってきました。

インスタントラーメンをさっと食べて終わる子もいれば、韓国風味付けの唐揚げグループは、2時間近くをかけて料理し、食べ始めることには14時を回っていました。

正直、驚いた。

冷凍食品やカップラーメンより楽であろう、出来合いのもの(おにぎりとかお弁当)を買ってくる子がみあたらない。ご飯を炊いて、おかずを作って、食べる。
誰が用意するわけでもなくて、自分のご飯を自分で作って、友達と作って、食べる。

飯をつくろう ひとり作ろう

が、ここにいる子たちにとっては当たり前なのか…! と、頭に星野源さんの歌が浮かびながら目の前で起きることをひたすら見ている私。

食べ物を物々交換。誰が何個食べるか話し合う。どうやって決めるか話し合う。
途中何かの理由で泣き出した子がいたけれど、騒ぎ立てるでもなく、みんな当たり前に受け止めたり流したり、背中をさすってあげる子もいて、いつの間にか泣いていた子が笑っていました。

ご飯を食べたらアイス。ご飯の前におやつのチームも。
それぞれ好きなものを食べながら、喋る喋る。

小一から中学生まで、いろんな世代がまざりあい、
エネルギーの交わし合い、コミュニケーション。

ツクルスクールでは、先生はおらず、場の管理者としての大人スタッフが一人いるだけ。それも、基本的に子どもたちの行動にあれこれ口は出しません。

これだけのことが、子どもたち主体でただ当たり前に目の前で行われている。本当に驚きの連続でした。

電車通学のリアル

15時前、帰りがけ。

一緒に見学にきた我が子と、帰りにモリコロパークに寄って帰ろう、と話していたら

「モリコロいくのー?」と何人かの男の子が声をかけてくれました。

ツクルスクールからの行き方をめっちゃ教えてくれた後、「あ、紙に書くわ!」と書き出したかと思えば、「いや、あそこわかりにくいし、そういえば俺たち道一緒だから、連れてってあげるよ!」と、一緒してくれることに。

そんなわけで、電車通学の子たちと一緒に過ごす時間があったのだけど、ここでも驚くことがたくさん。

駅に着くと、私が切符を買うのを待っていてくれる子もいれば、ICカードで先に行く子もいる。

ホームに行くと、駅まで一緒に歩いていた中の数人はもういない。それを、「あいつら先行ったか」と、ただ受け止める。

いつもは一駅分歩いてお金を浮かしている子は、お小遣いの残りを計算して「今日は一駅分乗ることにする」と言って一緒に電車に乗りました。

乗り換え駅に着くと、「待ってたー!」と、先に言った子たちがばらばらと登場。

電車に乗らずに、乗り換え駅まで一駅分、いつも通り歩いた子と、電車に一緒に乗ってくれた子が兄弟だったことを後から知って驚きました。

兄弟だから一緒に行動するわけではなく、弟だからお兄ちゃんについていくわけでもなく、低学年であろうと、全員が自分の責任で動いているんです。

数駅電車に乗ると、ソワソワしだす子がいました。「おれ降りる駅の名前がわかんねえ!」と、通い出して日が浅い子が言い出したのです。

そばにいた私は気が気じゃない。我が子だと思ったら、もうヒヤヒヤ!

すると子どもたちは

「モリコロ通る?! いつもどっち方面?おいおい大丈夫かよ〜」と、みんなでわいわい言い出します。

「うん、あっちいって、こっちいって、あの建物が見えたら降りるから、、、こっちで大丈夫なはず」とまだ不安そうなその子。

この様子を見て、子どもたちは、家を出てから帰るまで、自分の意志で動き続けているのだと実感させられました。

市民立スクールでは、与えられた枠がないわけではないけれど、それが絶妙に最低限です。

朝会議、フリータイム(自己決定タイム)、昼食の時間など、最低限の枠の中で、常に「自分はどうするのか」の選択の連続。

これって、考えようによっては、とてもシビア。与えられるものはない。全部自分で決めなきゃいけないのだから。

電車に一緒に乗った子たちは、小学校低学年から高学年の子たち。みんなすごいよ。自分の小学生の頃の記憶を辿って、主体的な行動力に脱帽です。

最後まで一緒に電車に乗っていた子と別れる時「ありがとね」と言うと、「モリコロ気をつけていってくださーい!転んだりしないようにねー!」とその子は言いました。ゆるやかな優しさがじんわりしみました。

個々に存在しながら、ゆるくつながりあって生きることを日々重ねている子どもたち。ここには、「みんな一緒」とか、必要以上の「気遣い」とかがない。でも、思いやりに溢れている。

社会がどうなろうと、きっとこの子たちはたくましく生きていくんだろうと、そう思ったのでした。

教育を選択するということ

ツクルスクールを見学して、わかったことがありました。

我が子たちの教育の選択や、教育委員会とのやり取りの中で、一条校以外の選択肢を親が選んでいいのか、自信が持てずに、決められずにいたけれど、それは「どういう力を育みたいか、どういう環境で育ってほしいか」というその視点が私の中で明確じゃなかったということ。

ツクルスクールは、「教育の方針」があって、その方針に賛同した親が、教育の場として選んでいる学校。

それは、明らかに、不登校支援の場でも行き場をなくした親子の居場所でもない。親がホームスクーリングで育めるものともまた、明確に違いました。

オンライン説明会でツクルスクールについて聞いてはいたけれど、実際に見学に行き、一尾さんと直接話し、過ごしている子どもたちを実際に見ることができて、腑に落ちてわかることがたくさんありました。

そして私は、「我が子たちもこんな場で育ってほしいから教育を選択するのだと、自信を持って言えそうだ」と確かに感じたのでした。

ツクルスクールが唯一無二である理由

私は息子の教育環境を探す中で、どうも「フリースクール」や「不登校児の居場所」を積極的に選択しようと思えなかったのですが、それは、学校や今ある一般的な道(高校大学進学や就職など)に戻るための場所という意味合いが強かったところにあります。

今目の前の息子は、学校には行けなくても、フリースクールや居場所には行けるかもしれない。実際にその場で過ごすことはできた。でもその後は?ということが、常にひっかかっていました。

家で過ごしていれば元気になったように、今落ち着いて過ごせる場所にいれば、元気は取り戻すかもしれない。でもその先が、「息子にとって辛かった場所や価値観の環境に戻る」ことなのだとしたら、それは根本的に何も変わらず、ただやり過ごすだけなのではないだろうか。

学校というシステムが合わず不登校になったのに、中学になったら戻れるのか?
中学は無理でも、高校だったら行けるのか?

息子がまた社会の一般的なシステムの中に戻って生きていくことは本当に正解なのか?

でも、日本という社会の中で生きていくにはそれしかないのか?

ずっと答えが出せずにいたところに、「ツクルスクール」は、中学卒業後の進路としての高等部(個人事業主として働くスキルを身につける専門学校)、高等部の卒業後の働き方や生き方までを見据えた教育の場である、しかもそれが、市民によって持続可能な形で無償で運営されている。

従来の教育システムや、受験や学歴、進学就職という価値観から本当に離れられる場所、ということが「ここにしかない新しい教育の形」だと感じた理由です。

発達障がいという価値観からも解放された

そしてもうひとつ、私は気になっていたことがありました。

長男は、学校に通えなくなって、適応指導教室では「発達障がい」と言われて心理検査を受ける準備をしていた。そんな状態だと、ツクルスクールにも通うのは無理なのだろうか。ということ。

「ツクルスクールでは、そういう子どもたちも通ってますか?」と聞いてみると、一尾さんが一言。

「しらん!わからん!」

えー!? 驚きました。

でも確かに、見学中に目の前で過ごしている子どもたちを見てみると、本当にそんなこと、わからないのです。そんな目で見る必要もないのです。

一斉授業、分単位の細かなタイムスケジュール、みんな一緒に、の枠の中には馴染めないかもしれなくても、ツクルスクールの枠組みの中では過ごせて問題が起きていない。

もちろんツクルスクールにもルールはあって、それは守る、ということは最低限あるのですが、そのルールも実に理にかなっていて最低限のもの。

友達同士のトラブルとか、いろんなことは日々あって、遅刻することもあれば、忘れ物もあるし、持ってきたものをなくしたり管理しきれなかったりなんて、本当によく起きること。

けれど、それって成長過程の中で自然なこと。むしろそういう経験をするから成長するようなことを、先回りして排除せず、ちゃんと経験できるということ。失敗が許された環境があるということ。

必要な経験を必要な時期にちゃんと経験できる、ゆるやかな枠組みの中で、色んな子どもたちがイキイキとたくましく成長している。

確かに息子には特性があって、学校やそれに準ずる場所では、困りごとや人より劣っていることとして常についてまわりました。

障がいは個性、なんて言葉では言っても、根底に、マイナスの価値観や優劣感が絶対にあることを、息子の不登校試行錯誤の中で強く感じてきましたし、そして私はそういうことに、非常にモヤモヤしてきました。

そんな中で、ツクルスクールは、私の中の「発達障がい」や「グレーゾーン」の捉え方も大きく変えてくれる場所だったのです。

「見方を変えれば、ある意味全員が発達障がいだよ」と言っていた一尾さんの言葉も忘れられません。

もちろん、本当にサポートが必要なケースもあるわけですし、難しい話だなと思いますが、あくまで我が家の場合は、環境を変えることで、障がいがあるとかないとかという価値観から抜けられて、息子が自信を持って生きていける場所があるのなら、迷わずそちらを選択したいと心底思いました。

頭の中で鐘が鳴り響いていた

ツクルスクールを見学して、私の頭の中では、ものすごく大きな美しい鐘の音が鳴り響いていました。
(ワンピースの空島で鳴り響いた鐘みたいなイメージ)

やっぱりこれだ!これしかない!!

一尾茂疋さんがつくったこの教育の形。我が子たちにこの教育と未来を選びたい、選ぼうと、腹が決まりました。

そしてこの翌日、ツクルスクールの姉妹校で、その時住んでいた地域からツクルスクールよりは近い「おおきな木」というスクールに見学に行き、息子は「ここに電車で通う!」と言ったことから、この時は瀬戸に教育移住はせず、電車通学を選択することになったのでした。

⑯につづく


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