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#1.始めてみます。そして、私はだれ?

はじめまして。
新しいことを始めようと思いnoteを書いてみることにしました。


私は文章にしても言葉にしても、アウトプットすることが得意では
ありません。

でも、やってみようと思ったのです。
自分の言葉で、飾らず、上手に書こうとせず、素直に。

読んでくれる人がいないかもしれない。
共感してくれる人がいないかもしれない。

それでもいいじゃない。そのままでいい。
心で感じたまま、ふっと浮かんできた言葉を綴っていこう。

そんな風に思っています。




『私はだれ?』

まずは自己紹介をします。
私は、海と山のある自然に恵まれた中で育ちました。
地元の音大を卒業し、声楽家・指導者として自由奔放な夫と三人の娘たちと暮らしています。ある出会いが転機となって本当の自分、本当の音楽を探す、向き合う日々を送っています。

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幼い頃は、音楽と外遊びが好きな子でした。両親が演歌好きで一緒に歌番組をよく見て真似して歌っていました。近所の友達と毎日外で遊び、家では父とよく相撲して遊んでいたように思います。小学校でも、休み時間になると一目散に外に出て遊んでいました。


ピアノとの出会い

よく歌っていた私の姿を見て、母の勧めでピアノを習い始めました。弾くことは大好きでしたがなかなか楽譜が読めなくて、先生が弾いてくれたのを耳コピして練習をしていました。とは言え、遊びに忙しく練習はぼちぼちといったところでしょうか。笑


高学年頃にはピアノの先生になりたいと思うようになり、音大に進むことを意識し始めます。


中学では吹奏楽部に入りクラリネットと出会います。次から次に渡される楽譜を必死に読んでいく中で、苦手だった譜読みがいつの間にかできるようになりました。一人で演奏するピアノと違って、たくさんの楽器とアンサンブルをする楽しさを味わいます。


同時に、本格的にピアノを学ぶために別の先生に習い始めますが、自分のレベルの低さを目の当たりにします。それでもその時は、"私にはこれしかない"と必死に練習していました。


声楽との出会い

高校生でより本格的に。ピアノの先生の紹介で、声楽の先生のもとで学び始めます。今では楽器と並行して学ぶことが当たり前になったソルフェージュですが、私は学んできていませんでした。

もうそれからは詰め込みです。できない、無理、と涙することもありました。毎日のように学校帰りにレッスンを受ける日々です。そんなある日、声楽のレッスンで純粋に歌うことが楽しい。面白い。と感じている自分に気づいたのです。

先生に褒められ、勧められ、すっかりその気になります。方向転換。声楽の道へ進むことを決断します。

大学時代

両親の希望で県内の音大を受験し特待生として入学しました。何もわからない、知らない私は受験前、この音大ならこの先生ね、と勧められるがままにその大学の先生のレッスンを受け、入学後もその先生の門下生となりました。特待生であるからには上位に居続けなければいけない、上手になりたいと必死でした。


私は他の人とは違う、そんなのんびりやってられない、とも思っていたように思います。きっと周りからは、気が強く近寄りづらい人に見えていたんじゃないかと思われます。


門下でイタリアに短期留学します。イタリアの先生のレッスンが受けられると張り切って行ったものの、レッスンは大学の先生のレッスンで驚くことに。場所がイタリアになっただけです。環境が変わる、イタリアの空気や文化に触れられる良さはありましたが、レッスン自体は思っていたものとは違っていました。私が未熟すぎた、知ろうとしなかった、ただ流されすぎていたんだと、今ならわかります。

喉の状態にも神経質になっていました。毎日声の心配をし、不調だと感じればマスクをし、のど飴をなめ、できるだけしゃべらない。心もキュッと小さくなり張りつめている。今思うと、よくそんな状態で歌えたな、と。音楽とは言えなかったと思います。


思っていたのと違う、と違和感と疑問を抱きながら4年間特待生として卒業しました。


卒業後、転機

卒業後は、県内の音楽教室でピアノと声楽を指導、結婚式場で聖歌隊の仕事をしながら他の先生を見つけ学び続けました。結婚・出産でしばらく学ぶことから離れましたが、少し自分の時間が取れるようになったころ、ゼロから学び直したい気持ちが湧いてきました。


いつまでも人に頼らず、自分で自分を高められなければだめだと、今まで習ってきたことを参考にしながら自力で発声を見直し練習を始めますが上手くいきません。やればやるほどおかしくなっていく感じです。自分で自分の首を絞めてもがいていました。


そんなある日、テレビでイタリアに住む80歳ぐらいの元オペラ歌手の方が歌っているのを見て驚きました。引退したとは思えない、現役歌手と変わらない素晴らしい声で歌っていたのです。その姿を見て『これだ!永く歌い続けられる歌手になりたい!』と強く思ったのです。


このことをきっかけに、自力を諦め良い先生を探しはじめます。そんな中で出会ったのが、今の私の先生、伊達路子先生でした。この出会いが人生の転機となります。レッスンは、今まで受けてきたものとは全く違うもので驚きの連続でした。すべてが真逆と言っていいほどに。喜びを感じ、"私が探し求めていた道はこれだ!"と確信したのです。


習得には時間がかかります。覚悟を決めて、ゼロから学び直す日々をスタートさせました。


初めてのソロリサイタル

学び直し始めて8年を経て、2023年5月と6月に人生初めてのソロリサイタルを行いました。同じプログラム、同じ場所で日を変えて全3回。先生たちの全力サポートの下、仲間とピアニストと準備をする時間はとても貴重で尊いものでした。一人では到底成し得なかった、このチームでなければ叶わなかったと思います。この経験は、プロセスの中の一つの通過点に過ぎませんが、わたしの中では大イベント。ようやくスタート地点に立てた瞬間でした。


ソロリサイタルの日々について、いくつかに分けて詳しく綴っています。ぜひ読んでみてください。


そして、今

今も学び続けています。学生時代の環境、競争や思い込みから身につけてしまった多くの発声や思考の癖、恐れと向き合う必要がありました。習得できるのだろうかと不安になることも何度もありました。


それでも先生が導いてくれたのおかげで、ここ最近は、

『これでいいんだ。そのままでいいんだ。』
と思えるようになりました。


ずっと抱え込んでいたものを手放し、暮らし方も変え、声がかなり安定してきました。以前抱いていたような不安はありません。

ソロリサイタルを経て更に変化を感じているところです。ずっと自信が持てなかったのが、自信が芽生えたのです。このままのわたしで素晴らしい、と。今まで責めいじめ続けてきた自分を許して、がんばってきた自分も、自信が持てなかった自分も認めてあげることができたのです。


ここまで歩み続けてきたからこそ見えた世界です。どんなわたしでも、信じ続けてくれている先生たちと仲間、そして、ずっとそばで、そっと見守り支えてくれている家族に心から感謝しています。


先生たちから伝えてもらった音楽家として生きるすべを、必要としている人に伝えていきたい、広めていきたい、良くなっていく手助けがしたいと強く思うようになりました。


これまでの私の経験が誰かのお役に立てれば幸いです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。  

2023.8.5改




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