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日々是妄想: 本は捨てられないけど迷子にはなる

部屋の中で迷子になった古い本を、クローゼット(広くもない)から発掘したお話である。

マティス展にいくことになり、ずっと前に持っていたはずの『JAZZ』が気になってしょうがなかった。目の届く範囲で見つからず、諦めて展示は観たものの…ショップで売られていた画集を見てもピンとこず、これじゃない。手にした感触が違う。忘れてしまうことの方が増えてきた日々なのに感覚は案外、そうでもない。
諦め切れず、ふと引っ越して以来、つまり2005年からクローゼットに突っ込んだままのキャリーが目に付き開けてみたら、あらびっくり‼️
あるじゃん!イカロスのブルーの表紙。厚みのあるペーパーバック。そしてページを捲る手の感触。そう、これよ。

タイトルも何も書かれていないけど、マティスだってわかる。

マティス『JAZZ』はニューヨークの書店が1985年に発行。本人が書いたフランス語の説明が作品のように印刷され、とても美しい。多分、20代後半か30代前半、マティスがどうとかではなく、この切り絵が好きで入手したと思う。芸術に興味はあっても日々の暮らしの方が忙しく、ひたすら働いていた頃だった。当時から芸術に癒しを求めていたのかもしれない。そう思うと余計にこの本が愛おしくなるから不思議だ。私的にはこれがあれば図録要らない。今回は買わなくて正解✅

手描きによる解説が楽しい。フランス語読めないけど😆

『海の日曜日』作:今江祥智 挿絵:宇野亜喜良
小学生の頃、美しい表紙に惹かれて買って貰った本だと思う。奥付けは1969年発行とある。50年以上前、私はまだ小学生だった。あれからずっとそばにあったのか…

宇野亜喜良の絵が好きになったのは、明らかにこの本の影響だと思う。登場する子供は、みんな大人っぽくて憧れた。

人生はどうかすると紆余曲折し、不良娘は家出したり、結婚したり、離婚したり、シャカリキに働いたりしてキャリアを作った。そして何度も引っ越しをした。その間に実家は建て替えられ、両親亡き後は丸ごと家財を処分した。だから失くしたと思っていた。
美しい本だったという記憶だけが残り、何度か思い出しては手に入れたいと古本で探しても見つからず…すっかり諦めていた本。目につかなかったけれどずっと一緒だったのかと思うと感慨深い。
よく消えずにいてくれたね。子供のころ、あなたが大好きだったよ。大人になっても大事にしてた記憶がある。だから忘れられなかったんだね。

その他、びっくりしたのは横尾忠則編『狂懐の神々』平成元年発行。これも少し前に欲しいと思いつつ、持っているような気がして買わなかった。やっぱり持ってたか😆

月岡芳年について横尾忠則が編纂した本。
人がおどろおどろしいものを求めるのは、ある種の浄化でカタルシスなんだろうなと自分ごとで考えてみたりもする。

どうしても捨てられない本はある。そして何年経ってもブレない趣味ってあるなと、本を発掘して半ば呆れたりもしてる。これだから本は怖い。自分の気質を捨てられない本の中に見てしまうから。
とはいえ、見つかってすごく嬉しいのも事実。幼い頃に買って貰った本と大人になって自分が買った本。自分の中の軸は案外、変わっていない気がする。この頑固者が…と思わなくもない…。

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