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日々是妄想: Be Freak Out


『Jean Paul Gaultier ファッション・フリーク・ショー』@渋谷ヒカリエorb

その昔、文化服装学院の学生だった頃、ファッションで天下を取れると本気で思ってた。70年代半ば、社会は経済成長著しく、いつか自分で稼げる様になったらパリコレに出てるブランドの服だって買える様になる。大人になったらそれが出来る。そんな能天気なことを平気で考えられるくらい、時代は明るかった。

そんな時代の再現を目の前で観ながら、アレキサンダー・マックイーンの展示を思い出す。
どんなにグロテスクであろうが、そこには必ず美がある。美しいことが全てであり、美の前ではあらゆる障害も問題ではない。
それを知る人はすべからくフリークなのだ。*ちなみにfreaksには異形のモノという意味もある。
ショーの内容はまさにファッショナブルなフリークショーだった。演出は大胆かつスペクタクル、いい意味でド変態である。そもそも変態じゃなきゃこういうショーは創れない。

あと音楽にやられた。
最初から最後までいいタイミングで流れるLe Freak by Chic この曲を何度、歌舞伎町あたりのディスコで聴き踊ったことだろうか。
文化服装学院で学んだのは服作りだけじゃなかった。自分の力で自分を生きるためにファッションを利用する術、仲間を作って一緒に何かを成し遂げる術を、放課後の遊びから感覚的に覚えた。言語化より身体感覚重視。そうやって自分の土台を踏み固める準備段階をファッションを通して体感していたのかも知れない。お金はなかったけど、安い生地を探して服を作っては自己表現しようと誰もが模索してた。自由に装い、表現すること。多少ヘンテコであっても構わない。今ならそれがアートだったとわかる気がする。
そしてアンファンテリブルは自分を作るためのスタートラインを引こうとして、何度も足で消しては引き直すことを繰り返した。今となっては全てが懐かしい。

ひとりのデザイナーの経験には社会との関わり、時代の空気が包摂され、影響を受けながら服の形になっていく。
服はそれを人が纏うことで初めて完成する。
多様性云々ではなく(それは前提としてある)大事なことは自分を生きるということ。自分と向き合って感性の示す方向を見つめること。ファッションは自分自身を補填するツールでありアーマーにもなる。
戦うのは心の自由を守る為で人を傷つける為じゃない。
ショーを観ながらそんなことを感じていた。
そういえば、美学の講義課題でファッションはアートと定義づけるレポート書いたのは偶然じゃなかったと思うと感慨深いものがある…

ショーはとても楽しかったし、劇場のロケーションもすごく都会的でおしゃれだと思う。渋谷駅のカオスはともかくだけど。
でも、成人指定かなぁ😅 
子供が見てもいいけど、あれ何してるの?って聞かれたらなんと答えるべきなんだろうか。
知ってるけど口にしずらいことも、大人にはある😆

休憩時間にスパークリングを飲む。大人はこれでいいのだ。
客席に降りてきたキャストが配っていた。
記念に頂いておいた😆

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