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義母が亡くなった

義母が逝った。手術を受けて2年半で逝ってしまった。
まだまだ生きていたいので、手術してください、と医師に言っていた義母だが、本当に手術したのが良かったのか、それともそのまま自然にしていた方が良かったのかわからない。

2年半前、肝臓を6割も取る大手術を受けた。2週間で退院と言われていたが、退院まで3ヶ月かかつた。その間、生死の境を彷徨い、そして復活したが、高齢での長期入院で足腰も弱り、歩けなくなっていた。家に帰りたい、と義母は言ったが、その家には、新たに次女がお腹に赤ちゃんを抱えて帰って来ていた。

義母の面倒と、これから新たに産まれて来る赤ちゃんのお世話の両方は無理だった。

義母には申し訳ないが、施設へ入ってもらった。初めは帰りたいと暴れたりしたが、次第に落ち着いて来た。

だが、帰りたいのは変わりなかった。誰でも、帰りたい。それは、同じだ。だが、帰って来てお世話をする人がいなかったら、どうにもならない。

義母は、お金を払って家政婦を雇うと言った。それも、24時間一緒にいてくれるわけではない。主人が首を縦には振らなかった。

そうこうしているうちに、元々の癌が転移したのか、腫瘍マーカーが高くなり、みるみる調子が悪くなった。

今年になって、だんだんと衰えて行った。一時的に、食事が取れたときもあったが、それもほんのわずかな時間で、後は点滴だけで寝たきりになった。

病気になる前の義母は、元気いっぱいだった。嫁の私と比べても、義母の方が元気なくらいだった。

毎朝、早起きして山登り、ラジオ体操して、また山を下って家に帰る。

帰ると、朝ごはんを食べたかと思うと、もう出かけてしまう。

お昼は、友人のカフェでランチ。そして、デパートやら、宝石屋さんやらに寄って夕方帰って来る。

夜は、ご飯は食べず、つまみにビールを飲みながら野球観戦をしていた。

お好みのチームが負けた日は、近づいてはいけないと主人から言われていた。機嫌がとても悪いからだ。

義母には2人の姉と1人の弟がいた。
1人の姉は何年か前に亡くなり、もう1人も最近亡くなった。
たった1人残った弟は、10歳も若かったが、早くから病気で身体が不自由になっていた。

10も若いのにつまらん、と義母はよく言っていた。私も、義母の元気な事はすごいと思っていた。

だが、その弟と何ヶ月も違わずに義母は亡くなった。

あんなに元気だったのに、信じられないくらいにあっけなく。

義母は、幸せだっただろうか?

お金に不自由した事はなく、宝石や着物、洋服を贅沢に買っていた。義母のお金に群がる人が沢山いた。

ちやほやされ、何でもお金で買っていた。ただ、親子の関係は良くなかった。家で使う電気代や水道代などをケチって、私達の事を責めた。

だが、外では宝石を買っていたのを、長男である夫が許せなかった。
何十年と離れて暮らしていて、突然一緒に暮らすのは無理があった。

義母にも悪い事をしたと思っている。だが、私達が帰らなかったら家業は成り立たなかった。どうすればお互いに幸せだったのか、今でもわからない。

しかし、私はこの教訓を得て、息子夫婦とは離れて暮らす事を望んでいる。一緒に暮らしていいわけがない。お互い、価値観が違う者同士が同じ屋根の下で暮らせるのは、夫婦だけだと思っている。

義母も寂しかったのだろう。だから、お金に群がって来る人達に心を許してしまったのだろう。

夫は、これだけの宝石を買うくらいなら、お金を残して欲しかったという。それは、間違いないが、義母のお金を義母が使って何が悪い、とも思う。

100までは生きると思っていた義母が89歳で亡くなった。義母も、癌には勝てなかった。

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