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写真、カメラ、フィルム

そういえば、気になったこと
きっかけがあったから、考えてみたのだけれど。

カメラって、何処で知ったのかな?

遠足や行事の写真。
「カメラを持って行く人は持っていっていい」と言われた時、なんの疑いもなく、使い捨てカメラを用意した。

集合写真やカット違いで注文するアレ。
自分が写っているのを探すのは、コミニケーション能力がある人ほど確率が高いとか、何枚あったのかとか、色々な思いが駆け巡ったのだ。

そもそも、写真の受け入れ度合いは疑いもなかった若かりし時。
教科書にカメラや歴史が載っていたのかは定かではないが。
もしかしたら、その時は興味がなくて気が付かなかったのかもしれない。
写真を取り入れているものを、普段から身近に目にして、触れて来ているから。
あえて再確認するほどではなく、身近すぎていた気がする。

今は、どんな感じなのだろう?

写真について
芸術としての試み、挑んできた写真家の古書の記しに、「現像、写真、プリント」というキーワード。
美術キュレーターが、それを体験したいとワークショップに受講された時の話。

撮影をする時に使うフィルム=ネガ
撮影をした後のフィルム=ネガ
専用の薬剤、自家現像や機械により処理された写真にとって元となるデータが記憶されたもの=ネガ

古書としての表記は細かいものではないらしく、文章は推測ですが、解釈出来るものを三分割してみた。
フォーカスしているから見えている部分、そうではないことで分かったこと。

そのことについての説明的なツールが身近にはなく、気軽に分かるものがないということと、伝える側も気難しいものなのか?
物事を調べることは、探求する方向性に委ねるしかないのだけれど。

今は、どんな感じで存在し続けているのだろう?
あえて学ぶ術が、現代において生きているのだろうか?

これは、カテゴリーに関する部分ではなく文化として「存在する」のだろうか?

なんて思いながら、私も少なからず関わっているからこそ、カメラやフィルム、ネガなどのお話をさせて頂きました。


伝える文化として、お伝えすることを大事にして
芸術としても技術としても邁進していこうと感じました。


本年も、暗室モノクロプリントワークショップ
並びに写真等、SNS等をご覧くださり大変にありがとうございました!
来年に個展も開催する予定ですので、足を運んで頂けたらと思います。
来年も、何卒宜しくお願いいたします。

坂本 純子

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