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子供と一緒に過ごすということは、発見の連続であり、修行だ。給食で笑った話。

子育てをしていると、日々おもしろ珍事件が起こる。

それは、自分の家庭で起きたり、子供たちが園から持って帰ってきたりする。その時には驚いたり笑ったりするのだが、日々の喧騒の中で気づけば忘れさられている。

え?そんなことあったっけ?

こんな具合だ。日々目まぐるしく過ぎていくので、細かなことを保存しておくメモリーは私たちの中には搭載されていないのだ。

例えば息子は今年から年少になった。
午前保育だけだったのが、クラスのみんなで給食が始まる。息子は去年から通園しているが、年少さんから入園し文字通り右も左も分からないような子供たちと一緒になるのだ。

お昼寝もネックの一つ


子供たちの話を聞いていると、やはり給食が一つのネックだ。

ささやかな子供の口答え


家のご飯とは違うだろうし、まだ食べさせてもらっている子供もいるだろう、箸に使い慣れていないこともあるだろう。
そして保護者は近くにいない。

ある日、給食中に立っているか歩いているかの子供たちを見て、先生が言ったそうだ。

「すわってたべなさい!」

「もう、(ちゃんとしないなら)でていきなさい!」

これは息子から聞いた話。なのできっと付け加えたり、覚え違ったりしているところがある。

「そのあと、お友達はなんて言ったの?」と、こっちも興味津々で聞く。

そうしたら。

「もう、こうえんいってあそぶわー!」

と、三歳児が言ったらしい。

私と5歳娘と3歳息子はみんなで爆笑である。この日、夕方この話を聞いた時が一番笑った。

三歳ぐらいであれば、自分の気持ちを言葉で伝えるのは困難だ。そして、対するが大人であろうものならより恐縮する。子供にとっては、先生というのは特にあれやこれや言いにくい存在だろう。

なのに、その子は「もう、こうえんいってあそぶわー!」と言い放ったのである。給食の時間に。周りの子が給食を食べている中で。

先生も、そう言われるとは予想外だっただろう。まさか、注意したのに公園に行くと言われてしまうとは思わなかっただろう。

その後も、どうなったか息子に聞いてみる。

「もう、それじゃあこうえんいきなさい!」と、先生は言った。

するとそのお友達は、その後こう言った。

「(鍵がかかってるから)いけれんわ!」

私と娘と息子はまた、爆笑である。すごい言い返しだ。賢い。

たしかに、子供たちだけでは外に出られないつくりになっている。よくそんなことが次々言えるな、という驚きの笑いが私に起こった。

時間も限られている中で子供たちが後でお腹を空かせないよう、給食を食べさせないといけない先生の気持ちを考えると、合掌せずにはいられないのだが。息子ももしかしたらその時笑ったかもしれない。でも、本当に申し訳ないのだけれど、私もその場にいたら笑いを堪えるのに必死だったかもしれない。

笑わせてもらった。成長とは、言い返せることともいえるかもしれない

本当に幼稚園を飛び出した同僚の先生


この、公園に行く、ということで思い出したのが、私の同僚の先生が幼稚園に通い始めた時のエピソードだ。

その先生は、幼稚園に通い始めた時。

「なんでこんなところに私が詰め込まれて、こんな(遊びやらなにやら)ことをさせられないといけないんだ。私はこんなところにいたくない!」

こう思って、幼稚園の外に1人で飛び出してしまったそうだ

先生びっくりしただろうな

その先生は今でも、その時の不満や幼稚園は自分の居場所ではないという感覚を覚えていた。

かたや私は、そんな風に円の外に出ていくタイプではなかった。末っ子気質そのままに、周りの様子を見て進んでいく。祖母いわく、入園の時の面接でも、名前を呼ばれたらぴゃーっと一人で呼ばれたところまで走っていったそうだ。

「へぇ、ここではこんな風にふるまえばいいのね」

と、幼稚園では馴染み方を勉強したことだろう。

子供たちを見ながら、自分たちのことも振り返りながら、今日も大人の常識が通用しない子供たちと過ごす。

こどもは、私たちの前提を持っていない


高校の時の国語の先生が言っていた。

何で高校の国語の先生になったかって?幼稚園児や小学生は話が通じないからだよ。

当時の高校の国語教師
記憶頼りで一部改変

言い方にやや語弊が含まれている。が、意図していることは分かる。子供たちは、私たち大人が前提としている暗黙のルールのようなものは承知していない。それは、給食は大体全部食べてね、とか、座って食べようね、とか。大きな声を出さずに話し合いで一緒に考えようね、とか。それは小さなものから大きなものまで。

全部説明していたら、とても授業は進まない。

子供と一緒に過ごすということは、発見の連続であり、修行だ。

自分を顧みて、もとい省みて、恥じて、こっそり合掌。

ちゃぶ台をひっくり返したり、泣いたり、笑い転げたり、目がうつろになったり。そんな日々である。


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