私が"赤毛のアン"から教えてもらった事
以前このnoteに"赤毛のアン"が好きだと言う事を書かせて頂きましたが、今回は私が感じた主人公アンの魅力について書きたいと思います。
"赤毛のアン"に登場する人々は皆個性的で魅力的なのですが、やはり主人公アンはその中でも飛び抜けて個性的で魅力溢れる女性です。
私の中では私が読んだ小説の中で、1番美しく聡明な女性だと思っています。
小さい時のアンは常に想像の中に自分を置いていたので、周りからは風変わりで変な子と思われていましたが、私的にこれは赤ちゃんの時に両親を亡くしその後の過酷な日常を、想像を使う事でポジティブに捉えようとする、アンの自分を保つ生きる術だったのだと思っています。
なぜならグリーンゲイブルズに来た次の日、男の子との間違いを正す為、アンはマニラの馬車でスペンサー夫人の家に行く道すがら、自分の今までの身の上話をするのですが、
こんな会話があります。
かなり過酷な生活を強いられていたにも関わらず、愚痴はこぼすけど決して悪くは捉えない、小さな子供だったのに。
それは過酷で孤独な日常を自分だけの世界を想像する事で、精神を保たせていたのだろうと思うのです。
だから想像の世界を壊されると怒り心頭になってしまったのかもしれません。
グリーンゲイブルズに来てからのアンは今までと違う環境の中、想像と現実の日常にうまく対応出来ず色々騒動を起こしてしまいますが、マニラとマシューの深い愛情を受け、友達との楽しく安定した子供時代を過ごす事で、自分なりの真実の幸せを自然に感じる様になります。
その後16歳に成長したアンは、ある日朗読を認められてホテルのチャリティーコンサートで朗読を披露する事になるのですが、煌びやかで華やかなコンサートを大成功させた後、帰りの馬車でのダイアナとジェーンとの会話がアンの素晴らしさが溢れていて、私はとても好きです。
アンと同い年の16歳で普通に愛情ある家庭で育ったジェーンとダイアナ達には、当然アンの言葉を理解する事は出来なかったのです。
それが普通です。
現に私だって子供の頃この本を読んで何も感じ無かったし、この言葉の素晴らしさを理解したのは30歳過ぎて読み返した時でした。
この言葉は人生の幸せをどう考えるか、と言うとても深いアンの言葉なのですが、幸せは濁り無い愛情とそれに心から感謝する日常で、それは大金や宝石からは得られない素晴らしい物だと言う事を、16歳のアンが理解しているというアンの聡明さと清らかさを表している場面だと思います。
それはやはり小さい頃の孤独と苦難があったからこそで、だからこそマニラとマシューの深い愛情が、どれだけありがたくかけがえのない物なのかを、身に染みて感謝せずにはいられなかったのでしょう。
そしてその後マシューの死という悲劇が襲った時も、悲しみを強さにする聡明さは、人生の苦難を道の曲がり角と想像し受け入れる事で、どんな人生をも楽しんで歩みたいという
前向きな力強さとしてしまいます。
私はそのアンの在り方こそ、それこそが大金や宝石では得られない真の人としての美しさなのだと今は思っています。
もちろんまだまだ身に付いてはいませんが、"赤毛のアン"を読んだ事で人生の幸福とはなんなのか、真の美しさとはどういう物なのかという自分なりの人生の哲学のヒントを貰ったと思っています。
"赤毛のアン" 本当に読めば読むほど素晴らしい小説だと思います。
最後のアンの言葉、私も心に刻みたい。
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