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「事実は小説より奇なり」は本当なのか

前書き

久しぶりのnote更新となる。

私はタイトルの通り、「事実は小説より奇なり」についてnoteに書こうと思う。現在、9月20日、時刻は1:30。

なぜこんな時間に1人パソコンに向かって文字を打っているか。

自分の「内なる言葉」を大事にしたいと考えているからだ。

「自分が普段何を考えているか。」

「音楽を聴いたとき・映画を見たとき・文章を読んだときにどのように心が動いているか。」

ふと頭の中で抱いた感想を言葉に変換したとき、自分の言葉のチープさに絶望した。

文章が苦手である自分が、「内なる言葉」と向き合うため、そして「内なる言葉」を文字に起こして彩を与えるため、文章力向上のために、自らの思考をnoteに記すことにした。

あと、タイピングを早くするためでもある。

正直タイピング練習が割と一番の目的かもしれない。

(議事録を書く際に、タイピングが遅くて苦労することが多々ある。)

どうか皆様には少し、私の書く稚拙な文章に付き合っていただけると幸いである。

文化の教養

最近、映画やドキュメンタリーを見ることが多くなった。

社会人になり、様々な年齢の方と話すことが多くなった。その際に話を合わせるには、「文化の教養」が必要だと感じることが多い。漫画でもよい、テレビドラマでもよい、音楽でもよい、とにかく老若男女問わず話せるようになるには、「文化の教養」というものが大事だと日々痛感している。

(仕事上、年配の方と話すことが多い職業というのも関係しているのかもしれない。)

もともと、昔の映画や音楽が好きであるため、年配の方と話すことには困らないほうではあった。ビートルズの話や、白黒映画の話で盛り上がることもしばしばあった。

しかし、年配の方と話すことが増えていくにつれ、自分の知識の浅さを感じるようにもなった。話についていけないことがあると悔しいと思う自分がいることに気づいた。

そこで、私はより音楽や映画、そしてドキュメンタリーを鑑賞するようになった。興味のあることはトコトン調べるタイプであったため、あまり苦しくはない。

数々の映画、ドキュメンタリー、音楽にまつわることを調べていく中で気づいたことが、「もしかしたらフィクションよりも現実の方が不可解かつ面白い」ということである。

2.3行ほどの事実

文字に起こしてみれば2.3行程度に収まる事実が、そこに至るまでの経緯をたどるだけで複雑かつこれほどに面白いのかと感心することが増えた。

それに気づかせてくれたのが映画だった。

1920年代のアメリカ、禁酒法が蔓延っていた時代に君臨したアル・カポネ。

アル・カポネが捕まった理由は殺人や密売、薬物、売春斡旋などではなく、脱税だというのは有名なエピソードである。たくさんの人を殺し、この世のほぼすべての悪に手を染めた人物が脱税で捕まるとは。

ただ言葉にするだけだと、上記のように2.3行程度の文章になる。

しかし、「アンタッチャブル」という映画の中では、アル・カポネを捕まえまでの経緯が詳細に描かれている。当時のアメリカがどんな様子であったか、なぜアル・カポネは当時のアメリカ市民から人気であったか、なぜ脱税で捕まったのか。

ほかにも、ジョン・ナッシュがノーベル賞を至る経緯を詳細に示した映画「ビューティフル・マインド」のなかでは、ナッシュが統合失調症であったこと、どのように統合失調症を克服したか、愛の力がナッシュをどのように変えたかが詳細に記されている。

ほかにも、黒人差別の忌々しい実話を描いた「それでも夜はあける」「グリーンブック」吃音に悩まされたジョージ6世と平民である言語療法士との友情を描いた「英国王のスピーチ」、どれも嘘のような実話だ。

「凶悪」や「悲しい熱帯魚」などのサイコパスホラーも実話をもとに描かれている。(若干脚色した部分はあると思われるが)

映画ではないが、漫画「闇金ウシジマくん」の洗脳くん編も実話をもとに描かれている。実話の方がより救いようのない構成になっているから事実の怖さを思い知る。詳しくは「北九州監禁殺人事件」と調べてほしい。

おそらく、ほかにもたくさんの事実をもとに描かれた映画があることであろう。私が何も知らないだけでおそらく無限大に存在する。

映画は、文字に起こしてみれば1行程度に収まる事実が、そこに至るまでの経緯をたどるだけで複雑かつこれほどに面白いことを教えてくれた。

ロックスターの異常なエピソード

ロックスターの異常なエピソードを見てみると、さらに事実のいかれ具合を知ることができる。キースムーン、ジムモリソン、THE WHO、ビートルズ、シドヴィシャス、ジャニスジョプリン等々、調べてみると面白いエピソードがたくさんある。

(特にキースムーンに関してはぶっ飛びすぎて同じ人間とは思えない)

まだ昔の洋楽に関しては、そこまで詳しくない。

洋楽ファンからしたら、もっとやばいエピソードの人ごまんといるわと思うだろう。

私が知っているエピソードなんて、氷山の一角に過ぎない。

だが、このような破天荒な人物が歴史上に存在していることはある種希望ともなった。「お前普通じゃない」「変だよ」なんて言われたとしても、何も気にしないであろう。少なくとも「キースムーン」を知ってしまったらね。

少なくとも「人と比べて自分が変わっている」「なんで自分は普通ではないのだろう」と悩んでいる人にとってロックスターは希望だ。

私も一時期変わっていることについて悩んでいた時期もあったが、どう考えても異常な人たちのエピソードを耳にすると、自分が「変わっている」と考えることでさえ、おこがましく思う。本当の異常者に対して敬意があまりにも足りないとさえ思ってしまった。

ほかにも映画史や戦争史などの近代の歴史を探るだけでも、到底理解しがたい事実は山のようにあるが、紹介するときりがないのでまた別の機会に紹介するとしよう。

事実は小説より奇なり

結論から言うと、「事実は小説より奇なり」は23歳の私からすれば本当ではないかと考える。しかし、あくまでも23歳の考えだ。今後変わっていくかもしれない。

私にとってこの言葉は希望だ。自分の人生において、今後フィクションよりも面白くて、不可思議なことが起こる可能性があると考えるとワクワクが止まらない。

魔法や超能力は使えないかもしれないが、「事実」という不可解で、面白い世界に希望を持ち続けたい。

終わりに

今後とも不定期ではあるが、自身の思った考えなどをnoteに積極的に記したいと考えている。

以前、ゼミにて講義をしていただいた、梅田悟司氏の書いた「言葉にできるは武器になる」から着想を得て、このような記事を書くことに至った。

稚拙な文章に付き合ってくださった方々に、改めて感謝の意を示す。



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