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PANTAお別れ会「ライブ葬」@duo MUSIC EXCHANGE

2023年9月1日(金)

渋谷・duo MUSIC EXCHANGEで、PANTAお別れ会「ライブ葬」。

PANTAから受けた影響を言語化するのはまだ難しい。ただ、79年の『マラッカ』(自分にとっては古今全ての日本のロックアルバムの最重要作だ。自分が死んだら棺にこのレコードを入れてくれと妻に言ってある)からリアルタイムで聴き始め、ということは44年も好きなアーティストでい続けたわけで、とりわけ80年代~90年代前半くらいまでは相当夢中で追いかけた。自分のなかでは清志郎、泉谷、江戸アケミと並んで重要な歌手であり、特に歌詞に打たれた。思想的なところでも影響を受けた人と言えるかな。PANTAの音楽を聴いていなかったら知らなかったこともたくさんあるし、世の中や人生に対する考え方・捉え方も今とは違っていただろうと思う。

そういう人が七夕の日に亡くなり、僕はその事実を受け入れたくなくて、しばらくあまり考えないようにしていたところがあった。が、昨夜ライブの前に献花をして改めてその事実に向き合い、それから頭脳警察によるライブ葬があって、自分の感情と、自分という人間の形成においてPANTAがどう重要だったかを、なんとなく整理できた気がした。こういう言い方もなんだが、何かこう霧が晴れたような気がしたのだった。行ってよかった。

初めにマネージャーの田原章雄氏がステージにあがり、PANTAが病を患ってから亡くなるまでのこの2年の経緯を説明。ファンに闘病の経過を正しく報告できずにいたことを謝った。

続いてPANTAの盟友・鈴木慶一さんが弔辞を読んだ。「馬が合った」「何年も“敵“だったのが、会って5分で“兄弟“になった」と話した。「60年代に僕が作曲を始めたきっかけは頭脳警察とエンケン。頭脳警察とエンケンを見てデタラメ英語で歌っている場合ではない、日本語でやろうと決意した。はっぴいえんどが登場する前のことです」とも。最後に「さようなら世界夫人よ」の節で、「さようなら、世界“ロック屋”」と締めた。

去年の12月、僕はPANTAと慶一さんにインタビューした。ふたりがP.K.O.(=Panta Keiichi Organization)を再始動させ、「クリスマスの後も」と「あの日は帰らない」の2曲を配信リリースするちょっと前というタイミングだった。このインタビューで、「”クリスマスの後も“を聴いて、ちょっと泣きました」と僕は言ったのだが、それはこの曲が、病状を理解している慶一さんからPANTAへの、”いま言葉にしておかずにはいられないラブレターのようなもの”にも思えたからだった。改めて聴いて、読んでいただきたい。

慶一さんのお話のあとは、頭脳警察のライブだ。この数年PANTAとTOSHIと一緒にライブを続けてきた若いメンバーたち……澤竜次(ギター)、宮田岳(ベース)、樋口素之助(ドラムス)、おおくぼけい(キーボード)、竹内理恵(サックスとフルート)がステージに。それからTOSHI(コンガ)。この6人が演奏でPANTAを送るというライブになるかと思いきや、そうじゃなかった。メンバーたちの後ろの中央にスクリーンがあり、そこに映された生前のPANTAの歌唱映像とともにバンドが演奏。PANTAがそこに「いた」。まるで復活して帰ってきたかのように、そこにいた。バンドの最高の演奏で、PANTAは実に力強い歌を聴かせていた。なんだ、PANTA、今日はめちゃめちゃ力強い声が出てんじゃん!   すごいじゃん!。と、そう思ってしまう瞬間が何度もあって、おかしな感情になってしまった。

「世界革命宣言」でライブは始まった。PANTAの歌が凄かった。「私たちをそそのかし 後ろであやつる”今この時代の豚共”に」その歌は向けられているようで鳥肌が立った。ビリビリしびれた。

そうして始まった頭脳警察最終形態による最後のライブは、7人の渾身の演奏の融合であり、渾身の思いであり、愛のカタチでもあった。

おおくぼけいは度々後ろのPANTAを見ながら演奏していた。澤竜次も何度か振り返るようにPANTAを見て弾いていたが、とりわけ後半の「絶景かな」ではまさしくPANTAの一語一音にギターを合わせて思いを放つかの如く激しく弾いたのが印象的だった。宮田岳はあえてだろう、あまり振り返ることなくプレイに徹していた。竹内理恵は悲しさと(こうしてまたPANTAの声に合わせることができているという)喜びが混ざってかなんとも言葉で書き表せない表情を度々していたし、サックスとフルートの音色はPANTA楽曲に含まれる繊細さと激情を…わけてもバラードでは抒情を表していた。樋口素之助は終盤で泣いていた。そしてTOSHIの腕の動きは、叩かず拳を振り上げるだけのあれも含めての火の玉のようだった。メンバー6人が「今ここにいるPANTA」と完全に呼吸を合わせることだけに集中し、そうしながら思いの全てを音にして表していた。渾身としか言いようのない、凄い演奏、凄いアンサンブルだった。僕は90~91年に藤井一彦らを迎えた再結成・頭脳警察のライブを渋谷公会堂で体験して以来、しばらくその形態の頭脳警察が一番凄いんじゃないかと思ってきたが、一番も二番もなく、最終形態の頭脳警察は最高のバンドになっていたことを改めて思った。そして、昂り、一緒に歌い、溢れ出てくる涙を拭いながら、PANTAの大きさをまた強く実感した。

演奏終了後、TOSHIが話をした。「エンケンも遠藤ミチロウも癌で逝ってしまった。癌が憎いです」と言った。「90年に再結成したときのミュージシャン、今のミュージシャン、汗流してくれたスタッフ・関係者の全てに感謝します」「PANTAも自分も本当にいいミュージシャンにたくさん出会えて幸せだった」というようなことも言った。「PANTAがいなくなっちゃったのでこれで頭脳警察の旗は降ろします」とも。照れ屋で、ステージではPANTAが振ってもそんなに話さず、すぐにふざけたりするTOSHIがこの夜はしっかり話をされていて、それはTOSHIさんにしか話せないことで、「ありがとね、PANTA」とぼそっと言ったそれもあって僕はもうぐじゃぐじゃになってしまったし、まわりのひとみんなが大泣きしていた。

自分が死んだあとにお祭りみたいなライブは絶対やるなというのが、PANTAから田原マネージャーへの言葉だったそうだ。やるならば騒ぐのではなく、ちゃんと伝えるライブにしたい、してほしい、という思いがPANTAにあったのだろう。そういうライブだった。だからよかった。だから素晴らしかった。

いなくなってしまった悲しさはもちろんあった。が、それよりも、なんだか力をもらえたという感覚のほうが大きかった。ミュージシャンとスタッフのみなさんにありがとうございましたと言いたい。

これからも、今までと同じように、PANTAの遺した曲が力をくれる。それになんたって、まだ世に出ていない頭脳警察のニューアルバムが来年出る。フルアルバムかミニアルバムかはわからないけど、P.K.O.として残したいくつかの楽曲群も慶一さんがまとめ、やがて聴くことができるだろう。楽しみにしたい。

ここ何年かのライブ(と映画)の感想をいくつか貼っておきます。

↓PANTA & HAL. EXTENDED ライブレポート
https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/69838/2


そして今日もこの曲が頭のなかグルグル……。

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