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「学校行く・行かない」に目を向けるのではなく『目の前のことには何か意味があって起きている』ということに目を向ける


子どもが学校に行きたがらないと、
戸惑ってしまいますよね。


それで、

行きたくない理由を問いただしてみたり。
何か問題をがあるなら解決しようと試みたり。
説得したり、約束したり、何かご褒美をしたり。
あの手この手で何とか行かせようとしたり。

したくなるのかもしれません。


ここで重要なことは
お子さんが学校に行きたがらないことの
『何かの意味』『見えない意図』に
どれだけ思いを馳せられるか

ではないかと私は思っています。


問いただされて、
お子さんの口から出てくる理由などは
真の意図と言えているのでしょうか。

言葉にできない複雑な感覚を持っているんだけれど、
うまく説明はできなくて…

でもそれが行き辛いことに繋がっていたり
身体の反応として出たりすることは、
往々にしてあります。

親御さんにはとりあえず説明のつくような
言葉を並べる癖があるかもしれませんし、
それが矛盾してくることだってあるかもしれません。

また、
本当に行きたくないというよりも
「行きたくない」と言うことで
親御さんの気持ちを何らかの反応に導くことが、
意図となっているケースも、
もしかしたらあるのかもしれませんよね。

NLPでは

・ノージャッジ

・すべての物事や出来事には、
 肯定的な意図がある。
 役立つ価値がある。

という前提で物事を見ます。



親御さんが、
本人に起きていることよりも
「学校に行く・行かない」
に目を向け、それにとらわれているとき、
なぜか逆にうまく行かないと思われるケースも
実は多くありませんか?


「学校に行く・行かない」を
まずノージャッジでとらえ、

今起きていることに
どんな肯定的な意図があるのかな?
役に立っているとしたら、それはどんなことかな?

という視点で見ることができると
親御さんにも選択肢が生まれます。


目の前のできごとを
“なんとかしよう“と躍起になるよりも

“この出来事は、
自分に何を教えてくれているのかな?“
という見方に変えること

練習は必要ですけれど、
ぜひ試してもらうことで
新たな道が開けることでしょう。




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