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【144.水曜映画れびゅ~】"American Fiction”~高次元の多様性へ~

"American Fiction”アメリカン・フィクションは、先月よりAmazonプライムより配信されている作品。

今月行われた米アカデミー賞にて、作品賞を含む5部門にノミネートされ、脚色賞を受賞しました。

㊗ アカデミー賞 受賞!!

★受賞
脚色賞
☆ノミネート
助演男優賞・作曲賞・主演男優賞・作品賞

第96回米アカデミー賞 結果一覧

作品情報

※日本語字幕のないトレーラーです。

作品に「黒人らしさが足りない」と評された黒人の小説家モンクが、半ばやけになって書いた冗談のようなステレオタイプな黒人小説がベストセラーとなり、思いがけないかたちで名声を得てしまう姿を通して、出版業界や黒人作家の作品の扱われ方を風刺的に描いたコメディドラマ。

映画.comより一部抜粋

ステレオ・タイプからの脱却?

モンクは黒人で、小説家。黒人という人種に囚われない文学を綴ることに常に挑んでいた。

しかし、彼の小説はあまり売れていなかった。大学の講師をしながら、細々と生計を立てていた。

そんな時に、ある黒人小説家の講演会に参加する。その作家の小説は、ドラッグや犯罪という黒人のステレオタイプを盛り込んだ作品であり、モンクが目指す文学とは真逆の存在だった。しかし、その小説はベストセラーとなり、作家には称賛の声が集まっていた。

そんな現実を目の当たりにしたモンクは、自棄やけになった。

「こんなもん、俺だったら簡単に…」と思い、冗談半分で黒人のステレオタイプ盛り盛りの小説を書いて、出版社に送りつけた。すると、帰ってきた返答は…

「素晴らしい!」

今アカデミー賞、最大のサプライズ!

今月始めに行われた米アカデミー賞にて、脚色賞を受賞した本作。

脚色賞は他にも『バービー』・『オッペンハイマー』・『哀れなるものたち』・『関心領域』と、本作含め全作品が作品賞にノミネートされている、今アカデミー屈指の激戦部門。なかでも下馬評では「『オッペンハイマー』優性」と言われていましたが、プレゼンターから読み上げられた作品名は『アメリカン・フィクション』でした。

本作の原作は、2001年に発売されたパーシヴァル・エヴェレットによる小説『Erasure』(原題の意は"抹消")。

『Erasure』が紹介されているWikipediaを参照すると、映画と小説のプロットはほとんど同じです。しかし、ストーリーの見せ方がうまかったです。

「どこまでがモンクが紡いだ小説で、どこまでが現実なのか…?」
物語が終盤に差し掛かっていくにつれて、そういった曖昧さが出てきて、その演出が現代社会への風刺になっていました。そして繋がるラストシーンの強烈な皮肉になっており、おそらく多くのアカデミー会員がそのラストに心を奪われたのだと思います。

高次元の多様性

小説家を含めたアーティストの作家性について、強烈な問題提起を投げかける本作。

黒人であるモンクは、人種の枠に囚われないアカデミックな文学を目指しました。一方で、大衆受けする黒人小説家の作品は、黒人とカテゴライズされた範囲のなかで紡がれた小説でした。

確かに、"黒人作家だからこそ"の作品というものはあると思います。それは小説に関わらず、映画でもそうです。

例えば、スパイク・リー(『マルコムX』、『ブラック・クランズマン』)、スティーヴ・マックイーン(『それでも夜は明ける』)、ジョーダン・ピール(『ゲット・アウト』、『アス』)など、現代の映画界で活躍する黒人監督は、"黒人だからこそ"の映画を作っています。

俳優に関しても、『ドライビング Miss デイジー』(1989)のモーガン・フリーマンしかり、『グローリー』(1989)のデンゼル・ワシントンしかり、『グリーンブック』(2018)のマハーシャラ・アリしかり、黒人俳優という枠組みのなかで役が与えられてきた歴史があります。

それが悪いことだとは思いません。黒人の歴史や黒人の文化には伝える価値が多大にあり、それを主題にするときは黒人が作り手になることが望ましいと思います。

しかし、「それだけでいいのだろうか…?」というのが本作の問いかけです。

黒人作家は黒人のことしか書いちゃいけないのでしょうか。黒人作家が『ライ麦畑でつかまえて』(1951)みたいな小説を書いてはいけないのでしょうか?黒人監督が『フェイブルマンズ』(2022)を作ってはいけないんでしょうか?黒人俳優がジェームス・ボンドを演じてはいけないのでしょうか?

多様性という言葉が跋扈ばっこする昨今。その多様性とは、さまざな背景を持つ人々が、その背景を声にして、多くの人に見てもらい、理解を促していく部分が大きいと思います。しかし、その背景に囚われすぎて、作家性が狭まっているアーティストも存在すると思います。

人種などの背景を加味することは大事です。しかし、より高次元の多様性に進むためには、その背景が浸透したことが前提となり、アーティストがより自由に文章を紡げるようになる社会を目指す必要もあるのかもしれませんね。

・・・

ちなみに昨今では「世界文学」という考え方があり、カズオ・イシグロを始め、作家の人種、出版された国や言語に囚われずに作品自体が世界の読者にどう響くかという点で評価を獲得していく作家が増えてきています。最近のノーベル文学賞もそういった傾向があるそうです。なので、今まさにアーティストの多様性のフェーズは転換期に来ているのかもしれません。


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次回の更新では、ポール・ダノ主演の大傑作"Dumb Money”ダム・マネー ウォール街を狙え!を紹介させていただきます。

お楽しみに!