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24歳、鬱病になる。ー<72>小説の完成

私24歳にして、今年2023年の1月に鬱病と診断を受けました。

鬱病になった私に起きたことや、そこから立ち直れるにようになるまでの姿を、自分なりに整理して、書き起こしてみたいと思います。

自分のために、そして同じような境遇の人の何かの一助になればよいなと思っております。


前回の記事では、大学時代の友人たちに「自分は双極性障害かもしれない」と伝えたことを書きました。今回は、大阪から戻ってからのことを書き記していきたいともいます。

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大阪から戻ってからは、また元通りの日々を送っていきました。時節は8月から9月になる頃合いでした。

6月から書き始めていた小説は、断続的に書かない日がありつつも、なんとなく終わりが見てきていました。ただ小説が完成に近づくにつれて、思うところがありました。

それは…「果たしてこれは小説と呼べる代物なのか?」ということでした。

小説を書き始めていた時は、自信に満ち溢れていました。文學界新人賞の入賞も間違いないとまでおごっていました。しかし出来かけの小説を一旦はじめから読み返していくと、どこからそんな自信を湧かせていたのか疑問に思わざる得ませんでした。

というのも、私の小説には重大な欠点がありました。それは、圧倒的に会話文が不足しているということでした。私の小説は私小説を前提として書いていました。なので、必然的に独白モノローグが多くなることは重々承知でした。しかし、ほとんどがモノローグで埋め尽くされてしまっていましたので、果たしてこれは小説と言っていいもののかと思うようになりました。

とはいっても、もう乗りかけた船なので辞めるという選択肢はありませんでした。では、このモノローグにまみれた文章の羅列をどうまとめるべきか…。その問題に1週間、骨を折りました。

そうして、なんとか小説を完成させました。完成した私の処女作に、今一度目を通しました。すると、どんどんと小説の悪い部分が目に付いていきました。それはもう、どこを修正するとかいう話ではないような気がしました。この小説自体が、根本的に失敗作であると思われました。

私は途中で、小説の推敲をやめました。そして、もうこのまま応募しちゃえと思いました。「もしかすると読む人が読めば、なにかしら感じるものがあるのではないか」というある種の諦めともいえる言い訳のもと、私はオンラインで原稿を応募してしまいました。

小説の執筆はもともと自分で課した重荷でしたが、「応募が完了しました」という画面が表示されたころには、ここ数か月の苦悩から解放された気になり、気持ちがだいぶ楽になりました。


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